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第1話

 猛獣の檻に閉じ込められるとこんな絶望感を味わうのだろうか。  ロキ・ステンホルムは室内をぐるりと見渡し、ベッドに腰を落ち着けた。  豪奢な造りの室内には品のよさそうな調度品がお行儀よく並んでいる。でも色や形に統一感がなく、急ごしらえで揃えたのが嫌でもわかった。  室内を観察するのに飽き、ロキは自分の寝間着を撫でた。上等なシルク素材はしっとりと指に馴染む。細やかな刺繍が施されているが、こんなものなんの慰めにもならない。  嫌な音を鳴らす胸を押さえ、ロキは深く息を吐いた。  (大丈夫。デイビット様に教えてもらえた通りにやればいいんだから)  生まれて十九年、大きな怪我や病気もしたことがない丈夫として孤児院では通っていた。だからどんな痛みにも耐えられる自信がある。  視線を感じ、顔を向けるとベッド横の姿見に映る自分と目が合う。  この国では珍しい黒羽のような髪と同じ色の瞳。月明りだけが満たす部屋では闇に紛れてしまいそうだ。元々白い肌が青白く見えるのは緊張のせいだろう。  廊下が騒がしくなってきた。執事ーーデイビットの叫び声とこの屋敷の主らしい男の唸り声が聞こえる。  来た。  ガチャリとドアノブが回される音が静謐な部屋に響く。野獣は朝日のように輝く金髪をしている。部屋が一段階明るくなったような気がした。  「ロキ様……お願いします」  デイビットが扉を閉めた。この室内にロキと男の二人だけになる。  男は息を乱し、壁を伝いながら入室してきた。手がすべり、棚に飾られていた花瓶が、がしゃんと音を立てて落ちる。でも男は気にも留めず歩みを止めない。  滝のように汗をかき、細い顎に溜まっている。宝石のようにきらりと光り、ロキの気持ちを少しだけ慰めた。  男はロキを認めると目を大きく開き、可哀想なくらい動揺している。  「おいで」  男の頬に浮かぶ紋章を見て、ロキは亡くなった母を思い出した。  「おーい、ロキ! ちょっと来てくれないか」  「ちょいと待って。はい、おつりの五十ギルね。あとで家に運んでおくから、ばぁちゃん気をつけて帰りなよ」  「ありがとね、ロキちゃん」  「早くしてくれ、ロキ!」  「はいはい! いま行くから!」  ロキは常連である老婆におつりをしっかり握らせ、布屋の店主に断りをいれてから飯屋の親父のところまで向かった。  商店街は今日も賑わっている。建国祭まで三か月あるのに街全体がどこか浮き足立っていた。  お陰で客の羽振りがよく、生地が飛ぶように売れている。建国祭までに新しい服を仕立てる人が多いのだろう。  「ロキ、あとで俺の店も手伝ってくれ!」  「あいよ。夕方にいくよ」  「ロキ、出来立てのパンがあるから帰りに寄ってね」  「おばちゃん、いつもありがとう!」  商店街の中を走っているだけでロキは仕事先や知り合いから声をかけられる。新たな仕事の依頼ももらえ、内心ウハウハだ。  やっと飯屋の親父のところまで辿りつくと薄っすらと汗をかいた。まだ春なのに初夏を思わせる暑さだ。  「お待たせしました!」  「相変わらず人気者だな」  「ま、そうでもあるけど」  「この余計な一言さえなければ完璧なんだけど」  「これが癖になるって評判なのよ!」  飯屋の親父に小言を言われるが、ロキはにっと口角を上げた。そんな嫌味は屁でもない。  「で、オレを呼びつけといなんだよ?」  「この木樽をうちの店まで運んで欲しいんだ。仕入れ過ぎて荷台に乗らなくてよ」  親父の荷台にはすでに木樽が積まれているが、残り一つだけぽつんと道端に置かれてしまっている。  「ちゃんと計算して買わないから」  「つい安くてな。ほら、いまはぶどう酒が旬だろ? 店でも飛ぶように売れるんだよ」  「わかった。で、いくら?」  ここからがロキの腕の見せ所である。まさかこんな重たい樽をタダで運んでやるほどお人好しではない。  親父はむうと唇を曲げた。  「二十ギルでどうだ?」  