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PAST/朝宮伊佐希 俺と獣
——俺の中には、小さい頃から『獣』がおる。
その『獣』は、俺のいうことなんか聞かへん。怒りを感じた瞬間、俺の意識を喰らって、衝動のまま暴れまわる。
気がついた時には、目の前はいつもグチャグチャや。物は壊れて、みんな俺に怯えとる。殴られた奴らは、ボコボコの顔で必死に謝っとる。
そんなんやから、俺が生まれた街に居られんようになるのも当然やった。
小2でクラスメイトを大怪我させて、学校からも近所からも危険な子ども扱いになってもうたから、親父が引っ越すって決めた。
俺がやったんはわかっとる。
でも、『獣』のせいで俺は悪くないんやって訴えた。
けど、親父は俺に言うた。
「伊佐希。たとえどんな理由があろうと、お前が人を傷つけた事実は変わらないんだ」
「制御できない衝動も、お前の一部だ」
いかにも警察らしい言葉やった。
ぐうの音もでぇへんような正論で殴られた俺は、そっから反論する気もなくなった。
そして俺らは、一家で東京に引っ越した。
着いたばかりの日。俺は家に居たなくて、引っ越しの手伝いほっぽって外に出かけた。
大阪と違うて、東京は人も建物も、ぎゅうぎゅうに詰められたような街やと思った。そんな狭苦しい景色を眺めてたら、急に息苦しいような気がして、すげぇ不安になった。
——俺はこの街でも暴れて、すぐにおられんようになるんやないか。
こんなにぎょうさん人がおったら、俺はまたすぐにキレて、『獣』になるんちゃうか。
どこに行っても、俺は変わらん。
友達なんて出来るわけあらへん。
出来たとしても、みんなすぐに離れてく。
親父が言った通りや。
『獣』は俺の一部で、捨てることなんて出来へんのやから。
知らん街。
知らん人の群れ。
そん中をひとりで歩きながら、俺は思った。
こんなもん、大阪に捨ててこれたらよかったのに。
いらないペットをポイっと放すように、責任とか、罪悪感とか、嫌なもん全部まとめて捨てられたらよかったのにって。
でも、そんなん無理なんや。
俺はこの厄介な『獣』と生きていかなあかん。
これから、ずっと、一生。
——重い気分のまま歩いてた。
そんな時、曲がり角の先で、ビックリするような光景に出会った。
どっかの家。
玄関横の庭で飼われとるでっかい犬と、でっかい犬小屋。
小屋のそばには立て看板があって、「かみつきます。この犬にちかづかないでください」って赤字で書かれとった。
そこにおるのは、どうみても獰猛な大型犬やった。近づいたら吠えたてて、がぶりと噛みついてきそうな犬やった。
なのにそんな場所で——ちょこんとしゃがみこんで、その犬を撫でとる男の子がいた。
(なにしてんねん、あいつ……)
息飲んで、思わずじっと見てもうた。
その手つきはおそるおそるやなく、慣れたように優しく、まるで犬の気持ちがわかっとるようやった。
ちっちゃい手に服従するみたいに、猛犬は耳を伏せとった。とろけた目ぇを細めて、気持ちよさそうに男の子にスリスリしとった。
(……すげぇ)
ふと、男の子が顔を上げた。
俺の視線と、ばっちり目が合うた。
ぱちん、と音がした。
……気がした。
男の子は人懐っこい顔で笑って、ビー玉みたいに透き通った目で、ぽつりと言った。
「ナオのこと、見てた?」って。
(……可愛い)
思えばきっと、初めて誰かを「可愛い」と思ったんは、たぶんこの瞬間やった。
そしてその瞬間、俺の中の『獣』が、やけにハッキリ目を開いたような気がした。
獲物を見るような目が、ギラッとして。
その男の子のこと——ナオって子のことを、ずっと見てた。
ナオは犬を撫でる手を止めて、ゆっくり立ち上がった。まんまるい顔は幼くて柔くて、長いまつげに縁取られた瞳は、じーっと俺を見つめてた。
「きみ、だれ?見たことない子だね」
穏やかで、けどほんの少しだけ人懐っこさがにじんどる、優しい声やった。
俺は一瞬、言葉を詰まらせた。
この町に引っ越してきてからまだ誰とも喋ってへんくて、喋ってもええんかなって、柄にもなくオドオドしてた。
でも、勇気出して、俺は名乗った。
「お、おれ……朝宮伊佐希いうねん」
「あさみや、いさき」
ナオは、ふんわりとした笑みを浮かべた。
「へんな名前」
「へ、変やろか……?」
「うーん、でもちょっとカッコいいかも。それに、変わったしゃべり方だね」
そう言って笑ったナオの顔は、全然バカになんてしてへんくて。楽しそうな笑顔に、俺はなんかこう……胸の奥を、ぎゅっと掴まれたような気がしたんや。
「……なんでこんなおっかなそうな犬、撫でてたん?」
聞いてみたらナオは首を傾げて、目をぱちくりさせて俺を見た。
「ぜんぜんこわくないよ?いい子だよ?」
当たり前のように言うその声は、信じられへんくらいまっすぐな響きをしとった。
犬はナオの横に伏せてて、まったく警戒する素振りを見せへん。獰猛さなんてどっかに捨てたみたいに、人懐っこく「くぅん」なんて甘えとる。
そんな光景に、俺の中の『獣』が、ぴたりと唸りを止めた。
——不思議な感覚やった。
ザワザワした胸の奥がひっそりとおさまって、静かになって。
俺を脅かしてたものがまるで、消えてなくなったみたいで——
「ナオはね、犬だいすきなんだ!」
もっかいしゃがんで撫ではじめると、ぱっと笑ってたナオが、すぐに寂しそうな顔をした。
「でもウチ、おねえちゃんが犬アレルギーだから飼えないの」
「そう、なんや」
「だからここに来ると、この子がいてうれしいんだ。ほんとはちゃんと名前あるから、かってにつけちゃダメなんだろうけど……」
ナオは犬の頭を撫でながら、俺に内緒話をするみたいにこっそり囁いた。
「ナオ、この子のこと、『ごんた』って呼んでるんだ」
「ご、ごんた……?へんな名前やな」
「へんじゃないよ~!かわいいじゃん、ごんた!」
ナオが笑うと、犬の耳がぴくりと動いた。犬はすっかりナオに懐いて「ごんた」気取りや。
——お前、「シュヴァルツ」いう大層な名前あるんちゃうんか。犬小屋に書いてあるやろ。
内心ツッコんでたら、犬は俺のことギロッて睨んで、いきなり「ウゥ〜!」って唸り出した。
野生のカンか、それともナオに対する忠誠心なんか。どっちにしても、「いい子」がする反応やなかった。
「こら、ごんた。ウーしたらメッだよ。いさき、なんにもしてないでしょ?なかよしなかよし、だよ」
そう諭したナオに、俺の胸がジワジワ熱くなっていった。
ごんたやなくて、俺と『獣』が撫でられてる気分やった。頭も心も、ナオの手で「よしよし」ってされてる気分やった。
(なんやねん、この気持ち……)
——この子の言葉なら、どんな風でも、なんか嬉しくなってまう。
ドキドキする胸んとこぎゅっと掴んで、俺はずっとナオのことを見てた。
あったかい気持ちがいっぱいになって、ナオと一緒にいたいとか、ナオともっと話したいとか、そんなことで頭がいっぱいやった。
——それが一目惚れだなんて、思いもせんまま。
俺はその日から、ナオのことをずっと、追っかけ続けるのやった。
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