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第10話

「っはあ……色々疲れた……」 「満足はしていただけませんでしたか?」  薄く明るく変わっている夜空。濃い青から薄い水色へのグラデーションの下を男二人で並んで歩く。  ──なんだか嘘みたいな夜だった。  ギルは行為後のふわふわとした感覚で、なんとなくうなじを指で撫でる。イリスの強い視線をそこに感じた。 「……何だよ」 「……いえ。そこ、守るものがないのは、不用心だなと」 「うるさいな。どうせ僕みたいなオメガを無理やりつがいにする奇特な奴なんていないさ」  声は掠れているが、酒焼けといえばごまかせる程度だ。それより、腰に感じる気だるさの方が面倒だと思う。セックスもどきはすごかったが、本番をやった時が大変そうだというのが正直な感想だ。 「それじゃ。社宅、すぐそこだから。イリス、ここまで……その、……ありがとう」  家を指し示して、ギルは薄くはにかんだ。イリスの狼耳がぴくりと震えている。尾がかすかに風なのか、それとも感情なのか、ふらりと揺れた。 「……やはり、あなたは本当に無防備ですね」 「は?」  いきなり差し込まれた言葉にギルは眉を寄せる。 「なんだ、喧嘩を売ってるのか」 「いいえ。違いますよ。ギルさんに喧嘩なんて……最初から結果の見える戦いなんて可哀想でしょう?」 「君は本当に良い性格をしてるな……」  食えない笑みを浮かべたイリスは、ギルの傍までやってくる。長身の男を見上げた。威圧感に少したじろぐ。  イリスの手が、ギルの手をするりと撫でていく。熱を思い出させるような、やわい接触だ。ギルが息を呑んだのをただ観察するようにアンバーの瞳で見つめ、彼は滑らかな声で囁く。 「……いえ、私はアルファなんですよ?しかも、人間のあなたとは違って、獣人の」 「だからなんだよ。セックスはしないんだろう。君はそう言って守ってくれた。それにあれは、ただの事故だ。君だって同僚のオメガに迫られたら困る。そうだろう?なら別に警戒する必要は──」  ギルの手首が掴まれた。イリスの顔が、すぐそばにある。  朝の陽光が世界を照らす。重なったふたりの足元には、長い影が伸びていた。  は、と息を吐く。ギルは、ぽかんとイリスの顔を見上げていた。伏せられていた瞳が開くと、きらりと朝日を反射して潤んでいた。  そういえば、アンバーの瞳はウルフアイズと言うんだったな。そんなことが脳裏に浮かぶ。 「……ふふ、間抜け面ですね。ギルさん?こういうこともありますから、どうか振る舞いにはお気をつけてください」 「な、ん……」  イリスの甘い匂いが後を引いて鼻をくすぐる。彼の紺のコートの裾が風に揺れた。なんの言葉も浮かばなくて、ギルはただ目の前の美しいアルファの姿を見つめることしかできないでいる。  そんなギルに微笑みかけ、イリスは体をぱっと離す。そのまま背を向け、歩き出した彼に見蕩れていた。 「ああ、それと」  ちらりとイリスが顔だけで振り返る。ギルのことを射抜く瞳が酷薄に細められた。 「──このキスは本気のものですよ。私はね、あなたの事、ずっと食べてしまいたいと思っていたんです。昨夜は格好のチャンスでしたが、その気がなさそうなので手は出さなかっただけです。……ただ、可能性はあるな、とわかったので」  牙をのぞかせ、狼騎士は職場でも見たことの無い顔で笑った。 「──これからあなたを本気で誘惑することに決めました。ふふ……覚悟していてくださいね。ギルさん。それではこれで。また明日」  それだけ言うと手を振って、イリスは朝日とともに遠ざかっていってしまう。ギルはただ、家事、残ってたんだよな、なんて取り留めのないことを考えることしか出来なかった。

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