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第27話 疲労がもたらしたもの

 カチャリと小さな金属音を立ててドアを開ける。  応援部隊と別れ、豪華客船アテナに到着し、鷹也は翔に手を引かれて部屋に戻ってきた。  本来なら、翔はこの後も後処理に追われるはずだった。  しかし、鷹也の様子から、内海をはじめ満場一致で翔の任務は強制終了。  それもあり、鷹也の罪悪感ははち切れんばかりに膨らんでいた。  体は汗や硝煙で汚れており、そのままベッドに飛び込むことはできない。  風呂に入らなければならないとわかっていても、何もする気にはなれなかった。  部屋に入ってすぐのところで棒立ちになっていると、翔が再び鷹也の手を温かく包み込んだ。 「風呂入るぞ。洗ってやる」 「……え、いや……」 「いいから」    鷹也は翔に問答無用で手を引かれて脱衣所に連行され、服を掴まれ脱がされていく。  翔の行動に戸惑うが、抵抗する気力はない。  されるがままになっていると、あっという間に全裸にされてバスルームに放り込まれた。    落ちた両肩に手を置かれ、真下へと力が加えられる。  素直に従えば、バスチェアが鷹也の体を受け止めた。  温かいお湯が頭から降り注ぐ。  頬を伝う涙の粒は髪から滴る雫に紛れ、体を伝って排水溝へと消えていった。  翔は柑橘系の香りがするシャンプーを手に出して泡立てると、汗でべたついた鷹也の髪に躊躇いなく触れ、丁寧に洗っていく。  時々、地肌に程よい圧がかけられる。  すると、鈍い頭痛が和らいだ気がした。  鷹也の頭に出来上がった泡の山がシャワーによって崩されると、次は顔が泡まみれになっていく。  その濃密な泡は翔の指の腹に乗り、鷹也の頬を撫でる。  目を瞑ると、腫れぼった瞼の上を翔の指がくるくると踊った。  その泡も翔が手で掬ったお湯で流されていく。  最後は体だ。  しゅわ、と小さく弾ける泡の音。  仄かに香る石鹸の匂い。  柔らかなボディータオルが強張った筋肉を撫でていく。  皮膚にこびりついた汗と硝煙の匂いが落ちていき、少しばかり体も思考もすっきりした。    疲労から解放されていくのは気持ちいい。  鷹也は腫れて熱を持った目元を緩め、翔から与えられる奉仕に身を委ねた。  「しばらく浸かってろ」  体全体をシャワーで洗い流され、バスチェアから立たされた鷹也は、今度はバスタブに押し込められた。  滑らかなお湯が体を包み込み、体の力が抜けていく。  自然と瞼が落ちてきて、休養を求めているのだと自覚した。  鷹也がうつらうつらし始めた横で、翔が体を洗い始める。  その背中をぼぅ……と眺める。   (怪我、なさそうだな)    今回の救出作戦で翔が怪我をしていないことは、ずっと傍を離れなかった鷹也が一番よくわかっている。  それでも、しっかりと目視して確認しなければ安心できなかった。  胸をじりじりと焼いていた焦燥がようやく鎮火していく。  翔は全身を洗い終えると、脱衣所に用意していたタオルを浴室に持ち込み体を拭き始めた。  湯冷め防止と脱衣所を水浸しにしないため、軽く体を拭いてから出るようにしているのは鷹也も翔も同じだ。  だが、翔は今日に限って念入りに水気を拭き取っている。 「脱衣所、行かねぇの?」 「わかってるだろ。不安定な鷹也を一人にはできない」  翔にそう言われ、鷹也は彼が懸念していることを理解した。  過換気を引き起こした鷹也の精神状態は酷いものだ。  一人にすれば、その者がどんな行動に出るか予測はできない。  最悪、自死する可能性だってある。  鷹也にそんなつもりは毛頭ないが、翔が心配しているのはそこだろう。 「そう、だな……」  普段なら聞かなくてもわかることだ。  