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第29話 寝起きの視界に入ったのは

 少し肌寒く感じる空気。  それを相殺するように、体を包み込む温もり。 (気持ちいい……)  心地よい温かさに身を寄せれば、熱源はぴたりと鷹也にくっついた。  弾力があり、さらりとした触感のそこは、どれだけ触れていても温かいままだ。    適温の熱と、手触りのいい接触面。  擦り寄り、微睡の中で温もりを堪能していると、もぞりと熱源が動き、鷹也との間に隙間ができた。 (離れていくな)  こんなに気持ちいい感触のものを逃してなるものか。  鷹也は手を伸ばして熱源を引き寄せ、足を絡めてホールドした。  すると、熱源がびくりと跳ね、またも鷹也から離れようとする。  それが許せず、鷹也はますます手と足に力を入れた。 「……鷹也、起きろ」 「ん……ぁ?」  掠れた低い声が鼓膜を震わす。  聞き慣れたその声に目を開けると、目の前には厚い胸板があった。  視線を上げると、渋面を作った翔がいる。 「え、と……これ、は……ごめん」  まさか抱き枕にしていたのが翔だったとは。  それだけでなく、普段から半裸で就寝する翔の胸に擦り寄っていた。 「寝ぼけてたんだろ? 気にすんな」  翔は鷹也の髪をぐしゃりと掻き回して撫でると、翔は流れるような動作で立ち上がった。 「シャワー浴びてくる。今日は休みだからゆっくりしてろ」    翔はバスルームに行くすがら、ぐっと両腕を挙げて伸びをし、肩を回す。  ついでに首もぐるりと回し、深呼吸。  パタンと軽くドアを閉めて、バスルームへと消えていった。    それから数十秒と経たず、微かにシャワーの水音が聞こえてくる。  起き抜けの鷹也には、それさえもけたたましく鳴り響く目覚まし時計の音のように感じた。    天井を眺めながら、徐々にはっきりとしていく意識。  体はあちこちが軋むように重く、瞼は熱を持っていて目が開けづらい。  久しぶり感じた強い疲労感に、鷹也は首を傾げる。 (俺、なんかしたっけ……?)  ベッドの上でぐっと伸び、寝っ転がったままできるストレッチをして体を解しながら記憶を漁っていく。  昨日は翔が休日だと言って、射撃を見学していた。  少しばかり口頭でコツを教えてもらい、そして、内海が慌ててやってきて……。 「ッ……!」  パチンッと泡沫が弾ける。  勢いよく飛び起きた鷹也は、昨日のことをすべて克明に思い出した。  日本のタワーで行われていた惨状を目の当たりにした。  そこから脱出するため、翔から拳銃を奪い、タワーの警備員に発砲した。  ここに戻ってきてからは翔に体を弄られ、熱を擦り合わせ、唇を重ねた……。 (お、れ……俺……)    何故、忘れることができたんだろうか。  寝起きだったとしても、あんな強烈な出来事を記憶の彼方に投げやるなど、間抜けもいいところだ。    考えることは山ほどある。  だが、目下の課題は翔の前でどう取り繕うべきか、だ。  流された――と言っていいのだろうか――とはいえ、想いを寄せている翔といやらしいことをしてしまった。  恥ずかしくて、嬉しくて、そして複雑だ。  想いを告げられないと思っていた人と肌を重ねられたことは幸せだった。  何もわからなくなるほど気持ち良くて……。  寝る直前に告げられたとおり、体も綺麗にしてもらっている。  そんな気遣いにも胸が躍った。  ただ、欲に溺れた姿を見られたことは恥ずかしい。  もう二度と起こり得ないことに、未練を覚える。  しかし、冷静になれば喜ぶだけでは済まないことに気付く。  仕掛けてきたのが翔とはいえ、あのまま流されてよかったのだろうか。  気持ちが通わないというのに、性的な関係を持って、本当によかったのか。  そして、これから翔とどう接していけばいい?    戸惑いと不安が胸のあたりで膨らみ、息苦しさを覚えた唇が戦慄いた。  思考をぐるぐる巡らせるが、いい考えは浮かんでこない。  腹にかかっていた薄い掛け布団を引き寄せ、意味もなくくしゃりくしゃりと手混ぜしていると、バスルームに繋がるドアが開いた。 