「もう一声」  「二十五」  「さっき金物屋の親父に仕事頼まれたからそっちに行こうかな」  「わかった。じゃあ三十ギルだ! これ以上は出せない」  「承りました!」  「はぁ、その商売根性はいったいどこからくるんだか」  「へへっ、毎度あり!」  ロキは親父から三十ギルを受け取り、スラックスのポケットにしっかりいれた。  「じゃあ先に店に行ってるな。店の裏側に置いといてくれればいいから」  「はいよ」  親父は馬の手綱で引き、先に店に戻って行った。  それを見送ってからロキは木樽に視線を戻す。  木樽の中にはぶどう酒が満杯に入っているのだろう。持ち上げて運ぶのは無理だ。  「こうするしかないな」  ロキは慣れた手つきで木樽を斜めにさせ、片側を浮かせた。樽を回せば、遠心力の力で樽が前に進むのだ。  何度も失敗を繰り返し、試行錯誤してロキが身に着けた術である。  「さっさと終わらせて、金物屋の親父を手伝って、ばあちゃんの家に布を届けて、パンをもらわなくっちゃ」  頼まれたことは一つもこぼしてはならない。金を稼ぐためには必要なことだ。  ロキは樽を回しながら商店街を抜けていった。  仕事を終えたロキが孤児院に帰ると、ちょうどマザーたちが庭掃除に勤しんでいた。穏やかな日常の一コマに疲れが吹っ飛ぶ。  「ただいま!」  「おかえりなさい、ロキ」  「これ、パン屋のおばちゃんから」  「まぁありがたいわ。みんなで感謝していただきましょう」  マザーは笑い皺を刻ませた。  「あ、ロキにいちゃんだ!」  「おかえりなさい!」  「ただいま! みんな、いい子にしてたか?」  「うん!」  子どもたちがロキに気がつくとわらわらと集まってきた。年齢は二歳から十歳までの年少五人組だ。  マザーと一緒に庭掃除をしていたようで、松の木の前には枯れ葉が小山を作っている。  ロキが手渡した籠をマザーは子どもたちに見せた。  「ロキがパンを貰ってきてくださったのよ」  「やったー、パンだ!」  「こんやはごちそうだね」  年少組が目を輝かせて喜んでくれるが、ロキの心に暗い影をつくる。  本当はもっと腹いっぱい食べさせてやりたい。だが自分一人の稼ぎではどうしても難しいのだ。  年少組に籠を渡すと孤児院までかけっこしている。部屋で勉強をしている年長組に知らせに行っているのだろう。  この孤児院には全部で十人の孤児がいる。その最年長がロキだ。  子どもたちを眺めるマザーの横顔が曇るのをロキは見逃さなかった。  「またあいつら来たの?」  「……大丈夫。すぐ帰ってもらったから」  「くそ! オレがいない時間を狙ってくるなんて卑怯な奴らだ」  ロキは手のひらにこぶしをぶつけると、マザーはまるで自分が傷ついたように眉を寄せる。  「大丈夫よ。ちょっとお話しただけたから」  「あいつらが話だけで済むわけないだろ」  きっとまた金を渡したのだ。長年マザーといるので彼女の表情一つでわかる。  ロキの両親は流行病で相次いで死に、五歳で街を彷徨っていたときマザーが孤児院に連れて行ってくれた。ロキは一番の古株として孤児院を支えている。  お人好しのマザーは孤児を見つけると連れて帰って来てしまう。運良く里親が見つかる子もいるが、常に十人程度はいる。  れっきとした慈善事業なので国から補助をもらっているが全然足りない。食べ盛りな子どもたちの食費だけで使いつくしてしまう。  しかもどこから噂を仕入れたのか、少ない給付金を目当てにたかってくる奴が後を絶たない。揺すりや暴言ならマシな方で、酷いときには子どもたちに手を出そうとしてくる。  マザーは「金を払って追い返せるなら」と僅かばかりの金を渡してしまう。甘い蜜を覚えた害虫がしばらくすればたかりに来るという悪循環を生んでいた。  そのためロキは七歳から学校にも通わずに身を粉にして働いている。  だがどれだけ働いても生活は一向に楽にならない。  ロキはポケットにしまった封書を見せた。  「マザー、大丈夫だよ。ちょうど依頼来てたから今晩出てくる」  「ロキ……ごめんなさい」  「謝らないで。