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第2話
昼休憩の合間にロキが孤児院に戻ってくると、ばんとなにかが弾ける音がした。
『やめてください!』
マザーの悲鳴にロキは足を速めた。
間髪入れずにがしゃんと陶器が割れる音が響く。どくどくと脈打つ心臓を押さえ、ロキはリビングを抜けてキッチンへと向かった。
「マザー! みんな!!」
「ロキ……」
|竈《かまど》の前で倒れているマザーを守るように年長組が前に立ち、年少組は泣きながら縮こまっている。
子どもたちを囲うように荒くれ者たちがニタニタと気味の悪い笑みを浮かべている。
かあと頭に血がのぼった。
ロキを認めると黄ばんだ歯を覗かせる。
「よぉロキじゃねぇか」
「……おまえたち、なにをしてる?」
「ちょっとお話をだよね」
荒くれ者が子どもたちに視線を戻すと小さな身体が可哀想なくらい震えていた。唇が青ざめている。
マザーが子どもたちに支えられながら起き上がると頭を押さえた。血は出ていないが殴られたのかもしれない。
ロキは急いで駆け寄った。
「マザー、大丈夫?」
「……ん、平気よ」
力のない笑顔に怒りがふつふつと湧きあがる。
ロキは荒くれ者たちを睨みあげた。
「金なら昨日渡しただろ」
「いやそれがねぇ~ちょっと足りなくて~もう少し欲しいなって」
荒くれたちがニタニタと笑う。
唇を強く引き結ぶとロキの咥内に血の味が広がった。
「……いくら欲しいんだ?」
「ざっとこんなもんかな」
荒くれ者が指を三本立てた。
「わかった。ちょっと待ってろ」
ロキは階段をのぼり、自室に向かった。本棚の奥底にはロキが密かに貯めていたわずかばかりの銀貨がある。
いつか母が生まれ育った東の国を訪れてみたいと貯めていたものだ。
でもいまはそんな夢より孤児院が大事である。あいつらをどうにかしないとロキがここを出るなんて夢のまた夢だ。
小銭を握りしめ、ロキは階段を下りた。扉の前に荒くれ者たちが揃っており、銀貨を渡す。
「これが全財産だ」
「おやおや~おかしいな。昨晩、ロキは森の方でなにかやってなかったか」
弾かれるように荒くれたちを見上げた。あの取り引きを見られていたのか。だから連日金を要求してきたのかと納得した。
「……全部出さねぇとどうなるか、賢いロキちゃんならわかるだろ?」
にたっとした薄気味悪い笑みにロキは爪が食い込むほど強く握った。
(悔しい。なんでいつも上手くいかないんだ)
だがロキは抗う術がない。下手に抵抗してマザーたちに危害を加えられる方が嫌だ。
ロキはリビングの花瓶ごと男たちに渡した。じゃらじゃらと音を確認したあと、男が頷く。
「素直が一番だよな、ロキ。またな」
荒くれ者たちは肩を組んで出ていった。やっと嵐が去ったのに喪失感が残る。
「ロキにいちゃん……」
振り返ると子どもたちが不安そうにロキを見上げていた。
「手当てして、飯食おう! また午後は仕事があるから金ならなんとかなる」
泣いている子どもたちを励ましながら、ロキは笑顔を浮かべた。最年長の自分が泣き言を言っている暇はない。そんな時間があるなら、一ギルでも多く稼ぐのだ。
「ほら、涙を拭いてキッチン行こう。昨日のスープはまだ残ってるだろう?」
「……うん!」
子どもたちにも笑顔が戻ってきてほっとする。
(この幸せを守るために、オレはどうすればいいのだろう)
蟻地獄のような生活を抜け出す方法がはたしてあるのか、ロキには見当もつかなかった。
孤児院の片付けをして、昼食を済ませてから飯屋の手伝いに来ているが、昼のピークを過ぎたので客はほとんどいない。
夜の仕込みをしながら、お喋り好きの親父は口を歯車のように動き続けている。。
親父はキッチンからホールにいるロキに視線を向けた。
「そういや、聞いたか?」
「なにが?」
飯屋の親父は口元に手をあてた。彼が内緒話をするときの合図だ。三人ほど馴染みの客が食べているので聞かれたくないのだろう。
ロキはテーブルクロスを持ったまま親父に近付いた。
「レビーナ公爵が倒れられたらしいぞ」
「へぇ」
「おまえ、興味ないのか?」
「貴族の人とは会わないからなぁ。で、そのレビーナ公爵がどうされたんです?」
国民の中でも最下層である孤児のロキにとって、貴族は太陽よりも高い存在だ。正直名前を聞いてもピンとこないし、爵位の順番すら把握していない。
だが親父は熱がこもった様子で話を進める。