「おい、大丈夫か?」  翔の声は怪訝な色を含んでいる。  さらりと清潔な服を着た彼は、心配だと言わんばかりに目尻が垂れている。  ただ、その態度はいつもと変わらず、動揺している様子もない。    鷹也ばっかりが昨晩のことを気にしていることに胸のあたりが騒つく。  そんな自分が余計に恥ずかしくなった。  いつまでも意識しているなんて情けない。  鷹也はふっと短く息を吐くと、努めて頬を緩めて頷いた。 「大丈夫だ」 「本当か?」  音もなく翔が鷹也の隣に腰を下ろす。  ぴたりと寄せられた体。  爽やかなボディソープの香りが鼻腔をくすぐる。  頬に添えられた手は優しく、視界がぼやけるほど間近に迫った目はじっくりと鷹也を観察している。 (ちっ近い……!)  態度はいつもと変わらない。  だが、距離感がおかしい。  翔が纏っている雰囲気もどこか違う。  こんなこと、今までなかった。  翔にどうやって接しようと悩んでいた鷹也にかけられる追い討ち。  ガチガチに構えていても、無意味だと思い知らされたような気がする。 「能力バランスは狂ってない。でも、精神が不安定だとコントロールが乱れる傾向にある。しばらくはこまめにガイディングしていくからな」 「え、そうなのか?」 「ああ。特に、鷹也はプレゼニングしたばっかりだからな」  触れられた頬が熱くなる。  何を勘違いしていたんだろうか。  翔はガイドとして、未熟なセンチネルである鷹也を心配しただけ。  昨夜のアレも、ゾーンにならないための措置だ。  鷹也がプレゼニングしたとき、翔は言っていたではないか。  粘膜接触した方がしっかりガイディングできる、と。    一人で舞い上がったり悩んだりしていたのが馬鹿みたいだ。  小さく何度も頷いて、微かなため息を誤魔化す。 「わかった。ガイディング、よろしく」 「任せろ。大丈夫なら、そろそろ飯、食いに行くぞ」  翔が親指を立てた右手で壁に掛けてあるアナログ時計を指した。  時計の針は十一時を示し、窓の外から漏れる光が午前中であることを知らせている。   「え、十一時⁉︎」 「寝過ぎたけど、たまにはいいだろ」  ニッと口の端を釣り上げて笑った翔は、なんだか上機嫌だ。   「そうだけど……仕事は?」 「休み」 「昨日の今日で大丈夫かよ?」 「大丈夫だ。指揮官不在でも動けるようになってる。ちゃんとリスク管理してるもんでね」 「それは知ってる」  昨日の救助作戦時、翔が前線で作戦行動をしていたのが何よりの証拠。  普通、指揮官は指揮本部で待機し、情報を集約、分析し、新たな指示を出すのが普通だ。  それをしなかったのは、翔がガイドとして飛び抜けた実力を持っているというのもあるが、緊急時も想定した指揮系統がしっかりしていることの表れでもある。  組織としての運用は完璧だ。  翔が休んだところで支障がないのは部外者である鷹也でもわかる。  したり顔で答えると、翔は「だろ?」と得意げに笑ったが、すぐに眉尻を下げて頭を掻いた。   「って格好良く言ってみたけどさ。内海先生から出禁を食らったのもある」 「出禁?」 「働きすぎだって前から言われていてな。鷹也と一緒に最低三日は休めだとよ」  はぁ……と、不貞腐れたような表情の翔はまるで子どものようだ。   「嫌なのか?」 「嫌じゃないけど、何もすることがないのは変な感じだ」 「社畜すぎ」 「悪かったな。あ……」 「何?」  翔の頬がじわじわと緩んでいく。  良いことを思いついたと言わんばかりの顔にすら、下火になっていた胸の熱が再燃する。  勘違いするなと諌めても、走り出した心臓は止まらない。  翔の言動にときめくのは、どう頑張っても止められそうになかった。   「上のレストランでブランチはどうだ?」 「賛成」 「準備したら行くか」 「おう」  鷹也と翔はのんびりと身支度を整え、隠されたエレベーターの前でサングラスと帽子で変装し、上階に出た。  そこでは、豪華客船ならではのゆったりとした時間が流れている。  まるで別世界だ。

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