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 ただいま戻りました、と執務室の扉を開くと、中には二人の人物がいた。  部屋の主たるアイゼンと、ダニエルだ。 「ルーンハルト……。ご苦労だったな」  彼らの会話はもう終えていると見え、アイゼンはまずこちらを労ってくれる。彼の手元には書類らしい書類もなく、おそらく自分が持って戻る書状や資料を待ち構えていたのだろうと思った。  ルーンハルトがアイゼンの執務机へ歩むと、ダニエルはそれと入れ違いで戸口へと向かおうとする。短い挨拶で呼び止めながら、ルーンハルトは「遅れたけど」と声を掛けた。 「季紗様との婚約、おめでとう」  二人の婚約が発表されたのは、三日前のことだ。  ドレスドの森で聖女がもたらした「奇跡」――魔石を浄化する、という歴史的な功績を傍で支えたのは、王城騎士団前衛部隊長のダニエルだった。そんな情報は、すでに王国中の人々が知るところだ。  二人の未来を認めない者など、おそらくどこにもいないだろう。 「さっき、季紗様にも挨拶をしたんだ。相変わらずお元気そうだった」  ルーンハルトの休養期間中に、季紗は光魔法研究の第一人者である新しい「先生」へと師事先を変えている。扱う魔法が高度なものとなれば、属性違いのルーンハルトでは教えられなくなるからだ。……もちろん、それはルーンハルトが彼女の「先生」を請け負った当初から想定されていたことだった。  とはいえ、自分は彼女の教育関係の世話係までは退いていない。多少頻度は減っても、顔を合わせる機会はたびたびあるはずだ。  季紗の笑顔を見ていると、妹のことを思い出す。  十歳の時に喪った家族を思い返すことは、ルーンハルトにはこれまでほとんどなかった。けれど最近は、ぽつぽつといろんなことを思い起こしている。思い出の数は決して多くはないが、どれも大切な記憶だ。  もしも妹が生きていれば、季紗の一つ下。きっと彼女に負けず劣らず、可憐な美少女だっただろう。 「あの子はいつでも元気だし、とびきり可愛いぞ」 「……ダニエルに惚気られると、僕どうしていいかわからないんだけど」 「おまえが振った話だろ」  ダニエルは苦笑してみせ、「ありがとな」と礼を残して退室して行った。 「――アイゼン様、お待たせいたしました」 「ルーンハルト」 「はい」  呼び掛けておきながら、アイゼンは何も言わない。ルーンハルトは小さく首を傾げた。 「なにか不備がありましたか?」 「いや……」  そんなふうに言い淀むのは、珍しい。 「アイゼン」  彼の執務机へと歩み寄って、ルーンハルトはそっと声を掛ける。  魔獣との戦闘後、ドレスドにあるアイゼンの私邸では、三日間の療養生活を送った。「大事を取るためだ」とアイゼンは言い、確かに最終日には医師の診察も受けたけれど、ルーンハルトの実感からすれば、あれはまあまあ大胆なサボりだった。  自分一人が邸に閉じ込められるなら、絶対に頷きはしない。けれど、アイゼンもいっしょに休んでくれるのなら、むしろ常日頃から忙殺されている彼にとっての貴重な休息になる。  そういう魂胆からルーンハルトは素直に休養期間を受け入れ、邸どころか彼の寝室からもほとんど出ない日々を過ごした。  その三日間を使ってアイゼンが自分に練習させたのは、「二人きりの時は敬称も敬語も外す」話し方だ。  始めこそ抵抗したものの、アイゼンはあまりにも根気よく、どうあっても執拗にねだってくるので、ルーンハルトもついには根負けしたのだった。 「元気ない? 朝はいつも通りだったはずだけど……」 「いや。俺は変わりないな」  喉の奥に空気を挟んだような、ぽかりと空虚な声でアイゼンが答える。驚くほど説得力がない。  ルーンハルトはふむ、と腕を組んだ。  これは、あんまり一人にはしない方がいい気がする、と長年の勘が告げている。 「じゃあ、僕はやっぱり午後も執務室にいた方がいいか。教授に連絡を差し上げないと」 「教授?」 「あ、うん」  独り言への反応があるとは思わず、ルーンハルトは慌てて腕を下ろす。 「魔獣の件であちこちばたばたしてた業務も落ち着いてきたから、午後からは大学の方へ行って研究を再開しようと思ってたんだ。でも、それは明日からでもいいから」 「研究……と言うと、結界の改良か」 「そう」  アイゼンの問いには芯が通っており、今度はちゃんと会話も成り立ちそうだった。 