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第1話 継信①
結局、いくら多様性だ何だって言っても、いわゆる世の中の「常識」「規範」ってやつはそうそうひっくり返らない。
それこそ明治維新みたいな流血を伴うような大きな事件にでもならなければ。
平和な時代の中で何かを変えることは、どうしたって時間がかかるんだよな。
継信はシャーペンを置いて椅子の上でぐうっと伸びをした。時計を確認すれば、二時間くらいは続けてやっていたようだ。まあ自分にしてはやった方だよなと思いながら、机の前に貼った試験範囲を示す紙を眺めた。
高校二年の定期試験、指定校の推薦や総合型入試を考えるなら気は抜けない。ここでしっかりといい成績を取っておいた方が、のちの選択肢が広がる。
そう思うからこそ、この二週間ばかりはよく勉強していた、と思う。
しかし、先ほど見えた携帯の通知の文字が、継信のやる気を一気に削いだ。
ごめん、おれ彼女できたわ
二週間前、継信が積年の思いを告白してしまった幼馴染が返事を待ってくれと言った、その返事は、これだった。
安芸坂光映 は、邑前継信 の二軒隣に住む同い年の幼馴染だ。
幼稚園の頃からの付き合いなので、もう十二、三年になる。
光映は、明るく、面倒見もよく、どこに行っても人に好かれるやつだ。特に顔がいいとかいうわけではないが、その雰囲気がイケメンで背が高く、少し垂れ目気味の人懐っこい笑顔で周りを魅了する。男女問わず、光映の友達は多かったし、光映を悪く言うやつはいなかった。
対する継信はと言えば、これといって特徴のない、ごく平凡な男子である。中肉中背、176cmの身長に切れ長と言えば聞こえがいいがどちらかと言えば細い目、薄い唇。第一印象では必ず「怒ってるかと思った」「睨まれてるかと思った」と言われるのはデフォルト仕様だ。
頑張ればそこそこいい成績はとれるけど、それ以外にはこれといった長所もない。それが継信だった。なのに、人気者の光映の傍にいられたのはひとえに「家が二軒隣の幼馴染」だったからだ。それ以上でもそれ以下でもなかった。
光映は優しいやつだから、あまり友達がいない継信を気遣って毎朝迎えに来てくれる。そして学校まで一緒に行ってくれる。学校では隣のクラスなのであまり接点もないはずなのに、昼休みになれば必ず一緒に飯食おうぜ、と誘いに来てくれる。
正直、高二になったあたりで周りからの「なんであいつが光映といつも一緒にいるんだ‥?」という疑念の目が痛いほどになっていた。だから、継信は何度か一緒に昼飯を食べるのを断ったこともあるし、事情を話したこともある。
「お前のファンも多いみたいだしさ、いつもおれとばっか飯食わない方がいいんじゃね?たまには、ほら同じクラスのやつと食うとか‥」
そう切り出した継信を、光映は目を丸くして見つめた。そしておもむろに言った。
「じゃあさ、継信は俺と食わなかったら誰と食うの?」
継信はウッと詰まった。‥いない。特に一緒に飯を食えるほどの関係性があるやつはいない。というか、継信は別に一人でも昼飯くらいは食べられる。
「え、別にいいだろ、誰と食っても」
そう詰まりながら答えると、光映は勝ち誇ったような顔で言った。
「あ、やっぱ食う奴いねえんじゃん。黙って俺と飯食ってろよな」
うーん、と継信は唸った。正直、嬉しい。が、周りのやつらはそうは思っていない。今この時にも、「もう少し押せ」「もう一回断れ」という周囲からの圧を背中からびんびんに感じている。なぜ、光映はこの周囲からの期待の目がわからないのか。わかっててもうぜえから無視してるのか。ああ多分そっちだな、こいつ根っこはめんどくさがりだからな。
「‥‥おれじゃなくても、お前と飯食いたいやついっぱいいると思うぞ」
最後のあがきでそう言ってみる。光映はふんと鼻で笑った。
「それこそ別にいいだろ、俺が誰と食ったって」
ああ、周囲のやつらがあからさまに気落ちしている空気が伝わってくる。うん、こいつは悪気なく言ってんだよな。自分が否定されたことも、拒絶されたこともねえからわかんねえんだよな。
