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§32-2 結婚式
儀式の間の扉がゆっくりと開く。蝶番の軋む音と共に、光と歓声が洪水のように押し寄せてくる。俺たちが歩く濃紺のカーペットがまず目に入る。
拍手の音とともに一歩を踏み出す。列席客の熱気と、焚かれた祝いの香の匂いが混じり合い、空間を満たしている。中央割りで両側にある席は列席してくださっている方々で一杯だ。
商業ギルド長のソルファや農業部門長のビセオなど、要職に勤めている者は見知った顔も多い。
グレンとの結婚が決まってから、まず手始めにゼフィロス王国が国交を開くことを隣国ならびに主要国へ知らせた。予想していたが、当初の反応は芳しくなかった。
しかしその後結婚式の招待状を送り、結婚相手がスフェーン王国の第三王子だと知るやいなや各国から色良い便りが寄せられたのである。
その流れを踏んだおかげで、優先して国交を繋いでいく国を見定める材料になったようだ。
そして結婚式当日、儀式の間は溢れんばかりの人数になった。各国の使節が祝いの品を持って。
……最前列にはギル兄とアド兄が着席している。
まさか二人揃って列席するとは思ってもみなかった。公務はどうしたと言いたいところだが、優秀な家臣たちに任せて俺の晴れ舞台を見に来てくれたのだ。兄たちの誇らしげな眼差しに、少しだけ泣きそうになる。
それはそれとして、兄たちから届いた招待状の返事の手紙には、父上の容態が快方に向かっているという嬉しい内容も書かれていた。「俺の代わりにライゼルの旦那にもう一度釘を刺してこい」と言われたのだそうで、手紙を読んで笑ってしまった。
民を思う強く気高き父上に恥じぬよう、俺もこの国のためにできることを精一杯成していこう。
決意を新たに神官様の前までたどり着いた。
「お二人とも、近くまでお願いします」
指示された位置に並んだ俺たちを見て神官様は穏やかな笑みで進行する。
「ここに、グレン・フローライトさんと、ライゼル・スフェーンさんの婚姻ならびに誓いの儀式を執り行います。まずはみなさまの立ち会いのもと、婚姻署名を行います」
係が書面とペンを恭しく持ってくる。
まずグレンがサインをして、その後に俺が続いた。グレンが書いた流麗な署名の隣に、少し震える手で自分の名を記す。インクの匂いがふわりと香った。係は一礼をして静かに下がる。
儀式と言っても、ゼフィロス王国の形式は簡略的で、署名をした後にお互いが誓いの言葉を交わすだけが基本の習わしだそう。俺としてはありがたいなと思ったところだ。
「それでは次に、お互い誓いの言葉を。まずはライゼルさん」
「はい」
俺は右にいるグレンへ体を向けて、空色を正面からとらえる。彼の瞳の奥に揺るぎない愛情の光が宿っているのが見えた。
「……これから、私たちの前に険しい山がそびえ立とうとも、二人の間に底知れぬ谷ができようとも、貴方と出会えた幸福を思えば取るに足らぬこと。この先貴方の隣を歩むのにふさわしい者であり続けられるよう研鑽を止めることはないでしょう。ゼフィロス王国を守る者の一人として、命尽きるまでこの身を捧げることを、ここに誓います」
声が震えないよう、腹の底から絞り出した。そして、練習を重ねたゼフィロス王国の敬礼を初めて見せる。
グレンには敬礼をすることは内緒にしていた。俺の目論見通り、グレンが口を半開きにして驚き入っている様子を見られて満足だ。
列席者からの拍手と歓声で儀式の間が揺れる。思い思いに声をかけるのが習わしと聞いていたが、予想以上の音に肩が揺れた。ふたつの耳では聞き取れない数々の祝いの言葉に笑顔が漏れる。
「ライゼルさんの誓いの言葉を受け取りました」
神官様がスッと片手をあげて宣言すると、再び儀式の間は静寂に包まれた。シン、と静まり返った空間。再び俺たちに期待の視線が突き刺さる。
「それでは次に、グレンさん。誓いの言葉を」
「はい」
グレンは神官様に一礼してから、身体と熱い視線をこちらに向ける。