「レビーナ公爵は国際外交をする偉いお方なんだよ。ほら、二十年前に流行り病があっただろ? 治療薬を開発して、それを他国に売りつけて国に莫大な資産をもたらしたのがレビーナ公爵だ」
「つまりこの国の英雄ですね」
「そうそう!」
だが薬の開発が間に合わず、ロキの両親は相次いで死んでしまった。もう数年早く開発してくれれば、と願ったことは何度もある。
でもそのお陰で助かった命は多く、レビーナ公爵に対する国民の評価は高いらしい。
そんな方が倒れた、と聞いて心配する声があがるのも頷ける。だが自分には関係ないことである。
(それより多く金を稼ぎたいや)
ロキの頭の中は金のことばかりだ。いくらあれば今晩のおかずを買えるか、とそんなばかりが浮かんでしまう。
「それで息子のクラスト様が公爵を継ぐらしいんだが、息子の方も最近病に伏せってるらしい。レビーナ家は大丈夫だろうかね」
「それは心配ですね」
「だろ? まだ二十二歳だと聞くし、他に子どもはいない。そうなるとレビーナ家はどうなるやら」
明日の我が身もわからないロキにとって貴族がどうなろうと知ったことではない。それなのに親父はまるで自分のことのように胸を痛めている。
確か奥さんが流行り病に罹り、瀕死寸前のときに治療薬ができて助かったのだ。まだ療養中ではあるが、元気な姿をたまに見せてくれる。
妻を救ってくれた英雄を神のように崇拝しているのだろう。
ロキは同調するふりをしながら親父の話を右から左に流していた。
日付が変わる前に飯屋の仕事が終わった。夕方から立て続けに団体客が入り、ぶどう酒が飛ぶように売れ、キッチンとホールを何度も往復した。
疲労感で身体が鉛のように重たい。一歩踏み出すごとに地面に沈んでいくような気がする。
乏しい街灯の中、ロキは孤児院を目指した。夜道には人っ子一人いない。けれど時折、酒屋から笑い声が聞こえてくる。
まるで自分がいる場所と酒屋には境界線が張られているようだ。
どれだけロキが働いて金を稼いでも酒を飲めるほどの余裕はない。それはロキが孤児だからだ。
学がないので真っ当な職につけない。
飯屋や金物屋の手伝いをする程度である。
働き続けてきたロキの手はあかぎれだらけで酷い有様だ。感覚が麻痺しているのか痛みはもう感じない。
(この暮らしから抜け出したい)
孤児院は大切な場所だ。マザーも子どもたちも愛している。
でもときどき、ふと張りつめていた糸が切れるようにすべて投げ出したくなることがあった。
「昨日今日とあいつらが来たから、弱ってんのかな」
こんな顔では子どもたちに顔向けはできない。
ロキはぱんと頬を叩いて、気持ちを切り替えた。
孤児院から明かりが漏れている。マザーが待ってくれているのかもしれない。
ロキが門に手をかけようとすると、蹄の音が背後で止まった。
振り返ると闇夜に溶けるような真っ黒いキャビンがついた馬車がロキのすぐ後ろで停車している。場違いなくらい立派な馬車だ。
御者台から降りてきた男は白髪で右目にモノクルをつけていた。執事のような服装は、貴族に仕えている者としての誇りを感じられる。
白髪の男は慌ただしく口を開いた。
「ここの孤児院の方ですか?」
「……そう、ですけど」
もしかして呪符の依頼だろうか。いや、伝書鳩は来ていない。
ロキの居場所は気づかれないように痕跡を一切残していないはずだ。
だが荒くれ者たちに気づかれてしまった。呪符のことまではわかっていないと思うが。
人の口に鍵をかけられないように噂は広がってしまうものだ。
ロキが警戒していると白髪の男は恭しく頭を下げた。
「失礼いたしました。わたくし、レビーナ公爵家の執事でデイビットと申します。火急の用があったので、事前の連絡もなしに訪ねてしまい申し訳ありません」
「レビーナ公爵って……あの?」
飯屋の親父が話していたことを思い出す。
流行り病の薬を開発した立派な公爵家だ。
そんなお偉いさんがいったい孤児院になんの用なのだ。
デイビットは続ける。
「孤児院の責任者はいらっしゃいますか?」
「マザーなら家にいますけど」
「ご目通りをお願いできますか。急いでいるのです」
声音は川のせせらぎのように穏やかなのに、デイビットの額には汗が浮かんでいる。
夜は冬のように冷えるから、暑いわけではないのだろう。
ロキは急いで男を孤児院に招いた。ちょうどリビングで縫物をしていたマザーに事情を説明すると中に入れるように告げられる。
ロキとマザー、デイビットと三人でテーブルを囲み、軽く自己紹介をした。
最初にデイビットが口を開く。