継信は深い溜息を吐きながら、仕方なく弁当を持って光映の後についていくことになった。周囲の目をひしひしと感じながら教室を出る。教室を出ても廊下ですれ違うやつが、またじっと視線を投げてくる。あの光映と、またお前は飯食ってんのか。そういう視線だ。
はぁ。
校舎外の階段に腰掛けると思わず深いため息が出た。光映は結構、外のあまり人が来ない場所で昼を食べたがる。いつも色んな人に囲まれてるから、たまには遠ざかりたいのかな、と継信は思っていた。
「何だよそのため息」
「いやぁ‥」
継信はゆっくりと顔を上げて光映を見上げた。やや不満そうな顔をして、継信より二段高いところに座っている光映。手に持ったパンの袋はもう開けられていた。はええな。
「光映さ、誘われねえの?誰かに、飯一緒しようとか」
「あー‥‥まあ、そういう時もあるな」
これはきっと、ほぼ毎日言われてるな。継信はそう思った。だてに十二、三年の付き合いはしていない。こういう言い方をする時はだいたい少ない方にごまかしてる時だ。
「じゃあいいじゃん、たまには誘ってきたやつと」
「継信は俺と飯食いたくねえの?」
継信の言葉を遮るように光映は言った。垂れ気味で優しく見えるはずの光映の眼が、何だか少しぎらついて見えた。継信は急に腹の奥にずくっと鈍い痛みを覚えた。やばい、ちょっと怒ってる。
「いや、そんなことは全然ない、んだけど、なんか、他のやつに悪いかなって‥」
もにょもにょと答えているとだんだん言葉が尻すぼみになっていった。光映の眼が怖くて、顔を上げられなくなっていく。
肩をとん、と押された。はっと顔を上げると光映が笑っていた。
「気にすんなよ!俺がお前と食いたいっていってんだからさ。‥‥継信が、他に、食いたいやつがいるってんなら、また考えるし」
光映は明るくそう言って、ばくりとパンを頬張った。
うん。そんなやつはいないし、今後も多分出てこないだろう。
おれはひそかなるボッチだからな。
積極的に無視もされない代わりに、クラスの中では空気のような存在、それがおれだ。
継信はそんなことを思いつつ、またそんなことを考えてしまった自分自身に傷つきつつ弁当を開けた。
と、言っても自分で作った弁当なので何が入ってるかはわかっている。弁当を作ればその分小遣いを上乗せしてくれるというので、継信は毎朝自分と妹、母の三人分の弁当を作っている。父の分がないのは、仕事上弁当を食べる機会がない場合があるからだ。それでも朝、父はぶつぶつと「みんないいなあ‥つぐちゃんの弁当‥」と呟いてくるのでややウザい。継信の知ったことではない。
「うわ、相変わらずうまそう」
光映はそう言ってひょいと肉だんごをつまみ上げて口に入れた。指先についたソースをぺろりと舐めている。
「おいっ」
「うま!」
まだ持ち主も食ってないのにどういうやつだ。しかもメインを横取りするとは。
ぶつぶつと文句を言いながら、心の奥底では継信は喜んでいた。
よかった、またうまいって言ってくれた。
「もー俺の分も作ってくれよぉ~。金払うからさぁ~」
「‥なんでお前の分まで作らなきゃなんだよ、朝から四人分も作れねえよ」
「意地悪だなあ、継信、こんなにいつも頼んでんのに」
作りたい。本音はめっちゃ作ってやりたい。めっちゃ気合い入れて作る未来しか見えない。
でも、おれは男で、光映の幼馴染で、友達だから。
世の中には男同士で恋愛する人たちもいるって知ってるけど、それが少数派だってのも知ってるから。
何より、中学から彼女がいた光映は男なんて恋愛対象じゃないのもわかってるから。
だから継信は光映の弁当を作らない。頼まれても了承しない。
そんなことをして、調子に乗って、期待したって、傷つくのは自分だ。
手に入らないものに近づけたって、手に入るわけじゃない。
じゃあ、遠くで見つめているだけの方が、まだいい。
継信は、そう思っていた。
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