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第32話 目覚め
酔いそうなほど強く感じる清潔な消毒液の匂い。
ポツッ……ポツッ……と規則的に響く水音。
体を包む柔らかなシーツの感触。
瞼を開ければ、強烈な光に襲われた。
「どこだ……?」
何度も瞬きをして周囲を確認すると、白い空間にいることがわかった。
体が横たえられたベッドの脇には銀色の支柱に点滴バッグが吊り下げられ、透明なチューブが鷹也の左腕に刺さっている。
そして、腹の上には青白く発酵する鷹が鎮座していた。
「うわッなんだぁ……⁉︎」
がばりと飛び起きると、鷹は翼を広げて素早く鷹也の太ももの上に移動した。
ピシャッと鳴いたそれは、鷹也の顔を見上げてくる。
じっと鷹也の顔を見るが、襲いかかってくる気配はない。
それどころか、鷹也が目覚めたことに安心するように、クルルと喉を鳴らしている。
「心配してくれていたのか?」
答えてくれるわけもない。
そう思いつつ問いかけると、鷹は満足したように翼を羽ばたかせた。
どうやら言葉が通じるようだ。
鷹也の身を案じてくれている。
それがわかれば、その正体がわからなくてもとりあえずはいい。
鷹也は小さく息をついた。
問題は、ここはどこなのかということだ。
病室なのは間違いないが、何故こんなことになっているかわからない。
昨日は銀行強盗を確保した。
当直が終わったあとは、行きつけの銭湯で体を癒し、それから……。
「覚えて、ない」
大切なことを忘れている。
絶対に思い出さなければならないことがある。
漠然と、だが、はっきりと確信した。
早く思い出さなければと、焦燥が胸を焼いていく。
まずは現状把握だ。
体は問題なく動く。
個室である病室はベッドとクローゼット、トイレが完備される。
ベッドの頭側の壁にはナースコールボタンがあった。
鷹也はひとまずそれを押して看護師を呼ぶ。
すると、すぐに部屋に来たのは医師と看護師だった。
その姿を見た瞬間、鷹は翼を大きく広げてピシャーッと威嚇する。
「え、なんで? おい、落ち着けって」
鷹也がその背中を撫でると、それは恨めしそうに鷹也を睨め付ける。
そして、渋々といった様子で翼をたたみ、鷹也の膝にちょこんと座った。
「ここ……ああ、ここは日本にあるタワーの病棟です。ここに来てからずっとですよ。ですので、大変申し訳ないのですが、榎本さんが眠っている間の処置は最低限です。榎本さんのスピリットアニマルですから、どうにかできるものではありませんでした」
「スピリットアニマルって……? え、俺の?」
「ええ。覚えていませんか?」
医師の怪訝な顔を見て、鷹也の背筋は凍りついた。
やはり、大事なことを忘れてしまっている。
鷹也は医師の話を聞いて、冷や汗が止まらなくなった。
「どこかのタイミングでプレゼニングして、でもその間の記憶がない?」
「はい。榎本さんがベフライエンの船から救出されたとき、手足を縛られ、気を失っていました。現地の病院からここに移送する間、五日間眠ったまま。昏睡も記憶喪失も原因は不明ですが、おそらくショック性のものかと」
「ベフライエン……? あの、記憶は戻りますか?」
「わかりません。次第に戻る可能性もありますが、今は何とも……」
首を横に振る医師の様子を見る限り、記憶が戻る可能性は五分五分のようだ。
鷹也は膝の上のスピリットアニマルを見遣る。
(お前は覚えているのか?)
ベフライエンの船で拘束されていたということは、鷹也は記憶を失っている期間の間にプレゼニングし、ベフライエンに拉致されたんだろう。
だが、誰の目から見ても衝撃的なことだというのに、まったく覚えていない。
魂が現実世界に顕現したのがスピリットアニマルだ。
肉体とは違う性質を持つなら、覚えているようにも思える。
だが、その不機嫌な様子から疑問の答えを窺い知ることはできない。
「それで、ですね。榎本さんは五感すべてにかかるセンチネルです。今のところゾーンになるまでは至っていませんが、念のためガイディングをしたいのです」
「はぁ……」
戸惑いながら頷くと、説明していた医師の斜め後ろに控えていた男性看護師が進み出た。
途端、膝の上の鷹が翼を広げ、ピシャーッと繰り返し鳴いて威嚇する。
その姿はまるで騎士だ。
鷹也のスピリットアニマルであるこの鷹が、何故このようにピリピリしているのかはわからない。
タワーといえば、センチネルとガイドを保護、教育していく機関だ。
鷹也の味方になることは間違いないというのに、この反応。
(何かあるのか?)
チリリと胸が焼け焦げる。
だが、センチネルはガイディングを受けなければゾーンになってしまう。
鷹也はその背中を撫でて宥め、胴体をそっと掴んで医師たちとは反対側のベッドに移動させる。
抗議は鷹也にも向いたが、鷹也の「じっとしていろ」の言葉に嫌な顔をしつつ従った。
「すみません。お願いします」
「では、始めますね。ガイディングのため、手を繋ぎます」
手のひらを上にして差し出された男性看護師の手。
そこに手を置けということだろう。
鷹也はおずおずと両手を伸ばす。
指先が差し出された手に触れる直前、指先から悪寒が走った。
「ッ……!」
鷹也は咄嗟に手を引っ込めた。
悪寒は体中を巡り、こめかみがピリッと痺れる。
胸の奥からは嫌悪感も込み上げてきて、体も魂も、彼からのガイディングを拒絶していた。
「どうしましたか?」
「いや、あの……」
この妙な感覚をどう説明したらいいのだろうか。
言い淀んでいると、無遠慮に手が伸びてくる。
鷹也は堪らず枕を掴んでそれでガードし、点滴が外れるのも構わずベッドから飛び降り、窓際まで後退した。
スピリットアニマルの鷹は、そんな鷹也の肩に飛び乗り、再び翼を広げて医師たちを威嚇する。
「本当にすみません! なんか、変な感じがして嫌なんです」
「ですが、ガイディングをしなければゾーンになってしまいます」
ジリジリとにじり寄ってくる医師たちの圧。
ガイディングの必要性は理解できる。
だが、今のところ鷹也には頭痛などの症状はない。
先程問診した彼らは、それをわかっているはずだ。
何故、執拗にガイディングをしようとするのか。
ただただ気持ち悪い。
腕には鳥肌が立ち、口の中が乾いていく。
「榎本さん。拒否すれば強制措置になってしまいます」
脅迫とも取れる医師の発言。
おそらく鷹也を従わせようとしたのだろうが、逆効果だ。
今の鷹也には忌避感が増すばかり。
「明日にしてください」
「それでは遅いのです」
何が遅いというのか?
医師たちに不信感が募っていく。
そうすると、ここが本当に日本のタワーなのかも疑問に思えてきた。
ここはタワーではなく、能力者を誘拐していく悪名高いベフライエンではないのか?
ちらりと背後の窓に視線を向ける。
(三階、下には生垣……飛び降りても平気そうだ)
これくらいの高さなら余裕だ。
医師たちはセンチネルやガイドのようであるが、例え能力者だったとしてもSAT隊員である鷹也の身体能力についていけるわけがない。
逃げるなら、今だ。
正面を向いたまま後ろ手に窓の鍵を開けようとしたとき、ゆっくりと三回、ドアをノックする音が響いた。
返事を待たずして開けられたドア。
「榎本のガイディング、うちの隊員に任せてもらえませんか?」
そこには、鷹也が所属するSATで任務を共にしている、杉浦をはじめとする仲間たちだった。
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