誰にでも秘密はある、と良く聞くけれど、当然僕にも秘密がある。 僕の名前は、一橋 宗(いちはし そう)だ。来月の16日で10歳になる。僕はちょっと口うるさいママと、無口だけど怒ると少し怖いパパと、ちょっと意地悪でゲームを全然貸してくれないけど、優しいにいちゃんの4人家族だ。サッカーと恐竜が好きで、嫌いなものはピーマンと作文の宿題。 僕のにいちゃんの名前は、一橋 清斗(いちはし きよと)という。僕より2歳年上で、柔道と書道が得意で、本人は認めないけど多分虫が嫌い。 ママの名前は、……ここではあまり重要じゃないから省略させてもらう。 なんでにいちゃんのの名前を教えたかっていうと、僕の秘密は、にいちゃんの秘密でもあるからだ。にいちゃんには、パパにもママにも言えない秘密がある。 8月19日 PM1:07 僕は今、大嫌いな作文の宿題をやっている。リビングにある僕の指定席に座り、目の前の真っ白な夏休みの課題たちと睨み合う。遠くでじーじー蝉の鳴く声がうるさくって仕方ない。進まない。やれないというか、やらないというか、やりたくない。あぁ、プール行きたい。それかゲーム。 お盆期間に入るまでには宿題をやっておけ、とママに言われていたのに、僕はずっと友達とのプールやサッカーやゲームに夢中になっていた。そのせいで僕の夏休みの日記は7月24日で止まっていた。さらに昨日、ランドセルの底でグチャグチャになっていた「夏休みの友」を見たママは、カンカンに怒って宿題が終わるまではプールもサッカーもゲームも禁止となってしまったのだ。こんなに暑いのにプールも禁止なんて横暴だ！ひどい！と怒ったけど、当然家族の誰も味方なんてしてくれなかった。 こんな時いつも助けてくれるにいちゃんは、私立中学受験するとかで駅前の塾に行ってしまっている。夏休み中は、土日とお盆に長野のばあちゃんちに行った時以外の殆ど毎日だ。つまんねーの。 「ねー、ママ、にいちゃんいつ帰ってくるの？」 カウンター越しにお皿を洗っていたママは手を止めて、冷蔵庫の横のタオルで軽く手を拭くとテーブルの上の携帯をパカッと開けながら呟いた。 「そうね、今日は早いって行ってたのに。まだメール来ないわね。1時半過ぎたら電話しなきゃ」 「早く帰ってこいよなー、マジで…」 はぁ、と大きく溜息。リビングの横のカレンダーにはいかにも夏！って感じの大輪のヒマワリが青空をバックに咲いている。その下には1から31までの正方形が並び、その右下には月の満ち欠けを示すグレーの半円が行儀よく並んでいる。 それを見て僕は、あ、そろそろだ、と呟いた。それを聞いたママは、宗！！ちゃんと宿題やんなさいよっ！と言いながら濡れて重そうな洗濯物でいっぱいのカゴを持って、のしのしと二階へと上がっていった。 ＊＊＊＊＊ イヤイヤ書いていた日記がなんとか8月に突入したころ、家の前で車の止まる音がした。 「あ、にいちゃん帰ってきた」 言うが早いか、僕は玄関へ走り出し勢いよく扉を開けた。にいちゃんはちょうど紺色の軽自動車から運転席の誰かに会釈すると、こちらに振り向いた。笑うと、いつも少しだけ目尻が下がる。僕は、にいちゃんのこの顔が一番好きだ。 「宗。ただいま、」 「にいちゃん、おかえり」 いつものやりとりをしてから、にいちゃんと玄関へ入る。にいちゃんは僕より頭一つぶん大きい。最近は塾ばっかりで、プールも付き合ってくれない。もともと色素が薄いのもあるかもだけど、今年のにいちゃんの肌は僕よりずっと白くて灼けてない。 にいちゃんが玄関でただいまと言った時、ちょうど二階からママがすこし驚いた表情で降りてきた。 「あら、おかえり。あんた誰かに送ってもらったの？」 「うん、亮介が午後から道場だからって。おばさんに送ってもらった」 「あら、悪いことしたわ。沢村さん、いつ頃帰るかしら」 お礼の電話しなきゃ、とブツブツ言いながらママはまた洗濯機のあるお風呂場の引き戸の向こうへ消えて行く間、にいちゃんは座って靴を脱いでいた。 「あっちぃ、アイス食お」 「俺も！」 にいちゃんは冷蔵庫の中のアイスブルーのチューペットを綺麗にボキンと折ると一つを僕にくれた。冷たいシャーベットが喉を潤す。にいちゃんは白いTシャツの胸元をパタパタさせながらチューペットを音を立てて啜っている。冷たい氷の粒が喉を冷やしていく。 「なに、お前まだ宿題終わってなかったの？」 「うっせ！」 からかうような物言いだけど、この後ちゃんと手伝ってくれるのを僕は知ってる。 僕とにいちゃんはいつもこんな感じで、それなりに仲良く、それなりに喧嘩もたまにする、ごくごく普通のおうちの普通の兄弟だ。ただ一点を除いては。