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第36話 食わせろよ (R15)

「じゃあ内緒にしててね」  玲乃はふわりと微笑み自身の唇に人差し指をあてた。左目の下にある薄い涙ほくろが一瞬宝石のように煌めいて僕は目を瞬かせる。いつもはファンデーションで隠れてるくらい、薄くて、小さいのに。しかし、次の瞬間には玲乃のほくろはいつも見る色っぽいほくろだと認識できた。  僕、もしかして玲乃に対してフィルターかかってる?  言うならば『王子様フィルター』を無意識にかけているのかもしれない。皆が理想とする王子様像を玲乃の言動にあてはめて見てしまっているのかもしれない。僕はだめだめと己を律しながら玲乃にお願いした。 「玲乃。そろそろくっつくのやめて。衣装シワできちゃうかも」 「……えー。まあもっともらしい意見だけど。いつのまにコンカフェ嬢のプロ意識芽生えたの、睦」  くっくっくと喉を鳴らして玲乃が笑う。僕はむーっと頬を膨らませて玲乃の胸をぽかぽかと優しくパンチする。 「もー。からかわないで。接客するときすごく緊張するんだから、今のうちに休んでおかないと心臓持たないよ」  「ふうん」と猫目でなにかを思いついたような表情を浮かべた玲乃が僕の手のひらを引いた。 「じゃあ俺のとっておきのお客さんの口説き方を教えてあげる」 「えっ。なになに? 教えて!」  僕は文化祭の成功のためならばと身を乗り出して玲乃を見上げる。玲乃は微かに弓なりの唇を引き上げてから僕の前で膝をついて手の甲に接吻した。 「わ。なに……?」 「いらっしゃいませ。みゃうみゃうカフェへようこそおいでくださいました。お姫様」 「……ん?」  僕が愛想笑いを浮かべていると玲乃がすくっと立ち上がり互いの腰を引き寄せた。ごつん、と腰骨があたる。互いに細身で、腰骨同士が服越しに擦れ僕はひゅくと息を詰めた。首筋に触れるか触れないかの距離で玲乃が囁いてくる。 「もし俺とツーショット撮ってくれたら、チェキに連絡先を落書きしてあげる」  甘い声音と両腕にまわされた大きくてごつごつしている手のひらに包まれて、自分は本当にお姫様になったんじゃないかと錯覚する。  玲乃は王子様のような余裕たっぷりの微笑みを僕に向けてくる。なぜだか今はその瞳の中に自分だけが囚われているのが嬉しくて、なぜ嬉しいのかの理由はわからなくても、息をするのも忘れて迫りくる唇に目を奪われていた。 「……っ」 「とかね。まあ落書きするのは仕事用のSNSの連絡先だけど」  唇がくっつくかくっつかないかのギリギリのところで玲乃が動きを止める。僕の心臓は今までになく早鐘を打っていた。  僕はへたっと腰が抜けてしまいその場に座り込んだ。 「睦? なあに。これくらいで腰抜かしちゃって。これくらいでそうなっちゃうなら、この先は耐えられるのかな?」  むふふと含み笑いをする玲乃に僕は何も言えなくなって唇をきゅっと紡ぐ。玲乃の言う通りだった。  僕はまだ誰かと恋人関係になったことはない。キスも未経験でその先はもっと知らないことだらけだ。玲乃の言葉だけで腰砕けになっているのでは先が思いやられる。  そこで僕は玲乃にやり返しを試みた。  ひらひらと手を振って玲乃に腰を落として座らせる。「はいはい」と赤ちゃんに対応するような余裕たっぷりの玲乃に僕はちゅ、と自分の人差し指にキスをしてそのまま人差し指を玲乃の頬っぺにくっつけた。  『指キス』といって指越しにキスをするポーズだ。このくらいは僕でも知っていた。なぜなら指キスは祖母の家の黒猫にやっていたからだ。  直接キスしたくなるくらい愛おしい黒猫で、小さい頃ちゅーをしようとしていたのを祖母に見つかり叱られた。  「黒猫の同意を得ずキスするのはよくないことよ」と。それ以来、僕は黒猫にキスをしたくなったときには自身の指にキスをしてその指を黒猫にくっつけていた。  それを咄嗟に思い出しての指キスだった。玲乃は不意を打たれたのか黙り込んでいる。たまにはやり返せて嬉しくなった僕は自信満々に玲乃を見つめる。 「僕だってもう高校生だよ。いつまでも玲乃にお世話される赤ちゃんじゃないんだからね」 「……」  暫しの無言の後、玲乃は温度のない瞳で僕を見つめてきた。その強い眼差しから決して目が離せなくなる。 「それ、俺以外に絶対やらないで」 「……う、うん」  いつものふにゃふにゃ甘えたくんの玲乃とは違い、冗談にも聞こえない低い声のトーンで言われて僕は玲乃のまだ知らない一面があることを知って記憶に上書きした。

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