それがわからないほど、鷹也は疲弊していた。  情けない。 「上がるぞ」  体を拭き終わった翔が手を差し出してきた。  鷹也が小さく頷いてその手を掴むと、翔が力強く鷹也の体を引き上げる。  その直後、体を包み込んだのは柔らかなタオルだ。  鷹也の肌をなぞり、水気を吸い取っていくそれは、鷹也の荒んだ心まで撫でていくようだった。  ふと、視線を落とした先に、緩く頭を擡げた分身があった。 (あー……ずっと抜いてなかったからか)  ベフライエンに来てから、入浴とトイレくらいしか一人になる時間はなかったし、そもそも性欲を感じなかったと記憶している。  鷹也の頭の中には、ベフライエンを取り巻く世界のことしか頭になかったからだ。  そして、今は極度の緊張と疲労から解放されつつある。  鷹也の分身が反応したのは、ふたつの要因が重なったためだろう。  生理的な現象だ。  しょうがない。   (ちょっ……と、待て。しょうがないわけないよな)  ぼんやりとした思考が、冷や水を浴びて切り替わる。  生理現象だとしても、こんな醜態を晒したままにできるほど、鷹也の精神はまだ落ちぶれてはいない。  それに、目の前にいるのは職場の元先輩で、だからこそ鷹也の良き理解者で、命の危機にさらされたことでつい数時間前に想い人だと自覚した相手だ。  ごちゃごちゃとした思考の中に、突然、羞恥心が大の字になって飛び込んできた。    翔は無言で鷹也の髪をわしゃわしゃと拭いているが、当然、鷹也の体の異変に気付いているだろう。  何も言わないのは翔の優しさだ。  その気遣いはありがたいが、余計に羞恥を煽られ、頬が熱くなる。  どうにかしてこの熱を鎮めなければ。  鷹也は目を閉じ、頭の中で素数を唱え始めた。  だが、数が大きくなれば大きくなるだけ焦りがも大きくなる。  こんなに数えたのに、うっすらと開けた視界には、反応した分身がまだ居座っている。 (なんでだよ……)  挙句、翔の指がバスタオルからはみ出て直接肌を掠めると、その僅かな温度にさえ鷹也の体はぴくりと反応する。  半勃ちだった分身は、水を得た魚のように元気になってしまった。  途方に暮れた鷹也の目に、羞恥の涙が滲む。    (逃げたい。どうしたらいいんだ……?)    できることなら今すぐ駆け出してベッドに飛び込み、分厚い冬用の羽毛布団に包まりたい。  そして、数年は閉じこもって冬眠するのだ。    これ以上の醜態は晒したくない。  もじりと足を擦り合わせた鷹也は、さりげなさを装って手を前にやった。  これで隠せたとは思っていないが、堂々としているよりマシだろう。  ほんの少しだけ現状に余裕が出てくると、今度は羞恥で思考の隅に追いやられていた迷いと後悔が大波となって押し寄せてきた。  心は巨大な錨に引っ張られ、深く深く真っ暗な海底に落ちていく。  掴むものはなく、溺れていく。    堕ちた思考を巡らせていると、いつの間にか体を拭き終わった翔が鷹也の顔を覗き込んでいた。  ほんの僅かに高い位置からじっと見つめられ、居心地が悪い。 「何?」 「悩むのもわかるが、考えすぎ」 「え、ちょ……!」  翔は裸のまま、少し強引に鷹也の腕を掴んで脱衣所を出た。  エアコンに冷やされた空気が肌を撫でる。  ぐるぐると巡る思考と羞恥心に支配されていた鷹也は、翔に抵抗する暇もなくベッドに押し倒された。 「頭、空っぽにしてやるよ」  見上げた翔の顔。  逆光になっているその顔にどんな色が映っているのか、鷹也には読み取れない。  ただ、ゆっくりと唇を舐める翔の赤い舌が、鷹也の心臓を強くノックした。

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