「詳しい事情は言えないのですが、孤児院の中の男の子をお一人、レビーナ公爵家にいただけないでしょうか」
デイビットの言葉にロキはマザーと目線を交わした。
マザーが口を開く。
「それはうちの子の誰かを養子にしたいということですか?」
「いえ、そうではなく……うちで働いて欲しいのです」
デイビットは言葉を濁す。明らかに怪しい。なにか後ろ暗いことをさせようとしているのは明白だった。
「お金はいくらでも払います。それにお困りごとがあれば、なんでも引き受けます。どうか男の子をお一人、レビーナ公爵家にいただけませんでしょうか?」
捨てられた犬猫をもらい受けるような言い方にロキの眉間に皺が寄る。
でも悪い話でもなかった。
金がいくらでももらえるなら、子どもたちにたらふく食べさせることはできるし、新しい洋服を仕立てることができる。学校に通わせられるんじゃないか。
それに手を焼いている荒くれ者たちを捕まえてくれれば孤児院は平和になる。
いいことずくめでロキは身を乗り出した。
「お断りします」
マザーはきっぱりと言った。珍しく眉を吊り上げた彼女はデイビットを睨みつけている。
「うちの子たち、みんな愛情を注いでいます。それを物のような言い方は気に入りません。お引き取りください」
「申し訳ありません。決してそういうつもりではなく……すいません。気持ちが急いてしまってどうにも」
マザーの剣幕にデイビットはオロオロとしてしまっている。ロキも彼女がここまで怒るのは初めて見るので驚いた。
ロキたちを心から愛してくれているのだろう。絶対に渡さないという怒りに燃えたサファイアの瞳が鋭くデイビットを射貫いている。
だからこそロキは決心がついた。
「そのお話、オレが行っても構いませんか?」
「だめよ!!」
「これでみんなの暮らしが楽になるなら安いものだよ」
「どうしてあなたは……自分ばかり苦労を背負おうとするの」
マザーの両目には涙が浮かんでいる。その愛情の深さを知れただけで充分だ。
ロキはデイビットに身体を向けた。
「オレでも構いませんよね?」
「えぇ、あなたくらいの年齢の方が務まると思います」
どんなことをさせられるのだろうか。はっきり言って怖い。
でも自分がやらなければならないのだ。
「とりあえず百万ギルでいいですか? あとから追加しても構いませんよね」
「もちろんです。いまちょうどご用意しております」
デイビットは胸元から布袋を出して、テーブルに置いた。ずっしりとした重みのある金属音が響く。
中を確認し、ロキは頷いた。
「あとここに荒くれ者が来て、金を持っていくのです。そいつらの処分と警護もお願いできますか?」
「はい。すぐに手配致します」
「では行きましょう」
孤児院の安全を確保できたことを確認し、ロキは立ち上がった。
「待って、ロキ!」
「これでもう大丈夫だよ、マザー」
「でも……」
「オレは大丈夫だから。元気でね」
肩を震わせるマザーを宥めながら、ロキは今日までのことを振り返った。
辛いこともあったけれど、楽しい日の方が多かったような気がする。
飯屋や金物屋で働くのは知見が広がり、刺激的だった。
まるで走馬灯のように楽しかった日々が流れ、ロキは気づけば馬車のキャビンに乗っていた。
座椅子はふかふかのクッション素材で座り心地がいい。車内の細やかな意匠はいかにも貴族らしく高級感がある。
正面に座ったデイビットは畏まった様子で口を開く。
「こちら契約書になります。お目を通してくださいますか」
デイビットは懐から丸められた羊皮紙を広げてくれた。だがロキは文字が読めない。
すぐに反応できないでいるとデイビットは目尻の皺を深くさせた。
「ではわたくしめが要約させていただきます。今後レビーナ公爵家を出ることはできません。ですがロキ様の生活は保障され、お給金もでます。やりたいこと、欲しいものがあれば、従者に申しつけてください」
「そんな高待遇なんですか?」
「はい。ですが、それだけ辛いお仕事という意味でもあります」
デイビットの顔に濃い影をつくる。鎮痛な面持ちはロキを同情しているのだろう。けれど彼ではどうすることもできないのだとわかった。
ロキは唾を飲み込んだ。
「お仕事の内容を聞かせてもらえますか?」
「これを聞いたらもう二度と戻れなくなりますが、よろしいですか」
マザーと子どもたちの顔が浮かんだ。大好きな人たちを守りたい。
決意が岩のように強固になっていく。
ロキはデイビットを見据えたまま頷くと、彼はゆっくりと口を開いた。
