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第19話 未来③
退院した継信が登校すると、なんだかクラスの雰囲気は微妙な感じだった。誰もあまり喋らないし、いつもよりずっと静かだ。継信がクラスに入ったとき、一瞬シン、と静まり返ったので驚いた。
「邑前 さん、おはよう」
たまたま横を通った黒江が挨拶をしてくれたので「おはよう」と返す。黒江だけはいつもと変わらない様子に見えた。
その日の六限目、LHRの時間に、B4用紙の両面にびっしりと文字が書かれたプリントが配布された。最初のところには「様々なセクシュアリティ」と銘打ってある。
自分たちのためのものなんだな、と継信はすぐに察した。
資料が全員に行きわたると、クラスがまた静まり返った。その様子を見た木村は、ああまだこの子どもたちは大丈夫かもしれない、と思った。
ただ、継信にけがをさせた生徒の小林はいまだに登校していなかったが。
淡々と説明される、セクシャルマイノリティの説明に継信自身も驚くことがたくさんあった。これだけ多くの「性」があり、「性的指向」があるということも、自分は知らなかった。自分自身に同性愛者だという意識はなかったが、今日初めて、バイセクシャル、パンセクシャルという言葉を聞き、ああ自分はこれに当たるのかと腑に落ちた。きっと光映だから好きになったのだ。光映が女性でももちろん好きになっていただろう。
そて、「性別」いわゆる性自認が男女二つに限らないことも知らなかった。自分は本当に狭い世界で生きてきたのだな、と思い、他の生徒だって自分と同じだったのだ、だから「知らない」ことを受け入れられなかったのだ、と考えられた。
木村は言った。
「正直、俺だってここに書いてあることをすべて理解しているわけじゃない。だから無意識に誰かを傷つけてしまっている可能性がある。‥‥でもこれは、セクシャリティに限った話じゃない。俺達は世界のすべてを知っているわけじゃない。でも人間は、自分の持っている知識や価値観で人を判断してしまう部分がある。その部分が、嫌な方向にいかないように、俺たちはずっと気をつけるべきなんじゃないか、と思ってる」
木村は生徒たちをぐるりと見渡した。顔を上げている生徒はかなり少ない。何か心に引っかかってくれ、残ってくれと願いながら木村は続けた。
「俺達は間違える。失敗もする。けどな、大事なのはその後じゃないか?間違って失敗した後に、同じ間違いを起こさないように考えて行動することこそが、重要なことじゃないか?」
ちょうどそこでチャイムが鳴った。
「よかったらチャットででも感想を聞かせてくれ」
木村はそう言って、号令を促した。
継信はこの日視聴覚教室の掃除当番だったのだが、黒江が代わりに行くと申し出てくれた。
「邑前さん、まだその腕痛そうだしいいよ。私が行ってくるから早く帰ったら」
「え、あ、ごめん、ありがとう」
「うん、またいつか私が用事あるときに代わってくれたらいいから」
「‥本当に、ありがとう」
黒江がクラスの生徒に、かなり強い調子で何か言ってくれたらしい、という話は木村から聞いていた。木村もその場にいなかったことから、あまり詳しい話は聞けなかったが、いつか改めて黒江にもお礼がしたいな、と継信は思った。
光映が荷物を持って継信を迎えに来た。大丈夫だ、と言っているのに継信のけがが心配だからといって朝も荷物持ちをしてくれたのだ。
「帰ろうぜ、継信」
「うん‥」
クラスの生徒たちは、誰も二人の方を見ない。少しほっとしながら継信は自分の荷物をまとめた。
帰り道、LHRの話になった。
「俺、自分でゲイだって言ったんだ」
「え!?」
継信は驚いて光映の顔を見た。光映は、どこかさっぱりした明るい顔をしている。
「だってさ、変に噂されるのも嫌じゃねえか。だから、『俺はゲイだけど性自認は男で、女装趣味とかはない。別に男ならだれでもいいわけじゃねえからクラスの男はその心配もしなくていい。興味本位の質問はしないでくれ』って言った」
