32 / 43

第31話 置いていくな

 豪華客船アテナは、とある大きな港に着港した。  窓から見える港町にはレトロな建物が並んでいる。  先の大戦前から現存する造形美のある建物は貴重だ。  鷹也もその存在を知っていて、機会があるなら中に入ってみたいと思っていた。  今は、船から出て見学することは叶わないが……。  着港したのは午前八時。  再び航海に出るのは午後七時らしい。  その間、どの国のタワーにも顔が把握されていない伊吹をはじめとした数人のベフライエン構成員の引率のもと、保護された能力者たちは変装し、港町へと遊びに繰り出した。  居残り組は、静かになった空間に寂しさを覚えつつ、ベフライエンへの出入口を警戒する者を除いて、今日ばっかりは休みだとして朝からのんびりと過ごしている。  鷹也と翔をはじめとする十数人は、観光組が出てすぐ食堂に集まり、普段は子どもたちに占領される大きな液晶画面に映画を写し、大人だけの鑑賞会を楽しんでいた。  物語は高校生たちが主人公の青春群像劇だ。  くるくると目まぐるしく変わる展開には胸が躍り、思春期ならではの葛藤では自分にもこんな時期があったとノスタルジックな気分になる。  友人とのすれ違いを描いたシーンでは、今すぐスクリーンの中に飛び込んでどうにかしてあげたいと体中がウズウズしていた。   「すげ。かなり前のやつだけど面白い」 「何度か観てるけど飽きないぞ。先の大戦中の映画で、映像データがほとんど残ってないらしい」  翔も気に入っている作品のようだ。  それは、生き生きとした表情を見ればわかる。  まるで学生に戻ったような明るい顔に翳りはない。  こんな環境でなければ、本来の翔は明るく溌剌と笑顔を絶やさない性格なんだろう。   「プレミアってやつ?」 「そう。この船のオーナーのご好意でいただいているものだ。これ以外の映画データも、な」 「へぇ……」    画質は少し悪いものの、気になるほどではない。  今からすれば古い演出方法であろうシーンも多くある。  だが、だからこそ新鮮で面白く感じる。  映画鑑賞の途中、鷹也の隣の椅子がことりと音を立てた。  心なしか美味しそうな匂いがする。  視線をやると、ぺこりと頭を下げて照れたように笑う陽介がいた。  彼の目の前には、ほかほかと湯気を立てているコーヒーと、鮭の塩焼きや味噌汁などの懐かしい日本の朝食が並んでいる。 「あれ、今朝飯?」 「はい。休みだから気が抜けたみたいで、すっかり寝坊しちゃいました」 「たまにはいいだろ」 「ですかね」    えへへとリラックスした笑みを浮かべた陽介は、行儀良く両手を合わせて「いただきます」と挨拶し、朝食という名のブランチを食べ始めた。  上品な所作は、彼が上流階級育ちであることの証左だ。  ベフライエンに連れ去られたときは、混乱と恐怖で震えて泣いていた。  それが、今では陽介は世界の実情に嘆き、ベフライエンの正義に共感し、信念を持って立派に「先生」として教壇に立っている。 (成長、早いなぁ)  陽介は、確かに前に進んでいた。  悲惨な現実から目を背けることもなく、自分の意思で信じる道を選び、立ち止まることはない。  その姿は、今の鷹也にはとても眩しく感じた。  鷹也といえば、未だ迷いの中にいる。  何度もあの離島でのことを思い返し、自身の行いが正しかったのか、進退をどうすればいいのかを自問自答し続けていた。    目の前にあるふたつの道。  どちらも、その先に続くはずの道の先は濃い霧に隠されていて見えない。  前に進むことも後退することもできず、鷹也は足踏みするばかりだ。  あの日からずっと考え続けてきた。  考えすぎて、どうしたらいいかわからなくなっている。  今日くらいは、気分転換で何も考えないことにしよう。  コーヒーのおかわりを持ってきた翔が、そっと席に座る。  ついでとばかりに鷹也の前にも湯気が立ち昇るカップが置かれた。  鷹也の好み通り、ミルクたっぷりだ。 「ありがとう」 「どういたしまして」  ふわりと微笑んだ翔は、コーヒを口元に持ち上げたまま画面に視線を戻した。 (ああ、もう……ッ止まれ!)  とくとくと逸り出した心臓に命令するが、それは知らん顔をして胸を叩き続ける。  抜き合い――のはずだ――をしてからというもの、翔は鷹也に対して甘い。  鷹也が好きなミルクたっぷりのコーヒーより甘い。  