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 森の中へ入ると、ほどなく視界は夜になった。陽はまだ落ちていないはずだが、頭上からは一筋の光も差し込むことがない。  雪を被った針葉樹の枝葉は、重たく冷たい屋根となって空を塞いでいる。  ルーンハルトは魔法仕掛けのランプを掲げ、どうにか馬を進めていたが、やがて限界は訪れた。ダニエルから教わったとおり、鞍から下りて手綱を外し、馬を放してやる。  迷いなく走り去ってゆく馬の背を見送ってから、その反対方向へと視界を転じた。いびつな道が伸びている。不格好に木立が薙ぎ倒され、それが蛇行しながら奥へと続く。……戦闘しながら移動した跡だ。  その「道」の先には、確かに、魔獣の気配がある。  だが不気味なほど、なんの音もしない。 (アイゼン)  どうしてこんなに、静かなんだ。  木立を辿ってゆくと、広い草地に出た。高く高く伸びた針葉樹の上に、夕刻の空が望めている。  燃え立つ炎のような朱色の空は、もう程なくして夜の帳を透かしたような紫色に呑まれるはずだ。――二つの色彩が混じり合う狭間の刻、草地の上には、小山ほどの真っ黒な巨躯がうずくまっていた。  四肢と爪、尾まで持つそれは、見慣れた四つ足の動物をぐんと巨大化したもののように見えるのだ。だが全身に色濃い瘴気を纏っており、とてもではないが近付く気にはならない。  そしていま、その巨躯はしんと沈黙していた。まさか、……倒した?  だが一体、どうやって――。 「……!」  ルーンハルトは息を飲む。――魔獣の手前にもうひとつ、うずくまる影が見て取れた。人影だ。漆黒のマントを地へ引きずり、膝をがくりと折って、今にも倒れ込もうとしている……。 「アイゼン……っ」  自らの発した声音で沈黙を破り、ルーンハルトは片手のランプすら振り捨てて、アイゼンの元へと駆け寄った。  彼は地面に突き刺した剣へ取り縋るようにして、どうにかその身を支えている。自分が差し伸べる両腕は、彼の力になれるだろうか。ルーンハルトはアイゼンの疲弊しきった体躯へと腕を回し、崩れ落ちないよう抱き支えた。  ひどく荒れてはいるが、呼吸音がしている。胸元へ通した腕にも、確かな鼓動が伝わった。 (生きて、いる)  途方もない安堵感が広がり、危うく視界に涙が滲むところだった。 「アイゼン……。あなたは、なぜ」 「……攻、撃が、通ったぞ……」 「え?」  掠れた声音で、アイゼンが答える。……なぜ、魔獣を倒せたのですか。 「俺の、変質した、魔力……」  生来、アイゼンが持ち備えた魔力は、火属性だった。彼は特に強大な、あかあかと燃え立つ黄金のような炎を剣に纏わせていたのに――三年前の事故を機に、それは赤紫色の炎へと変わってしまった。  紫色など、四元素のうち、どの属性の色でもない。  だからこそ、魔獣へ攻撃を与えられた、と言うのか。 (そんな、ことが) (……っでは)  ルーンハルトは深く垂れたアイゼンの顔に両手を添え、上向かせた。瞳を合わせると、元より漆黒の虹彩部分のみならず、瞳の全体が黒く変色しつつあった。……やはり、という思いで、心臓が震えた。 『『魔力交換』を怠れば、君の魔力はあっという間に澱んでしまう』  魔力の澱みは、究極的には「魔物の吹きだまり」と同じことだ。誰とも『魔力交換』せず、澱んだ魔力をそのままにしておけば、その者はいずれ魔物と化す。 「なんて、ことを……っ」  アイゼンが自身の火属性魔法を使っていたなら、ここまで澱みはしなかっただろう。 (けれど)  魔獣に攻撃するため、あえて紫色の――穢れた方の魔力だけを、用いていたなら。  対外的に聞こえの良いよう「変質した」などと言ってはいるが、実態としては穢れだ。死の穢れなのだ。  穢れは、生を蝕む。  これほどひどく蝕まれた生は、では、どうなる? (――季紗様)  穢れを浄化することが出来るのは、聖女だけ。  だが、彼女の到着まで待てるかどうかは、わからない……。  ふいに、どうっと大量の、色濃い瘴気が押し寄せた。同時に、炎のように苛烈に、紫色の魔力が立つ。遅れて、がきん、と剣の鳴る音が聞こえた。  頭の動きがひどく鈍くなっていて、ルーンハルトには、たったいままで自分の腕の中にあった体がどこへ行ってしまったのかを、すぐには理解出来ない。 「アイ、ゼン……」  魔獣の唸り声が聞こえる。自分の、背の向こう。無防備に晒すそこへ――誰か、重たく厚い体が、覆い被さる。  ど、っと同じタイミングで、彼の剣が――土くれと瘴気、それからおそらく魔獣の肉なのだろう闇色の石のようなものを纏う剣が、ルーンハルトの目前に突き立った。  それを支えにして、アイゼンはまだ、立ち向かおうとしている。 (ああ)  死ぬ気だ。  そう――護るべき民がいるかぎり、王は戦い続ける。愛する国の、愛しい民のために……自らの命さえ、捧げることを厭わない。  彼はそんな王だ。強く、儚い――理想の王様だ。 「ルーンハルト」  掠れた声音で、アイゼンが言う。それはきっと命令だった。  逃げろ。  騎士団が張った防護結界の、もとまで。……あなた一人を、ここに捨てて? そんなこと、どうして出来る。 (アイゼン) (あなたが)  この世からうしなわれることだけは、いやだった。

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