「クラスト様の夜のお相手をしていただきたいのです」
ロキはレビーナ公爵家の屋敷に着くと風呂に入れさせられた。そして馬車の中でデイビットに教えられた通りに後孔を洗浄して、潤滑油を仕込んでいる。
寝間着を着て準備が整うとデイビットに部屋で待っているように告げられたのだ。
「うぅ……まさか男の相手をするなんて思わなかった」
身体を使うのは得意だと自負していたが、閨に関しては一度も経験がない。
(でも奴隷にされるよりマシか)
死ぬまで働く奴隷と比べれば夜の相手くらい大したことではない。
終われば自由にしていいと言われているし、むしろ好条件ではないか。短時間我慢すれば大金を得られ、雨風凌げて食べ物に困ることもない。
『クラスト様っ! もう少し耐えてください!!』
デイビットの悲鳴と共になにかが割れる音が響いている。
来た。
ロキは瞬きもせずにドアを見つめた。ドアノブが回り、髪を乱したデイビットが顔を覗かせている。
「ロキ様……お願いします」
「はい」
いよいよだ。扉に近づくとデイビットに引き摺られるようにして美男子が現れた。
朝日のような金色の髪は襟足で短く揃えられ、前髪は長い。隙間から覗く朝露に濡れた薔薇色の瞳は切れ長で、理知的な印象を与えた。背も大きくロキの頭一つ分あるだろう。
だが歯茎が見えるほど歯を食いしばっているせいで、せっかくの美しい顔が飢餓に喘ぐ獣のように醜い。
部屋に放り込まれたクラストは頭を抱えながら壁伝いで歩く。花瓶や壺が落ちてがしゃんと割れた。
「お初にお目にかかります。ロキ・ステンホルムで……」
ロキが顔を上げるとクラストの左頬に黒いライラックの入れ墨があった。違う。あれは呪いの紋章だ。
呪符を使った者と呪いをかけられた者に浮かぶ呪詛師にしか見えない紋章である。
呪詛師によって花の種類が異なると言われていた。
ライラックは間違いなくロキ本人がかけた呪いを示している。
(つまり呪いが自分に返ってきたというわけか)
最近好き勝手稼がせてもらった報いだろう。それだけのことをしてきた自覚はある。
クラストはうーうーと獣のように唸りながら、ロキを凝視している。獲物を狩る目だ。言葉がクラストの耳に届いていないのかもしれない。
ロキはゆっくりと腕を伸ばした。
「おいで」
ロキの腕を掴むクラストが一瞬だけ悲しそうな顔をしていた。
でもそれは流れ星のようにすぐに消えてしまい、ベッドに押し倒された。スプリングがぎしりと悲鳴をあげる。
クラストは唸り声をあげたまま、ロキの顔の横に手をついた。
下半身に手を這わせたクラストは躊躇なくロキの寝間着をまくりあげる。そして自身のベルトを緩め、すでに張りつめている屹立を蕾にあてがう。
「ちょ、ちょっと待って! 慣らしーーあぁ!」
一気に腰を進められ、身体を貫かれる痛みがロキを襲った。中に潤滑油は仕込んでいるとはいえ、ケチの性分が災いして量が足りなかったのだろう。引き攣るような痛みにロキの全身は戦慄いた。
痛みで涙がとめどなく溢れてくる。縮こませていると、ろくに馴染んでもいないのに律動が始まった。
「まっ、ひい……痛い、痛い!!」
何度やめてと訴えてもクラストの律動は止まらない。むしろ激しさを増して、肉同士がぶつかる音が響く。
呪いの効力のせいだ。
クラストの頬の紋章がどんどん色濃くなっていく。
呪いは一度発動したら呪符を破るか呪詛師を殺さないと止められない。どれだけ精神を鍛えた人でも呪いの前では無意味だ。
あまりの痛みでロキは気を失い、でも新たな痛みで意識が戻る。
地獄のような時間を交互に繰り返している間、クラストは何度もロキの中で射精をした。
もはやどこが痛いのかわからない。ロキの身体のあちこちから鋭い悲鳴があがっていた。
ロキはしゃくりあげながら泣いた。こんなに泣いたのは母親が死んだとき以来だ。
「ふっふぇ……あっ、うぅ」
めそめそと泣いているとクラストの律動が止まった。
眉を寄せ、苦しそうな表情をしている。なぜかロキの痛みをすべて請け負っているかのような鎮痛な表情だ。
(クラスト様もお辛いだろうに)
ロキは腕を伸ばして、クラストの背中に腕を回した。
「大丈夫ですよ」
するとクラストの赤い瞳に涙の膜が覆った。朝露に濡れた薔薇のような美しさに痛みを忘れて見入ってしまう。
(泣かないで……)
そう言えたかどうかわからない。
ロキは最後に深く闇の世界に落ちていった。
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