オレが好きでやってるんだから」  「でも最近依頼が多すぎるわ。あなたにもしものことがあったら」  「大丈夫! ほら、子どもたちが待ってる。みんなでご飯にしよう」  「ロキ」  目尻に浮かんだ涙を拭いたマザーはまだ納得していない様子だ。でもロキの決意は変わらない。  マザーにはたくさんの恩がある。だからずっと笑っていて欲しい。  そのためなら禁忌にすら手を伸ばすのだ。  子どもたちが寝静まった夜更けにロキは街の外れにある森へと向かった。顔を見られないように大きめのローブをまとえば、自分だと気づかれないはずだ。  森の奥深くには洞窟がある。野盗がねぐらにしているという噂を流しているため、ここまで足を踏み入れる人はいない。  人目がないので交渉をするのにうってつけである。  ロキが洞窟に着くと、すでに同じようにローブをまとった人物が立っていた。ビロードのローブが月光を浴びて星のようにキラキラしている。  金持ちの使いなのだろう。  元々ロキの顧客は貴族ばかりだ。一般人には手が出せないよう多額の金額を設定している。  「呪詛師か」  ローブの人物は低く唸る声を出した。ロキが頷くと革袋を投げられた。  地面に落ちた革袋から金貨が数枚転がり出ている。これさえあれば子どもたちに腹いっぱい食べさせて、服を新調してあげることができる。  ごくりと唾を飲み込み、ロキはポケットから呪符を取り出してローブの人物に渡した。  「ここに呪いたい者の名と呪いの内容を書けばいい」  「わかった」  詳しいことは事前に伝書鳩でやり取りをしている。  もう用はないとばかりにローブの人物はそばに控えていた馬に跨り、颯爽と駆けて行った。  蹄の音が小さくなっていくと共に後悔と嬉しさが合わさって、ロキの中で色の濁った渦をつくる。  「誰!?」   ぱちんと小枝が折れる音が聞こえて振り返る。暗い森は恐ろしいまでに静かだ。  (気のせいか)  ロキも急いで森を抜け、誰にも見られていないことを確認してから孤児院に戻った。ローブを脱ぐと日常が帰ってきたようにほっとする。  「……ロキ」  「マザー、起きてたの?」  「ごめんなさい。あなたに辛い役目をさせて」  「平気だよ。これくらいしか役に立てない能力だし」  自虐的に笑い飛ばそうとしたが、マザーのやさしい顔が曇ってしまう。  この人はいつもそうだ。  他人の傷にばかりに共感して自分が辛くても人を思いやれる強さがある。  だから孤児のロキを引き取ってしまったのだ。  ロキの母は東の生まれで、呪詛師の家系だった。  呪詛師とは呪符を用いて呪いをかけ、死ぬまで追い詰めることができる能力を持つ者を指す。  だがロキは呪詛師としての能力は低く、人の命を奪えるほどの力はない。せいぜいクローゼットの角に小指をぶつけるとか、髪がどんどん薄くなる程度の小さな呪いだ。  しかも呪いの効力は長くて半年程度しかもたない。本来は半永久的に続くものだが、呪詛師として鍛錬を積んでいないロキには難しいのだ。  大した呪いではないが、それなりに需要はあるようでポツポツと依頼はくる。  顔を見られないように伝書鳩を飛ばして手紙のやり取りをし、呪符を渡すときだけ対面にしている。うっかり落として関係ない人を巻き込まないためだ。  基本的に紹介制で、顧客のほとんどは貴族だ。みんな自分の地位を守るために蹴落としたい人が多いのだろう。  だが大なり小なりでも呪いは呪いだ。褒められたものではない。  生活が楽になるとわかっているが、マザーの良心が痛んでしまうのだろう。  また泣き出してしまいそうなマザーの肩を撫でた。  「ほら、こんなに金貨貰えたんだ。明日は肉を買おう。ついでに建国祭用に子どもたちの服を仕立てようよ。店にちょうどいい生地が入ったんだ。店主に相談してみる」  「……ロキ」  「オレは大丈夫だよ」  何度も繰り返して擦り切れてしまっている「大丈夫」は、相手を慰めると同時に自分に言い聞かせている。  大丈夫、大丈夫。  

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