9 / 9

PAST/朝宮伊佐希 俺と獣

 ——俺の中には、小さい頃から『獣』がおる。  その『獣』は、俺のいうことなんか聞かへん。怒りを感じた瞬間、俺の意識を喰らって、衝動のまま暴れまわる。  気がついた時には、目の前はいつもグチャグチャや。物は壊れて、みんな俺に怯えとる。殴られた奴らは、ボコボコの顔で必死に謝っとる。  そんなんやから、俺が生まれた街に居られんようになるのも当然やった。  小2でクラスメイトを大怪我させて、学校からも近所からも危険な子ども扱いになってもうたから、親父が引っ越すって決めた。  俺がやったんはわかっとる。  でも、『獣』のせいで俺は悪くないんやって訴えた。  けど、親父は俺に言うた。 「伊佐希。たとえどんな理由があろうと、お前が人を傷つけた事実は変わらないんだ」 「制御できない衝動も、お前の一部だ」  いかにも警察らしい言葉やった。  ぐうの音もでぇへんような正論で殴られた俺は、そっから反論する気もなくなった。    そして俺らは、一家で東京に引っ越した。  着いたばかりの日。俺は家に居たなくて、引っ越しの手伝いほっぽって外に出かけた。  大阪と違うて、東京は人も建物も、ぎゅうぎゅうに詰められたような街やと思った。そんな狭苦しい景色を眺めてたら、急に息苦しいような気がして、すげぇ不安になった。  ——俺はこの街でも暴れて、すぐにおられんようになるんやないか。  こんなにぎょうさん人がおったら、俺はまたすぐにキレて、『獣』になるんちゃうか。  どこに行っても、俺は変わらん。  友達なんて出来るわけあらへん。  出来たとしても、みんなすぐに離れてく。  親父が言った通りや。  『獣』は俺の一部で、捨てることなんて出来へんのやから。  知らん街。  知らん人の群れ。    そん中をひとりで歩きながら、俺は思った。  こんなもん、大阪に捨ててこれたらよかったのに。  いらないペットをポイっと放すように、責任とか、罪悪感とか、嫌なもん全部まとめて捨てられたらよかったのにって。  でも、そんなん無理なんや。  俺はこの厄介な『獣』と生きていかなあかん。  これから、ずっと、一生。  ——重い気分のまま歩いてた。  そんな時、曲がり角の先で、ビックリするような光景に出会った。  どっかの家。  玄関横の庭で飼われとるでっかい犬と、でっかい犬小屋。  小屋のそばには立て看板があって、「かみつきます。この犬にちかづかないでください」って赤字で書かれとった。  そこにおるのは、どうみても獰猛な大型犬やった。近づいたら吠えたてて、がぶりと噛みついてきそうな犬やった。  なのにそんな場所で——ちょこんとしゃがみこんで、その犬を撫でとる男の子がいた。 (なにしてんねん、あいつ……)  息飲んで、思わずじっと見てもうた。  その手つきはおそるおそるやなく、慣れたように優しく、まるで犬の気持ちがわかっとるようやった。  ちっちゃい手に服従するみたいに、猛犬は耳を伏せとった。とろけた目ぇを細めて、気持ちよさそうに男の子にスリスリしとった。 (……すげぇ)  ふと、男の子が顔を上げた。  俺の視線と、ばっちり目が合うた。  ぱちん、と音がした。  ……気がした。  男の子は人懐っこい顔で笑って、ビー玉みたいに透き通った目で、ぽつりと言った。  「ナオのこと、見てた?」って。 (……可愛い)  思えばきっと、初めて誰かを「可愛い」と思ったんは、たぶんこの瞬間やった。  そしてその瞬間、俺の中の『獣』が、やけにハッキリ目を開いたような気がした。  獲物を見るような目が、ギラッとして。  その男の子のこと——ナオって子のことを、ずっと見てた。  ナオは犬を撫でる手を止めて、ゆっくり立ち上がった。まんまるい顔は幼くて柔くて、長いまつげに縁取られた瞳は、じーっと俺を見つめてた。 「きみ、だれ?見たことない子だね」  穏やかで、けどほんの少しだけ人懐っこさがにじんどる、優しい声やった。  俺は一瞬、言葉を詰まらせた。  この町に引っ越してきてからまだ誰とも喋ってへんくて、喋ってもええんかなって、柄にもなくオドオドしてた。  でも、勇気出して、俺は名乗った。 「お、おれ……朝宮伊佐希いうねん」 「あさみや、いさき」  ナオは、ふんわりとした笑みを浮かべた。 「へんな名前」 「へ、変やろか……?」 「うーん、でもちょっとカッコいいかも。それに、変わったしゃべり方だね」  そう言って笑ったナオの顔は、全然バカになんてしてへんくて。楽しそうな笑顔に、俺はなんかこう……胸の奥を、ぎゅっと掴まれたような気がしたんや。 「……なんでこんなおっかなそうな犬、撫でてたん?」  聞いてみたらナオは首を傾げて、目をぱちくりさせて俺を見た。 「ぜんぜんこわくないよ?いい子だよ?」  当たり前のように言うその声は、信じられへんくらいまっすぐな響きをしとった。  犬はナオの横に伏せてて、まったく警戒する素振りを見せへん。獰猛さなんてどっかに捨てたみたいに、人懐っこく「くぅん」なんて甘えとる。  そんな光景に、俺の中の『獣』が、ぴたりと唸りを止めた。  ——不思議な感覚やった。  ザワザワした胸の奥がひっそりとおさまって、静かになって。  俺を脅かしてたものがまるで、消えてなくなったみたいで——   「ナオはね、犬だいすきなんだ!」  もっかいしゃがんで撫ではじめると、ぱっと笑ってたナオが、すぐに寂しそうな顔をした。 「でもウチ、おねえちゃんが犬アレルギーだから飼えないの」 「そう、なんや」 「だからここに来ると、この子がいてうれしいんだ。ほんとはちゃんと名前あるから、かってにつけちゃダメなんだろうけど……」  ナオは犬の頭を撫でながら、俺に内緒話をするみたいにこっそり囁いた。 「ナオ、この子のこと、『ごんた』って呼んでるんだ」 「ご、ごんた……?へんな名前やな」 「へんじゃないよ~!かわいいじゃん、ごんた!」  ナオが笑うと、犬の耳がぴくりと動いた。犬はすっかりナオに懐いて「ごんた」気取りや。  ——お前、「シュヴァルツ」いう大層な名前あるんちゃうんか。犬小屋に書いてあるやろ。  内心ツッコんでたら、犬は俺のことギロッて睨んで、いきなり「ウゥ〜!」って唸り出した。  野生のカンか、それともナオに対する忠誠心なんか。どっちにしても、「いい子」がする反応やなかった。 「こら、ごんた。ウーしたらメッだよ。いさき、なんにもしてないでしょ?なかよしなかよし、だよ」  そう諭したナオに、俺の胸がジワジワ熱くなっていった。  ごんたやなくて、俺と『獣』が撫でられてる気分やった。頭も心も、ナオの手で「よしよし」ってされてる気分やった。 (なんやねん、この気持ち……)  ——この子の言葉なら、どんな風でも、なんか嬉しくなってまう。    ドキドキする胸んとこぎゅっと掴んで、俺はずっとナオのことを見てた。  あったかい気持ちがいっぱいになって、ナオと一緒にいたいとか、ナオともっと話したいとか、そんなことで頭がいっぱいやった。    ——それが一目惚れだなんて、思いもせんまま。  俺はその日から、ナオのことをずっと、追っかけ続けるのやった。  

ともだちにシェアしよう!