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Beneath the Clock Tower ___時計台の下で動く時間
夜の街は、年末特有のざわめきをまとっていた。
忘年会帰りの笑い声、終電を急ぐ足音。
肩に重みを感じながら歩くには、少しだけ騒がしい。
ふと、顔を上げる。
そこには、いつもの時計台があった。
夜の空気に溶け込みながらも、不思議と輪郭だけははっきりしていて、相変わらず、この時計台は美しいと思う。
この街で暮らすようになって、何度となく見上げてきた景色だ。
誰かを待つときも、急いでいるときも、
ただ帰るだけの夜にも、そこにあるのが当たり前の存在。
高い場所で、針は変わらず時を刻んでいる。
___その下で、俺は今、背負っている。
肩にずしりと重みを預けてきたのは、西島奏汰。本日の主役だ。
新米歓迎会。……正確には、雇ってからだいぶ経ってしまい、年末の忘年会にかこつけてようやく開かれた歓迎会だった。
「……ほんとに俺は、なにをやってんだか」
夜風にさらされながら、背中で寝息を立てる奏汰を担ぎ直す。
同僚講師たちは「送り狼かよっ!」「お持ち帰りか〜!」と、酒の勢いで散々冷やかしてきた。
昔の俺なら、そういう誤解も半分は事実だったかもしれない。
だが今は……そんなことも、もう疲れた。
思い返せば、飲み会の序盤から妙に視線を感じていた。
それは案の定、奏汰だ。
俺を見るたびに『軽薄な人間』という目をして、じっと警戒している。
高校教師を退職し、うちに来た新人だが、どうやら奏汰は俺のような人間が大の苦手らしい。
「司先生って、ほんと余裕ありますよね〜」
「生徒にも保護者にもモテモテだし〜」
同僚たちにそう冷やかされるたび、俺はわざと肩をすくめて軽口を返す。
冗談半分の笑みを浮かべ、チャラチャラとした軽薄な男を演じるのは、場を和ませるためだ。
……だが、奏汰にとっては、軽薄そのものにしか見えなかったらしい。
酔いが回った頃、ついにこいつの口から飛び出した。
「きっら〜い!司先生、チャラいからぁ!」
◇
「……あーあ」
背中で幸せそうに眠る奏汰に、俺は小さくため息を落とした。
嫌いって言われたのに、こうしておぶって帰っている自分が情けない。
飲み会の場所から自宅までは近いとはいえ、人間を背負って歩けば、時間も体力も削られる。玄関を開け、靴を脱がせるのにひと苦労した。
「……お前、意外と重いんだな」
もちろん返事はない。寝顔は子どものように安らかだ。
ソファに転がせとくかと思ったが、仕方なくベッドに運ぶ。
ネクタイを緩め、水を用意しながら思う。
……俺はほんとに、なにをやってんだか。
ベッドに横たえた途端、ふにゃりと笑うような寝顔を見せられて、不意に胸がざわつく。
嫌いだなんて、言ったくせに。
そんな顔を見せられたら、放っておけるはずがないだろう。
ペットボトルの水を机に置き、灯りを落とす。昔の俺なら「お持ち帰り」なんて囃されれば、その気になったかもしれない。
だが今は……そんな遊びも、本気の恋愛も休憩中。
今は、ただこの子を眠らせてやりたいと思うだけだ。
◇
休日の朝。
放っておけば昼過ぎまで起きないだろうと高を括っていたが、思いの外早く、寝癖をつけたままふらふらとリビングに顔を出してきた。
「……あの。ここ、どこですか」
頭を押さえ、ぼんやりした声で訊いてくる。
「俺んち」
「えっ!? な、なんで俺……」
「歓迎会で潰れて、俺が背負って帰ったんだよ。感謝しろ」
「え……ええっ!…す、すみませんっ! ほんとにすみません!」
慌てて深々と頭を下げる姿が滑稽で、俺はわざとゆっくりと笑ってやった。
「……で。昨日のこと、覚えてるか?」
「……な、なんのことですか」
「チャラいから嫌い!って、にっこにこで言ってただろ。俺の耳元で」
「っ!!!」
奏汰は一瞬で耳まで真っ赤になり、ソファに突っ伏した。
「い、言ってません! 絶対に言ってません!!」
「へぇ? 俺の聞き間違いか? きっら〜い、チャラいから〜って、デカい声でさ」
「やめてくださいーーー!!!」
ジタバタ暴れる姿に、思わず腹の底から笑いが込み上げる。
……似てる。何にだろう。
おっ、そうか、仔犬だ。
だったら嫌われても構わない。仔犬なんだから。だけど放っておけるわけがないだろう。俺は昔から仔犬が好きなんだ。
「ってことで…俺の家に泊まったお前。今日は何の日か知っているか?」
「は?へ?」