「でも、いまやってるのは対魔獣用の捕縛結界。三年前は確かに、防護結界を小型で機動性のあるものに作り変えられないかなと考えてたんだけど、それだと少し魔法陣が複雑になりすぎて、あんまり実用化には向かないみたいだから……。じゃあ逆に、魔獣を捕まえてみるのはどうかってアイデアを教授から貰って、最近はそればかり考えてる」 「魔獣を……捕まえるのか」 「うん。捕まえたら、最終的にはその中で倒せるようにする」  そのためのヒントは、アイゼンがくれたから、とルーンハルトは言い添えた。 「今回のことで、魔獣を倒すには莫大な量の闇の魔力が必要だってわかった。だから、四元素の魔力をそれに近いもの――僕は雷だと想定したんだけど、魔獣に効く雷へと、変換するんだ。そのための魔法陣なら、もう考えた。何人か、……もしかしたら何十人かが必要になるかもしれないけど、たくさんの力を合わせたら、必ず倒せる」  いまは災厄として耐えるしかない魔獣を、倒せるものにする。  そういう仕組みを構築してしまえば、それはやがて広く大陸中に伝わってゆくだろう。 「誰か一人の力に頼るんじゃなくて、みんなで魔獣を倒すんだ」  自分の言葉を聞いて、アイゼンが息を飲むのがわかった。  ルーンハルトは唇を引き結び、じっとアイゼンの表情を見つめる。荒唐無稽な話だと思われただろうか。けれど、理論上ではすでに完成しているのだ。  紙の上から現実へ持ち出すのが大変なこととはいえ、道筋はある。  やがてじんわりと、アイゼンが息を吐く。そこに乗せられる声音からは、深い安堵が感じられた。……彼が見せる、気の抜けたような笑顔からも。 「おまえは、すごいな」 「そう? だとしたら、それはアイゼンがすごいってことだよ。だって僕は、アイゼンのことしか考えてない」  もう二度と、彼を一人で戦わせるものか。  そんな思いだけで始めた研究だ。  三年前、「防護結界の小型化」というルーンハルトの案を魔法陣開発の最先端を行く教授へと渡してくれたのは、アイゼンだった。彼はそれからも、ルーンハルトの本来の業務ではないというのに深い理解を示し、最大限自由に、好きにやらせてくれているのだ。 「ルーンハルト」  アイゼンの手のひらに頬を包まれて、ルーンハルトは身を屈める。唇を寄せて、想いを伝え合うキスをした。 「……ルー」  お互いの額を合わせた、世界中でいちばん近い場所から、アイゼンが自分を呼ぶ。  ルーンハルトはそっと目を上げて、彼の深い夜のような瞳を見つめた。濡れ光る、艶やかな漆黒。吸い込まれそうな(そら)だと、何度目かに思う。 「いつか俺といっしょに、俺の後継者を決めてくれるか」  王太子から王になって、国を治め、すべての責務を果たし終えて――その玉座を降りる時に。  この国を任せるに足る、次の王を。 「それ、僕にとってはプロポーズに聞こえる」 「俺にとってもそうだ」  アイゼンのまっすぐで強い声音は、まるでこちらの心臓を射るかのように響く。  だからこそ、問い返すルーンハルトの声は震えた。 「……いいの?」 「俺は、おまえ以外を愛するつもりはない。……それに、エーベルライトの血を継ぐという意味でなら、もう充分に子供はいる」  当代の王はあらゆる意味で精力的な人物だ。アイゼンの弟妹は両手の指に近いほどいる上、いちばん下の弟はまだ二歳にもならなかった。  末弟が成人する頃には、玉座はすでにアイゼンの物となっているだろう。 「王位を継ぐ意志があれば、弟たちも積極的に城での職務に就くはずだ。その時は、おまえがしごいてやれ」  うん、とルーンハルトは頷く。 「いいよ。二人でいっしょに、アイゼンの王冠を継ぐ人を決めよう」  この先のことは、誰にもわからない。  いつか大きく時代が変わって、王女の血筋へ王位継承権を委ねることや、もしかしたら王家自体が象徴となり、国の舵取りは民の望む優秀な人物へと任せる日だって来るのかもしれないのだ。  だからこそ、彼と心を重ねて思い描くこれから先の景色は、まるで二人で大好きな図鑑を覗き込んだあの日みたいに――嬉しさと楽しさをたくさん詰め込んだ、とびきり柔らかな色で輝くように感じられた。  どきどきする、とルーンハルトは素直に言って、笑う。 「この国を護って、この国の未来を作ってゆくんだね。アイゼンといっしょに――僕も」 (了)

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