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第1話
──人体を知る医務官のくせ、ひとりでヒートを対処できないなんて。
唇を噛んでギルは自分の身体を苛む熱に舌打ちをする。こんな惨めな状況になるなんて。悔しさを感じて泣きそうだった。
ただ、合コンに行ったはずだ。つい数十分前までは居酒屋にいた。どうしてこんなことに。
安宿の黄ばんだシーツをいくら睨んでも現状が変わることはない。思考は未だ冷静だ。ヒートだとしても、ギルは肉欲に溺れることを良しとしない。
……だというのに、ヒートの熱に侵された体は、勝手に快楽を感じ取る。薄く開いた唇からこぼれる声はひどく甘い。
「っぅ、あ……イ、リス……っ」
欲を噛み殺そうとしても嘲笑うように声は媚びて揺れる。吐いた息は先程飲んだアルコールの匂いで満ちていた。
「……っはは、ギルさん」
熱っぽく、ざらついた男の声がギルを包む。
「あなたも、このままでは苦しいだけでしょう?」
剣だこのある、イリスの大きな手がギルの顎を掴んだ。強引なくせに痛みを感じさせない力加減で彼の方へ顔を向けさせられる。
「ほら……どうしたいのか、私にきちんと教えて」
視界の中心。さっきまで、ただの同僚だったはずの狼騎士が笑っている。獲物を追い詰めることを楽しむように金の瞳を細めて、喉を低く鳴らしながら。
「ギルさん……どうか、あなたに触れる許可を」
彼の手が、するりと頬を撫でていく。待てをする犬のように、彼がじっとギルを見ている。
唾液を飲みこんだのは、果たしてどちらが先だっただろう。
──ああ、くそ。僕は恋人が欲しかっただけだ。抱かれたかったわけじゃない。
こんなことなら合コンなんて、行くんじゃなかった。
◆◆
──10時間ほど前。
のどかな昼の日差しが入り込む書物庫。その中でギルはバインダーの背をなぞりながら目当ての書物を探していた。
暇だと言えるほど麗らかな午後。脳裏に浮かぶのは「恋人が欲しい」という言葉だけだった。
「……はあ」
自分の華奢な手を見下ろす。夏だと言うのにかっちりとうなじを守るように囲っているシャツの襟を、そっと撫でつける。
──オメガという高すぎる商品価値を持っているくせ、今まで一度も恋人なんてできた試しがなかった。
「ああ、ギル?ここに居たか」
騎士団駐屯地の医務棟。その中階にあるライブラリにてカルテを探していたギルは、上司の声に顔を上げた。
「いかが致しましたか、ジェフ主任」
「お前に指名が入ったんだよ。神経毒の解毒薬の簡易的な調合を騎士たちに教えてやれ、ってな」
解毒薬を主に扱っているギルは、こうして時折、騎士団員たちに戦地でも手軽に作れる薬の調合方法を師事しているのだ。手にしていたリストをしまい込むと、彼は立ち上がる。
人間であるギルは、獣人の多い騎士団内ではひどく頼りなく見えるらしい。上官のジェフは心配そうにギルの体を見ると、「もっと飯を食え」なんてことをことある事に言ってくる。
成人をとうに越しているのだから適量以上に食っても太るだけだというのに、余計なお世話だ。
「ああ、それと。ギル。お前この間合コン行ってみたいってボヤいてただろ」
「は?……どうしてそれを?」
怪訝そうに眉をしかめるギルに、ジェフは大柄な体を揺らして笑う。
「お前の同期が天変地異だって騒いでた。そんで、お前にピッタリのヤツがあるんだけどな……──どうだ、行ってみないか?」
ジェフの目的が分からず、ギルの目が細められる。元々キツめの顔立ちの彼は少し目を細めるだけでひどく恐ろしく見えるのだ。
今にも殴りかかりそうな顔をしたギルだが、ジェフにはネズミの威嚇と大差ないらしい。気にも留めていないようだった。
「行かないのか?研究室所属のベータばかりを集めた合コンだぞ?性差なんてアイツら記号としか考えてないからな。お前がオメガでも対等に扱うだろうさ」
「……どうしても行かせたいのですね」
「ははは、そうとも言う。だって、あの真面目一辺倒の男が合コンだぞ!そんな面白そうなこと、首突っ込まないと男がすたる!」
「……僕の恋人探しは『面白そうなこと』ですか」
ジェフを睨むが、そんな視線にも快活に彼は笑うだけだ。本気で楽しんでいる、とギルは肩を落とす。
「ほら、集合場所のメモだ。仕事終わりに行ってこい」
無理やりに紙切れを押し付けると、ジェフは巨躯を揺らして医務室の方へ戻っていく。
メモに目を落とす。紙切れには『解毒薬の調合について』と書かれており、その端に『本日19時、北通りの熊のねぐら亭』と、汚い文字が踊っていた。
あの人、最初からギルを頭数に入れてやがる。行かないなんて言い出すことを考えてなかったようだ。
横暴な上官に、大きくため息を吐くとカルテを持ち上げギルは事務室へと戻っていく。仕事はまだ山ほどあるのだ。
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