仔犬はびっくりしても仔犬なんだな、と笑ってしまった。
◇
気がつけば、大晦日の昼下がり。
結局あのまま泊まった奏汰は、今や俺のタワーマンションで雑巾を片手に右往左往している。
「なんで俺まで大掃除してるんですか!」
「泊まったやつは住人扱いだ。年末に掃除するのは常識だろう?」
「理不尽すぎます!っていうか広すぎですって!ホテル並!」
バタバタと廊下を駆け回る奏汰を、俺はソファに腰かけコーヒーを飲みながら眺める。
「お前が来てくれて助かるよ。今年はサボらずに済みそうだ」
「は!? 普段掃除してないんですか?」
「さあな。ほら、さっさとやれよ」
「もーーーっ!!」
奏汰が廊下の向こうで地団駄を踏む。
「広いから大変なんです! 広すぎて終わりがみえません!」
奏汰がモップをぶんぶん振り回す。危なっかしくて見ていられない。
「はい、頑張れ頑張れ」
くくっと笑えば、「くーーっ!!」と悔しそうに歯を食いしばる。
まるで仔犬がシャンプーされて不満顔で暴れているみたいで、可笑しくて仕方がない。司はしばらく声を殺して笑い続け、気づけば、そのやり取りだけで少し時間が過ぎていた。
「おーい、もういいぞ。休め。どうせ来年早々、ハウスクリーニングが入るから」
「えっ……ハウスクリーニング…?それ、最初に言ってくださいよ!!」
「それでもやるのが大掃除だろ? まあ、結局は業者に任せるのがちょうどいいんだって、マリア様も言ってたぜ」
「屁理屈だーーー!つうか、誰?マリア様って〜!!」
奏汰の叫び声が高層階の窓に反響して、タワーマンションの無駄に広い部屋に笑い声が響いた。
気がつけば、俺の年末はずいぶんと賑やかになっていた。
◇
日も暮れ、掃除でバタバタした部屋はなんとか片づく。
代わりにキッチンに立つのは俺の番だ。掃除は苦手だが、料理は得意分野。
「う…っ…わぁ……な、なんで司先生、料理こんなに出来るんですか」
テーブルに並んだのは、年越しそばだけじゃなかった。
ステーキにグラタン、サラダとパン。完全に洋食メインのラインナップだ。
想像と違う光景に、奏汰は一瞬言葉を失う。
「……年越し、そば要素薄くないですか」
「気分だよ、気分。どうせ食うなら好きなもん食ったほうがいいだろ」
「ま、そうですよね〜!」
「だろ?大晦日くらい、ちゃんと食わないとな」
「だけど、ちゃんと、ってレベルじゃないですよ! 豪華すぎる! うわ〜っ」
嬉しそうに頬をほころばせながら、箸を動かす姿を見ていると、それだけで作った甲斐があると思えてしまう。
……ほんと、仔犬はよく食う。
「ううぅ先生、これっ……めちゃくちゃ美味しいです!」
「そうか」
自然と口元が緩む。
「気に入ったなら、明日の正月もうちで食うか?」
「……っ、い!からかわないでくださいよ!帰りますから!」
顔を真っ赤にして慌てる姿が可愛くて、つい酒をすすめてしまった。
そして、案の定___
「あはははは、司せんせ〜、テキトー!」
昨日と違うのはケラケラと機嫌よく笑っているところか。
「お前!適当ってなんだよ!」
「あははは、だって〜、そうじゃないですかぁ」
俺の抗議も届かず、箸を振り回しながらゲラゲラ笑う。
……まったく。仔犬に構うとなんでこんなに安心するんだろうな。
テレビからは除夜の鐘が流れ、別のチャンネルを映すと、画面の中のアイドルたちがカウントダウンを始めていた。
「10、9、8……」
隣の奏汰は、もうまぶたが半分閉じかけていた。
さっきまで「テキトー!」と笑っていたのに、酒と満腹感で、子どもみたいに船を漕ぎ始めている。
「おい……寝るなよ。もうすぐ新年だぞ」
小声で囁くが、返事はなく、代わりに俺の肩に頭を預けてきた。
「3、2、1…」
新年の瞬間、奏汰の寝息が小さく重なった。カウントダウンの歓声の中、俺だけが静かに笑っている。
「まったく……どこまで手のかかる仔犬だ」
テレビからは新年の歓声が響いている。
隣では、奏汰がぐっすりと眠り込んでいた。肩に預けられた重みが、やけに心地いい。
「年明け……あっという間」
ぼんやりと天井を見上げる。
大掃除でバタバタし、酒を飲んでゲラゲラ笑って、結局は寝てしまった仔犬。
その寝顔を見ているだけで、妙に胸が温かくなる。
「……今年は面白くなりそうだな」
小さく吐いた独り言は、奏汰の寝息に掻き消された。
俺だけが知っている、新しい年の始まりだ。
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