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§32-1 結婚式
鏡に映る自分の姿を見て、耳の後ろが痒くなる。
磨き上げられた鏡の中の自分は、どこかの知らない誰かのようだ。
全体が白地のタキシードは、袖口とパンツの裾にかけて桃と藤が混ざったような色に染められている。柔らかな生地が肌を滑る感触が心地よい。打ち合わせした時よりもきらめく銀刺繍が増え、華やかになっている。
マントは透き通った白い生地で、動く度にひらひらと靡く。まるで光の粒子を振りまく蝶々の羽根が背中に生えたようだ。
長髪は背中の後ろで編み下ろされている。リボンや小さな花が一緒に編み込まれていて、自分が贈り物の包装紙になった気分だ。
髪に編み込まれた花の甘い香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。支度が終わった姿を見て、ミレイと衣装係は満足そうだ。
俺としては特に希望は無く、強いて言えば一生に一度のことなのだから、大好きな人が選んでくれた衣装を身につけたいというくらい。
この衣装を選んだグレンの真剣な顔を思い出すだけで、胸の奥が温かくなる。
タキシードのみならず髪の結い方や飾りまで事細かくグレンの指示が入っているらしく、それには少し笑ってしまったけれど。
俺はグレンの衣装が黒だという事しか知らない。儀式で会うまで楽しみにとっておいたのだ。
「ライゼル様、とてもよくお似合いですよ」
「本当に、神々しいですな」
「ははっ、二人ともありがとう」
ミレイとタイクが目に涙を溜めて褒めてくれる。
思えば、俺がゼフィロス王国に来られたのはミレイとの出会いがあったからだ。なんと数奇なことだろうと、感慨深い。込み上げてくる熱いものを、ゆっくりと息を吐き出すことで押しとどめる。
タイクはゼフィロス王国に来てから右も左も分からない俺に色々なことを教えてくれた。
「あの日、ミレイと出会ったから、俺は今ここにいるんだな」
「そうですね……思い返せば、あまりにも強引にライゼル様とグレン様を引き合わせてしまいました。故郷を離れることを強いてしまったことは、今でも申し訳なく思っております」
「ふふ、いつもの調子はどこへ行ったんだい? 気にすることはないよ。俺はグレンの隣にいられるのが、とても幸せなんだから」
この選択に一片の後悔もない。確かな事実が、言葉に力を与えてくれる。
「ありがたいお言葉です」
涙をハンカチで拭うミレイ。そんな彼女を宥めていると、部屋がノックされる。
「ライゼル様、ジェイドです」
「どうぞ~」
宰相のジェイドが支度部屋に入ってくる。俺の姿を見ると目を丸くして、尻尾をピンと立たせた。黒豹獣人だが驚き方は猫のようで微笑ましい。
「これは……なんとお美しい」
「ちょっと兄上! 何を見惚れていらっしゃるのです!」
「ハッ、申し訳ない。まもなく儀式が始まりますので、お声がけに参りました」
「分かった。準備はもう出来ているよ」
袖口のボタンを指でなぞりながら深呼吸で心を落ち着かせようとしている俺の前にジェイドが歩み出る。
「ライゼル様」
「どうした?」
黒光りする毛並みの手が俺の手を取る。グレンの手とは違うが、ジェイドの手も戦いを経験してきた者のそれだと気付く。
「グレン様……いえ、今日は宰相ではなくあいつの友人として。改めて、あなたがこの国に来てグレンのそばにいると決心してくださったことに心からの感謝を」
「こちらこそ。温かく俺を迎えてくれて、城のみんなにも色々と根回ししてくれただろう? ゼフィロスに来てから何不自由なく幸せに過ごせているのは、ジェイドとミレイ、タイクのおかげだ。本当にありがとう、三人とも」
俺の言葉にジェイドは微笑み、ミレイとタイクはハンカチを思い切り濡らしている。
どうしても今日はみんな感傷的になる日のようだ。もちろん俺も例外ではない。
泣いている二人を抱きしめると、「お衣装が汚れます!」とミレイが慌て出して皆で笑う。
しんみりした雰囲気が吹き飛んだところで、ジェイドが扉を開けてくれる。
「それでは参りましょう。あいつも待ちわびています」
俺は頷いて支度部屋を出た。
儀式の間までは少し距離があり、明るい回廊を歩いていく。重厚な床に靴音が響いてカウントダウンをしているようだ。
警備で見回ってくれている兵や、今日のために働き詰めの係たちが俺を見ると目を輝かせる。
儀式の間の近くなので大きな声が出せず、皆一様に小声で「ライゼル様すごく綺麗です!」「グレン様が喜びますね!」と明るく言ってくれる。囁き声に乗せられた温かい祝福が、柔らかく肌を撫でるようだ。
それに応えながら歩みを進めていくと、儀式の間の扉が見えてくる。
小さく、扉の前で待っている大切な人の姿も見える。一歩一歩、ゆっくり大きく見えてくるのがもどかしい。今すぐにでも走って行きたい。早まる鼓動を抑え、愛しい人への距離を噛み締める。
鴉の羽に朝露が落ちたような漆黒の美しいタキシード。光沢によって彼の雄偉な体躯が際立つ。
膝上まであるジャケットの丁寧な仕立て。肩から腰にかけての男性的な曲線が目を惹く。
回廊の窓から差す光に照らされたグレンを見て、初めて会った月下の夜を思い出す。
違うところと言えば、彼の眉と目尻が優しく垂れているところだろうか。
「お待たせ」
思い切り抱きついてしまいたい衝動を抑えて、淑やかに右手を差し出す。
「その姿を見られるのなら、いくらでも待てそうだ」
手の甲に口付けを落とし、上目で悪戯っぽく微笑む。好きな人の一挙手一投足は際限なく俺の心を乱してくる。
「本音を言うと、その美しい姿は俺だけのものにしたいところだが、今日だけは特別だ。皆に見せつけてやろう」
「ふふ、見せつけるのか。まあ……一生に一度のことだし、な。旦那様?」
「無論だ」
お互いに、ニイッ、と目を細めて笑い合う。こういう軽いやりとりができるところも好きだ。
そんなやりとりをしていると、ジェイドとタイクが両扉の取手に手を置き、俺たちに目配せをする。
「お二人とも仲がよろしいのは結構ですが、お時間ですぞ」
「しっかりやれよ、グレン」
「分かっている」
「うん、準備できたよ」
グレンの左腕の下から腕を通し、手首の少し上あたりに右手を乗せる。
袖口から贈った腕輪が覗いている。手を滑らせてつつくと、グレンの右手が牙の形を模して、俺の手にかぶりついた。
俺が悪戯顔で見上げると余裕そうな流し目を返された。頼りになる旦那さんだな。
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