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第30話 覚悟の違い

「フクロウの森」は、ランチの時間に差し掛かってきている。  鷹也と翔は賑やかな店内を歩き、ベフライエンの定位置の席に着いた。  テーブルに置かれたメニュー表には、美しく盛り付けられた料理が綺麗に写っている。  目移りした鷹也は選ぶのが面倒になり、翔と同じく日替わりランチを注文した。  食事が出てくるまで、鷹也は窓の外を眺める。  翔を意識して直視できなかったというのもあるが、食事のときくらい思考放棄したかったのだ。    刺すように降り注ぐ陽光。  季節は夏に移ろうとしている。  ふと、最近はエアコンがついていることを思い出した。    水平線の上に、ぽつりぽつりと影が見える。  島が見えるということは、陸地が近いのだろう。  どこかの港に着港するのも近そうだ。  ぼんやりとしていると、視界の端で翔以外の影を認めた。 「お待たせしました。日替わりランチです」 「ありがとうございます」  鼻腔をくすぐる良い匂い。  それは、鷹也の腹の虫を叩き起こした。   「美味そう」 「だな。バインミー、食ったことは?」 「名前だけは聞いたことがある。サンドイッチなんだ」 「そうそう。これ美味いんだよ」  皿の上には、こんがりと茶色に焼けたフランスパンに具が挟まったバインミーが二個並んでいる。  その隣には両手にすっぽり収まるくらいのスープ皿に、麺が入っていた。  これは鷹也も知っている。  フォーだ。   (セットなのはいいんだけど、これ、足りるか?)  今、鷹也は物凄く腹が減っている。  バインミーとフォーだけで腹がいっぱいになると思えない。    しかし、いざバインミーを手に取ると、それが杞憂だったと思い知った。  なぜなら、パンにはぎっしりと具が詰まっていたからだ。 「うっわ、重」 「ボリューム凄いよな。食べるとき、落とさないように気をつけろよ。俺はたまに落とす」 「まじか。これ、具は何? 大根と人参と……?」  鷹也が見る限り、鮮やかな色合いの大根と人参のサラダのようなものがぎっちりと詰まっている。  その上には彩りを添えるように緑色の野菜が可愛らしく載っていた。   「なますだな。その上のはパクチー。奥にチャーシューが挟まっている」 「へえ。いただきます」  鷹也は大きな口を開け、バインミーに齧り付いた。  ふんわりとしたパンの感触。  チャーシューの旨みと、なますの酸味、パクチーの爽快感が口内を駆け抜ける。 「美味い!」    その美味しさに目を見張り、一口目を飲み込むとすぐに二口目を口にする。 「だろ?」  翔も鷹也に負けない勢いで食べていく。  合間に、汗をかいたコップに並々と注がれたココナッツジュースを飲みつつ、フードファイターのようにバインミーとフォーを腹に収めた二人は、パンパンになった腹をさすった。 「思った以上に腹いっぱい。しばらく動きたくない」 「動かなくていいさ。休みなんだからな」  まだ半分あるココナッツジュースを飲みながら、小さな白波を立てる海を眺める。  腹が満たされると、気持ちにも余裕が出てきた。  どうせ三日は何もすることがない。  内海が気持ちを整理するために作ってくれた時間だ。  有意義に過ごさなければ。    鷹也は、未だぐちゃぐちゃに混線している思考をゆっくりと紐解いていく。  あのとき、多角的な視点から総合的にみて、拳銃を使ったのは正しい状況だったのか。  警察官でありながら、テロ行為に加担したことになるのか。  果たして、警察官として相応しい行為だったのか。  これからも胸を張って警察官であると言えるのか。  そこに、誰もが認める正義はあったのか?  考えなければならないことはまとめられたが、すぐには答えが出そうにない。  熟考するべきなのは当然だが、時間をかけた分、良い結論が出るとは限らない。  そして、冷静にならなければならない。    考え始める前から胸に巣食う、重く冷たい負の感情。  これをどうにかしなければ、自分の答えを出すのは難しいように思えた。 「翔」 「ん?」  名前を呼ばれた翔は、視線を海から鷹也へと移し、柔らかい声で短く返事をする。  優しい眼差しに許されたような気がして、鷹也は乾いた唇を舐めて湿らせると、翔にぽつりと疑問を投げかけた。   「どうやって割り切った?」  鷹也が今知りたいのは、このぐちゃぐちゃな感情をどうにかする方法だ。  同じような道を辿ってきた翔なら、それを知っているはず。  勿論、傷を抉るようで申し訳ない気持ちはあるが、鷹也は藁にもすがる思いだった。  翔は視線を落とし、眉を寄せて「うぅん……」と低く唸る。  徐々に眉だけでなく唇も鼻の方向へと寄っていき、顔のパーツが中心へと集まった。  まるでこれまでの苦悩を詰め込み、閉じこもったような顔だ。    雲が太陽の光を音もなく遮り、少しだけ辺りが暗くなる。  僅かな変化のはずだが、鷹也にはそうは思えなかった。  夜のような暗闇が襲ってきたような気がして、不意に心臓が駆け出す。 (やばい。これ、聞かれるの嫌だったよな)  謝ろうとしたとき、翔の顔がぱっと開いた。  そこに不快の色はなく、凪いだ海のように穏やかだ。  思っていた表情とは違い、鷹也の緊張が少し緩む。 「ごめん、待たせた」 「いや、そんなに待ってない」 「そうか? 考えを整理するのに手間取った」 「今更だけど、聞いてよかったやつ?」 「いいよ。可愛い後輩のためになるならお安い御用さ。なんだ、気にしてたのか?」 「さすがにな」  鷹也が肩をすくめると、翔はヒラヒラと手を振った。   「いいって。で、まあ、俺のことだけど。割り切ったわけじゃない。俺は躊躇わなかった。警察官という身分を捨ててでも、苦しんでいる人を助けたいって。合法じゃないとわかってても、その決意に迷いはなかった。そもそも、タワーに不法侵入したか時点でな」 「後悔は?」 「してない。ただ、仲間を裏切ったし、親に何も言わずに消えた。罪悪感はある。これは一生抱えるしかないと思ってるよ」 「そう、か」  鷹也と翔は当然ながら別人で、考え方も違う。  決断力と、葛藤を抱えたままでも真っ直ぐに突き進める強さ。  鷹也にはそれらが自分にあるのかないのかもわからない。  そもそも、覚悟が違ったのだ。  いつもなら、そんな強さを持った人に追いつきたいと闘争心を滾らせるはずだが、今はそんな気力は湧いてこない。  ただひたすら翔の強さに圧倒される。  そんな自分の心に、思っている以上に弱っているのだと自覚した。   「参考にならなくてすまない」 「いや、ありがとう」  結局は自分でどうにかしなければならない。  力なく感謝を伝えると、翔は鷹也の背中をそっと撫でた。 「気持ちを整理するのも、決断するのも鷹也自身だ。俺にできることはほとんどないけど、話を聞くことはできる。だから、ドツボにハマったら俺を頼れ」 「助かるよ」 「任せろ。そんで、自分の道を見つけろ」 「おう」  雲が流れ、太陽がまた顔を出す。  陽の光が海に反射し、波の揺れに合わせて海面が煌めいた。    鷹也の返事に頷くと、翔はまた穏やかな海を眺め始めた。  その横顔を、鷹也は飽きることなくじっと見つめ続ける。  やがて、自然と口角が上がっていった。  鷹也は一人ではない。  翔が一緒にいてくれる。  それだけで心強く、近いうちにきっと自分の進むべき道を探し当てることができると、根拠もなく確信した。

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