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第4話 それでも、隣で
「――二度と失敗したくなかった」
凪を見下ろしながら、ぽつりと朔真は言った。
「あの後からお前に距離を取られて、もう絶対に失敗できないと思った。気持ちを伝えても凪はきっと逃げる。だから凪が自分自身を受け入れるまで、待とうと思った」
離れてしまった関係に焦る気持ちをひた隠して、それでも『いつか』を信じて待ち続けた。凪が自分に背中を向けるたびに、傷つきながら。
「さすがに『水瀬君』って呼ばれた時は、しばらく立ち直れなかったけど」
「それは朔真が」
混乱から抜け出せないまま、凪は咄嗟に反論した。凪の言いたいことを察した朔真が、少しだけ笑う。
「俺のは自衛。人前でまで凪って呼んだら自制心ぶっ壊れそうだったし、俺がそう呼ぶことで誰かに同じように呼ばれるのも嫌だったし」
そう言った朔真が、「なのにお前は」とため息をついた。
「珍しく出かけたと思ったら、あんな場所で、知らない男に『ナギくん』なんて軽々しく呼ばせやがって」
「……俺が、騙されたから、怒っているのか?」
まだ理解しきれていない頭で言うと、朔真はまたため息をつく。
「ああ、色々怒ってるよ。けど俺が一番頭にきてるのは――」
「俺だって動こうと思ったんだ!」
凪は朔真の言葉を遮って怒鳴った。
「いつまでも立ち止まってちゃダメだって、そう思って。朔真が彼女と――」
はっと気づき、口を噤む。
肩に触れる左手には、今も指輪があった。
「お前は俺を置いて行くくせにっ!」
凪は感情のままに怒鳴り、左手を掴んだ。
「凪……」
「そうだよ、好きだよ! ずっと好きだよ! けどお前は俺を置いて行くし、怖いし、寂しいし、どうしようって言うんだよ。今更、昔好きだったなんて言われたって俺は――」
とめどない感情の渦は、朔真からのキスに呑み込まれた。
すぐに離れた唇を、凪は呆然と見つめた。
「凪、俺の話聞いて?」
朔真は凪の手を掴み優しく外すと、左手の薬指を凪に見せた。
「これ……お前だから」
「え?」
「俺の脳内彼氏、お前だよ」
目を瞬いた凪に、朔真は深く息を吐く。
「最初は女避けだったけど、凪も俺のこと好きだし、付き合ったらこういう指輪するんだなって思ったら外せなくなって」
言葉を返せない凪を見て、朔真が苦笑を浮かべた。
「あーやっぱ引くよな。今の凪に言ってもそういう反応されると思って、誤魔化すつもりだったのに」
そう言いながらも、朔真の目に後悔の色はなかった。
「だからさ、俺も同じ。昔からずっと……今も、この先も、凪が好きだよ」
朔真の言葉が、心に入ってくる。
「距離を取られても、傍にいることだけは諦めたくなくて、同じ進路を選んだ。お前が一人暮らしを始めた時、近くに住みたかったけど、我慢した」
朔真が口端をわずかに吊り上げる。
「その代わり、頻繁にお前の様子を見に行ってたの、気づいてなかっただろ?」
部活もサークルも入らず、凪の動向を見守っていたこと。一緒にいられる基盤を作るためだけに、勉学に励んだこと。
どうしたら一生凪と生きていけるか。そればかりをずっと考えていたこと。
「両親にも男が好きだって言ったし、凪の両親にもそれとなく話はしてある。もしかしたら凪のことだって、気づかれてるのかもしれないな」
次々に明かされる事実に、凪は言葉を失った。
「朔真……」
もう混乱はしていない。
けれど何と言っていいのかわからず、凪は言葉を探して視線を落とした。
「……重いよ」
ぽつりと、言葉を漏らす。
「あ、ごめん」
朔真が慌てて凪の体からどいた。
そういう意味じゃなかったんだけどと思いながら、凪は身を起こした。
改めて周囲を見回して、ホテルの一室にいることに気づいた。
「ああ、別に何かするつもりでここに来たんじゃないから」
凪の内心を察した朔真の弁明に、凪は小さく息を吐いた。
「……さっき」
「え?」
「怒ってるって言ったの、俺がアプリ使ったからじゃないの?」
「ああ、それもあるけど、待つことを理由に凪から離れすぎていた自分に一番腹が立った」
そう言った朔真が、頭を凪の肩へと預けた。
「なあ、凪。俺もう、待たなくてもいい?」
ずっと、ずっと、逃げていた。
周囲の目から、朔真から、自分の気持ちから、逃げ続けていた。
子どもの頃の自分が朔真の気持ちを知っていたら、やっぱり逃げていたと思う。
今もまだ、恐怖は完全には消えてくれないけれど――。
「……プロポーズの話、どこから出てきたんだろうな」
返事を別の話題で誤魔化すと、朔真の吐息が近くに触れた。
「ああ、会社でパートナーシップ制度の導入が決定したって聞いたから」
「は?」
「凪とそうなれたらいいなって妄想してたの、誤解されたんだろ。……まあ俺は、現実にしたいと思ってるけど」
朔真は自分の指から指輪を外すと、凪の手を取り、躊躇なくはめた。
「親への根回しは済んでるし、いつでも引っ越せるように準備もしてるし、物件も頻繁にチェックしてる」
指輪のはまった凪の手を、朔真は握りしめた。
「だからあとは、凪が覚悟を決めるだけだ」
凪は思わず天井を仰いだ。
「……朔真、お前、重すぎるよ」
呆れと、安堵と、諦めが、言葉となって口から溢れた。
「ほんと、重すぎる」
けれどそんな朔真がいたから、自分は今こうして受け止められているのだろう。
凪は、朔真の頭に、自分の頭をこつりとぶつけた。
「もう待たなくていいよ」
中学の頃の、手を差し出されて逃げていた凪は、まだ心の底で、そっとこちらを伺っているのかもしれないけれど。
「凪」
名を呼ばれ、唇が重なった。
きっと、歩いていける。
暗い夜を抱えて道が見えなくても。
それでも――朔真が照らしてくれるから。
そんな確信めいた感情を抱きながら、凪は目を閉じた――。
〈完〉
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