「ひええ‥」
光映が父親と話をして、思わぬ事情を聞いたのは土曜の夜だった。何とか両方の保護者には認めてもらえて、それだけでもよかったな、と言い合っていたのだ。クラスにまでそれを明らかにするつもりだとは思わなかった。
光映は話を続けた。
「そしたらさ、海崎先生が『安芸坂 、興味本位から物事は広がっていくもんだ。だから質問には答えてやれ、ただし嫌だと思ったらはっきり嫌だといってやれ』ってさ」
「おお‥」
「んで、他の生徒には『マジョリティだろうがマイノリティだろうが、嫌だと思うのはおんなじだ。そこに気をつけてみんな人づきあいができるようになってほしい』って言ってくれた」
継信は光映の話を聞いて、自分もクラスで何か発言したほうがよかったのではないか、と少し後悔した。少しうつむき気味になった継信の顔を見て、それを悟ったのか光映がドン、と軽く継信の肩にぶつかって来た。
「いて」
「あ、ごめん、怪我してる方だったか?」
慌てて謝る光映に、継信は笑った。
「大丈夫」
「‥‥俺がゲイだって言ったのは、自分がそうしたかっただけだから、継信は変に気負わなくていいんだからな」
「うん‥ありがとう」
そう言って、継信は考えていたことを話した。
「結局、人は知らないものに驚いたり恐怖を感じたりするんだよなって思ったんだ。‥今回はおれがその悪意を向けられる対象だったけど、おれだってどこかで誰かを傷つけてる可能性はあるよなって」
「うん」
「だから、おれはやっぱりいろいろ勉強しなくちゃなって思った。だからそのためにも大学行きたいなって」
「‥そうだな。できれば‥その時は一緒に住みたいな」
急に甘い空気を出してきた光映に驚いて、継信は慌ててその顔を見た。
光映も言ったはいいものの、言葉をそれ以上続けられなくなったのか、真っ赤な顔をしたまま前を向いて歩いている。
継信は嬉しくなって、そっと光映の近くに寄り
「好きだよ、光映」
と囁いた。
光映は「俺も‥」と小さく返事をした。
その後、変わったことと言えば、継信をケガさせた小林という生徒が学校を辞めたことだった。木村の口からそれを聞いた継信は驚いた。だが、クラスの生徒たちは特に騒ぐでもなくそれを受け止めていたので、そのことの方を不審に思った。だがそのことに対する詳しい事情は、継信にはわからずじまいだった。
クラスで嫌がらせをされることはなくなった。かといってクラスに受け入れられているかと言えばそうでもない。相変わらず継信はボッチだし、クラスの生徒もあまり話しかけてこない。
ただ、黒江とはよく話すようになった。黒江は読書家で色々なことを知っている。LHRの話をしたときに、黒江自身の「アロマンティック・アセクシャル」というセクシャリティのことも教えてもらった。
「私はアセクだけど、仲良くしてもらってる犀川さん‥陸弥 って呼んでるんだけど、陸弥はノンバイナリーなの。彼自身はクエスチョニングよりかなって言ってたけど」
「‥それ、おれが聞いていい話?」
黒江は珍しく口をあけて笑った。
「陸弥はオープンにしてるから。‥まあ、期せずして私もオープンになったけど」
継信は頭を下げた。
「それって、おれのせいでもあるよね‥ごめん」
「違うよ」
黒江は真面目な顔をして継信を見た。黒江の瞳はいつもまっすぐに人を見ている気がする。
「私が、言いたくて言ったことだから変に責任感じないで。私の問題だからそれは」
「うん‥でも、黒江さんのおかげでたくさん助かったところもあるから‥ありがとう」
「‥みはる」
「ん?」
珍しく黒江がふいっと横を向きながら言った。
「みはるって呼んで。‥友達でしょ」
「‥おれも、継信って呼んでよ」
二人はお互いに顔を見合わせて小さな声で笑った。
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