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深夜0時。 針が重なる一瞬、短針の腕がふいに僕を抱き寄せた。 いつもなら、学生もいないこの時間帯は少し眠くなる。静まり返った大学に「カチ、カチ」と僕らの音だけが響く。 なのに、その腕に触れた途端、胸の奥が強く跳ねた。眠気なんて、とっくにどこかへ消えている。 僕らは1時間に一度だけ、針が重なり始める前後10分だけ、声が届く。そのたった20分弱が、僕らに与えられた会話のすべてだ。 それ以外の時間はどんなに呼んでも、声は届かない。不便だけど、それが嫌いなわけじゃない。ずっとそうだったし、それが僕らの日常だと思っていた。 その短い時間に、僕と短針はいつもたわいもない話をしていた。 「今日さ、11時に、ここで待ってた子。ずっとひとりだったよね」 「ああ。……相手の男が遅れてたな」 「そうだよ、30分以上だよ?今日は特に寒い日なのに。ひどすぎだろ」 「気持ちが残ってないと、人は平気で待たせる。あの男の顔がそうだった」 短針は、人の感情に妙に詳しい。 僕が見逃す細かな仕草も、全部拾う。 「でもさ、あの子……スマートフォンを何度も触ってたよね。あれって、不安なときに落ち着こうとする癖、じゃない?」 短針はわずかにまぶたを伏せて言う。 「……ああ。自分は大丈夫って確認したくなるんだろ。返事がなくても、画面を開けば何か繋がってる気がする。そういうときほど、余計に孤独が滲む」 僕らは大学の象徴、時計台の中の短針と長針。正確な時間を刻んでいるけど、学生たちは手元の光る板……スマートフォンで時間を見ている。 そんな名前を覚えたのも、短針が教えてくれたからだ。 「それに……スマートフォンがあるとさ、僕らのこと、誰も見なくなるんだよね」 カチカチと進みながら、わざと拗ねてみせる。 短針は、すぐには返事をしなかった。ほんの一瞬だけ僕の方に視線を寄越したあと、ぽつりと言った。 「……見なくていいよ。どうせ、学生たちは俺たちには興味なんてないんだろ」 「……え?なんか、含みある言い方」 短針は黙って、遠く眺めるように視線を外した。その口元が、ふっと笑った気がする。皮肉とも、照れともつかない、そんな笑いだ。 「ああ、悪い。そういう意味じゃないよ」 短針は肩をすくめて、軽い声で続けた。 「ただ、あいつらの会話、よく聞こえるんだ。『これ壊れそう』『時間ズレてるよな』とかさ。笑えるだろ?」 「……そんなこと言ってたの?」 「昼の連中は特にだな」 今度は少しあきれたように笑う。 「スマートフォンと見比べて『こっちは信用できねえ』とか『まあ写真だけ撮っとくか』とか」 淡々としているのに、言葉の端々には聞いている量の多さと、観察の鋭さが隠しきれない。 「……そっか。だから、興味ないって……」 「まあな」 短針はそこで、ほんの少しだけ柔らかく笑った。 「……見られなくて寂しいのなら、逆に、お前が見てやれよ。回れるんだろ?」 短針はわざとぶっきらぼうに針先を揺らし、少し照れたように、続けて言う。 「誰が笑ってて、誰が泣きそうか……お前なら、全部見てこられるじゃないか」 その言い方は不器用なのに、どこまでも優しい。胸の奥が、ちくりと痛いように温かい。 「はは……まぁ、そうだな。それもいいか。…だけどほんと短針は物知りだよな。なんでそんな詳しいの?」 短針は少しだけ目を細めた。 「……お前が回ってる間、俺はずっとここで、あいつらの言葉を聞いてるからだよ。 静かなときほど、よく聞こえるんだ」 その言葉のあとだった。 0時0分の深夜。短針と長針が重なる時。 短針が僕を、ためらいもなく抱き寄せた。 「っ……な、なに急に」 「あはは。そんな驚くなよ。……重なったから、触れたくなっただけだ」 軽い調子なのに、声の奥に熱があった。 時間が止まったように思えた。 胸が痛いほど締めつけられて、息を吸うのを忘れた。 その瞬間、はっきり分かった。 僕にも心臓がある。触れられたら熱くなるし、嬉しくて、少し怖くもなる。時計の針でも、ちゃんとドキドキする。 そしてその後… 夜のあいだ、重なるたびに短針は無言で抱きしめてきた。 日中は知らん顔してるくせに、夜は急に距離が近い。そのギャップが、余計に気になってしまう。 次に声が届く時が、妙に待ち遠しい。理由はまだちゃんと言葉にできない。でも、知りたいと思っている。 月だけが照らす深夜。 誰もいない静かな時計台。 その中心で、静かに、確かに、僕らの恋が動き始めた。

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