大地を熱する夏の太陽のような視線。思い出したのは二人で初めて乗った馬車の中のこと。
あの時、グレンは俺を王子ではなくただ一人の存在として認めてくれたのだった。
グレンがその場で片膝を床につける。予定になかった動きだ。……相手を驚かせようと思っていたのは俺だけではなかったようだ。
それから俺の両手を優しく握って、言葉をかけてくれる。大きな掌が俺の手をすっぽりと包み込む。その温かさに涙腺が緩む。
「貴方は私の魂に、種と恵みの雨を降らせてくれた。貴方の在る場所には草木が萌えて花が咲く。どうか私も同じ場所で生きることを許されたい。幾億の波が時の砂時計を砕こうとも、二人の運命は決して揺るがないだろう。月と太陽が互いの愛を永遠に照らすことを祈り、かけがえのないものを生涯共に守っていくことを、ここに誓います」
まるで周囲に誰もいない湖のほとりで二人きりのよう。瞬きの間、世界の全ての音が消えた。
きっと長い時間をかけて誓いの言葉を考えてくれたのだろう。
しかしその言葉は紡がれる先から俺の心に編み込まれていき、あっという間に涙腺を刺激した。
俺はもう、決して一人じゃない。
この揺るがない自信を持たせてくれた彼に、これから俺はどれだけの愛を返していけるだろう?
頬を転がっていく涙を優しく拭ってくれる指。伝わってくる温もりに頬ずりをする。
再び大歓声に包まれた俺たち。グレンが立ち上がって耳元に口を寄せる。
「俺から正式に結婚の申し出をしていなかっただろう。伝わったか?」
なるほど。お互いに告白はし合ったが結婚の申し出は確かに忘れていた。
「しっかり伝わっているよ。ありがとう」
俺からも耳元で言葉を返した。涙声のままで気の利いた言葉が思いつかなかった。
その様子が列席者の熱気を煽ったのか、さらに儀式の間が騒がしくなってしまった。
今度は神官様が手をあげてもなかなか収まらず、思わず二人で笑ってしまう。
「グレン」
「あぁ」
一度手を離し、グレンが列席者に向けて一歩踏み出した。
そしてゆっくり、丁寧に一礼をする。俺もそれに合わせる。
俺たちの様子を目にした列席者たちは歓声を止め、穏やかな拍手をひと波起こし、静かになった。
「本日立ち会いいただいた皆様そして神官から、お二人を魂の連れ合い、伉儷として承認することを宣言いたします」
神官様の宣言により、グレンと俺は正式に婚姻関係が認められた。
グレンにエスコートされ、再びカーペットを歩く。
ギル兄とアド兄を見やると、安堵と慈しみに満ちた笑顔で俺のことを見返してくれる。それに応えるべく、俺も満面の笑みを返す。
この後の剣舞も二人が褒めたくなるような出来になるよう、精一杯やろう。
祝いの言葉を浴びながら儀式の間の扉前に辿り着く。
グレンと一緒に振り返り、深く一礼をする。ゆっくりと扉が閉められていくが、拍手は鳴り止まない。
完全に扉が閉まったところで顔を上げる。
「……はぁ、終わったんだな」
「頑張ったな、ライゼル」
「うん、グレンもね。……予定にないことを仕掛けるのは似た者同士、おあいこな」
「あぁ、段々と考えることが似てくるのも俺は嬉しい」
グレンに軽く体重をかけて力を抜く。流石に気力を使ったので疲労感が強い。
分厚い衣装で汗をかいた。それはグレンも同じようで、喋りながら手で顔周りの毛を後ろ向きに撫でつけている。汗の匂いに混じって、彼の匂いが強く香った。
それでもお互いに満たされた気持ちだ。俺はぼろぼろ泣いてしまってみっともなかったけれど。
「グレンのせいで目が腫れそう」
「何のための氷魔法だ」
「腫れた目を冷やすためじゃないことは確かだと思う!」
「ハハハッ! その調子なら剣舞の体力も有り余っていそうだな。さぁ、準備にかかるぞ。また後でな」
「全くもう」
グレンは笑いながら俺の額に軽くキスをして、自分の支度部屋へ意気揚々と向かっていった。
俺も反対側の支度部屋へと歩き出す。すでに頭の中は次の剣舞へと切り替わり始めていた。
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