もはやただのミルクだ。    翔は元々気配りができるタイプだが、以前にも増して鷹也を気遣っているのがわかる。  打てば返すような言葉の応酬も変わらずあるが、前にも増して勢いがある気がする。  何より、向けられる視線が柔らかく、どことなく甘さがあるような気がしてならない。  きっと鷹也の勘違いだ。  翔は後輩を可愛がっているだけで他意はない。  それなのに、鷹也の心臓は諌めても期待して勝手に突っ走っていく。  困ったものだ。  心臓の音が聞こえていないだろうか。  不安になり、誤魔化すためにコーヒーを飲もうとしたときだ。 「大変です! アテナにガサ入れです!」  バンッと乱暴にドアが開け放たれ、ベフライエンの出入口を警戒していた構成員が青い顔をして飛び込んできた。   「どういうことだ⁉︎」 「詳しくはわかりませんが、アテナの中で麻薬密売が行われていたようで……。売人はまだ船の中にいるらしく、全客室を探すと」  キンッと、食堂の空気が凍る。  翔の問いに早口で答えた構成員は、震えながらこう続けた。   「先程、乗船口は完全に閉められたそうです。順番に回るから、終わるまで部屋の外に出るなと指示もありました」 「ここが見つかるのも時間の問題だな」  眉間に皺を寄せた翔が止まったのも一瞬のこと。   「脱出計画通りに動く! 早々に逃げるぞ!」 「はい!」    止まっていた時間が動き出す。  返事と同時に、構成員たちは定められた計画通りに動き始めた。  鷹也は脱出計画など知らない。  冷たく迅る心臓を抱えたまま翔を見る。 「俺はどう……」  動けばいい?  そう聞こうとしたが、翔に遮られた。 「鷹也は置いていく」 「置いていく? なんで⁉︎」  鷹也と翔以外、誰もいなくなった食堂に、鷹也の怒号が響く。  なぜ、翔は鷹也を置いていくなんて言うのだろうか。    陽介はすでに脱出の準備のため、食堂から飛び出した。  鷹也と同じタイミングでベフライエンに来て、鷹也よりも年下なのに。  陽介がベフライエンとともに脱出して、鷹也も同じようにできないのは何故なのか。  突き放された原因がわからず、鷹也は翔の肩を掴んだ。 「俺はまだ何も決めていない。決められていない」  翔は、鷹也が後悔しないようにしっかり考えろと言った。  その言葉に甘え、未だ決断していない自分の弱さは認める。  だが、だからこそ、その決断のときまでベフライエンに留まることが当然だと思っていたというのに。   「だからだ。鷹也はまだ戻れる。この国のタワーはまともだ。手厚く保護してくれるし、ちゃんと日本に帰れる」 「でもっ……ん、ふ……⁉︎」  重なった唇。  鷹也の息さえ奪うような、噛みつくキス。  後頭部に回された手は鷹也の動きを封じ込めるように力強く、掴んでいた翔の肩を押しても逃れられない。    翔は、口付けで鷹也を黙らせようとしている。 (考えて、考え抜いて、自分の道を見つけろって言ったのは翔じゃねえか!)  ギッと睨みつける先に、翔の目がある。  それは切なげに細められている。  潤んだ瞳は許しを乞うようでいて、離れるなと語っているようにも見える。  そんな目をしているくせに、鷹也のことを途中で放り出すというのか。 「んッ……は、かけ……る……んぅ……」  いやだ。  置いていくな。  その言葉さえも言わせてもらえない。  目尻から涙の粒が転がり落ちていく。  ここで翔たちと離れたら、もう会えない。  会えたとしても、きっと敵としてだ。    悔しい。  悲しい。  胸が張り裂け、心臓から血が流れていく。 (離れてやるかよ……!)  翔の体を引き剥がそうとした手を翔の背に回し、がっしりと翔の体をホールドする。  もう時間がない。  これで翔は鷹也を置いていけないだろう。  そう高を括ったが、それが誤算だと気付いたのはすぐだった。  急激に力が抜けていく。  意識が遠のき、目を開けていられない。  がくりと崩れ落ちた鷹也の体を、翔は力強く抱きとめた。 「なに、を……」  何をした。  そう問いかける言葉は途切れた。  もう意識を保っていられない。  翔が耳元で何か囁いている。  だが、鷹也の耳には言葉として入ってこない。  拒絶の痛みを胸に、翔の体温を感じながら、鷹也の意識は真っ暗な波に飲み込まれていった。

ともだちにシェアしよう!