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第3話
陽の眩しさに目を覚ますとすっかり朝になっていた。いや、この明るさからしたら昼だろうか。
ロキは靄がかった頭を稼働させようとするが、錆びついた歯車のようにうまく回らない。全身が水を含んだ砂のように重く、指先一つ動かすのも億劫だ。
寝返りを打つと人形のように美しい男が眠っていて、ロキは声にならない悲鳴をあげた。
長い睫毛が伏せられ、規則的な寝息を立てている。
(よかった。紋章が消えてる)
クラストの頬に浮かんでいたライラックの紋章はなくなっていた。呪いが一時的に消えている証拠だ。
ロキは肘をついて上半身を起こすとシーツにはかなりの数の血痕と精液が残っていた。もちろん精液はクラストのみだ。ロキは痛みが勝り、一度も達することができていない。
この血の量からして肛門に傷がついてしまったのだろう。
クラストとのセックスは痛くて苦しいだけだったが、それで多額の金が貰えるなら安ものだ。
「んっ……」
クラストが目を覚ました。ゆっくりと二度瞬きをしてから、ロキを見上げている。
薔薇色の瞳を縁どる睫毛が天使の羽根のように均整が取れていた。ついうっとりと見惚れているとクラストの眉間に皺が寄る。
「……誰だ」
「昨晩、お相手をさせていただいたロキと申します」
「…………っ!」
どうやら思いだしてくれたらしい。クラストはデュベをひっくり返し、自分の身体とシーツの惨状を見て顔を青ざめている。
クラストの身体にもロキの血がついて、黒ずんでしまっていた。
「あぁ、それオレの血なんでクラスト様は怪我してないですよ。汚しちゃってすいません」
ロキはへらっと笑った。
「次からは慣らしてくださると助かります。いや、オレもやっておいたんですけどね。うまくできなかったみたいでーークラスト様?」
ロキがベラベラと喋っているとクラストは頭を抱えて項垂れてしまった。もしかして男が相手ということにショックを受けているのだろうか。
一晩中盛るくらい元気だったのだから、女を相手したら妊娠させてしまう。
娼婦に子ができてしまうのは外聞が悪いだろう。特にクラストは未婚だ。本妻がいないのに先に妾の子を作ってしまうのは世間の目が厳しくなる。
だから男であるロキに白羽の矢が立ったのだ。そこは我慢していただきたい。
クラストは覆っていた手からゆっくりと顔を上げた。
「……すまない。こんな酷いことをして。どう償えばいいのか」
「金は充分にもらってるので問題ないですよ」
ロキがにっと笑うとクラストは呆気に取られているようだ。
「それだけか?」
「え? えぇそれくらいですね。あ、でも軟膏は欲しいです。お尻切れちゃったみたいで」
「……変な奴だな」
「そうでしょうか?」
「どれだけ金を積まれても好きでもない男相手にするのは嫌だろう」
「金が貰えるならなんでもいいです」
ロキがきっぱりと告げるとクラストは自分の髪をかき混ぜた。
「とんでもない娼夫を見つけてきたな」
「……なにか?」
「なんでもない」
悪口を言われた気がしたが、クラストの声が小さすぎて聞こえなかった。彼は一度深く息を吐いてから続ける。
「……デイビットに頼まれたんだよな」
「はい!」
「どこまで話は聞いている?」
「呪いを受けた、というところまでは」
昨晩のデイビットはかなり慌てていたので詳細は日を改めてと言われている。
夜に呪いが発動し、クラストが性衝動を抑えられず、メイドや従者を襲ってきたので、慌てて孤児院に飛び込んできたそうだ。
クラストにかけられた呪いは「発情」だろう。相手が男でも女でも例え動物でも性欲を向けてしまういうものだ。
クラストは苦虫を噛み潰したように眉を寄せた。
「でも呪いをかけた犯人がわからない。頭の悪い奴が考えそうな呪いなんて最悪だ……」
「どうして呪いだと思ったんですか?」
「いま貴族の間で流行っているらしいからな。薄っすらと耳にしたことがある」
「そうなんですね」
金に目が眩んで、呪符を売り過ぎていたらしい。
クラストは指を組んで虚空を睨みつけた。
「犯人を見つけたら八つ裂きにしてやる」
「……八つ裂き」
「火あぶりでもいい。まったく腹ただしい」
内心汗をかきながらロキはうんうん頷いた。その呪いをかけたのは自分ではあるとはとても言えない。
「呪いはいつから発動したんですか?」
「一昨日だな」
ということはこの前売りつけた相手か。
身なりから貴族の使いの者に見えた。クラストに仇をなす者か陥れたい輩だろう。
初めて発情が起きたときは自慰をして凌いだらしいが、かなり辛かったらしい。最後は強力な睡眠薬を飲んで無理やり眠ったそうだ。
(まぁ、犯人捜しはオレの仕事じゃないしいいや。下手に動いて、呪詛師だと気づかれる方が厄介だ)
多額の金は貰っているが、それはあくまで夜の相手のみだ。それ以外、働くのは割に合わない。
「すまない、長く話しすぎたな。朝食と紅茶を用意させよう」
「このまま捨て置いてくださって大丈夫ですよ」
ロキはヘラヘラと笑いながら手を振った。身体は痛むが頑丈が取柄なので、たらくふく食べて寝ればすぐ元気になるだろう。
だがクラストは不機嫌そうにきゅっと眉を寄せた。
(なんか怒ってる?)
もしかして粗相でもしたのだろうか。生憎閨の経験がないのでノウハウもマナーも知らない。デイビットから教えてもらったのは肛門の洗浄だけだ。
「すいません、もしかして怪我させちゃいましたか?」
「……いつもそうなのか?」
「いつも?」
「仕事が終わったあと」
「あ~はい。そうですね」
仕事が終わって孤児院に帰ってきたらマザーたちとご飯を食べて、寝ている。
寝ないで働くと身体がうまく動かないし、思考もままならない。お金の計算を間違えたら致命的なので、睡眠は必ずとるようにしている。
首を傾げているとクラストは唇を尖らせてそっぽを向いてしまった。
(完全に怒らせちゃったかな。変なこと言ったつもりなかったんだけど)
内心クラストの気難しさに辟易しながらもロキは笑顔を浮かべた。仕事を失敗しても笑っていれば許してもらえる。
だがクラストはロキを一瞥しただけで、重量のある溜息を吐いた。
「俺は義理堅いんだ。風呂まで世話をする」
「だ、大丈夫です!」
「だがその身体では動けないだろ?」
「床に這いつくばれば移動できます」
「それでは俺の気が済まない。悪いがこれは譲れない」
クラストはそう言うとロキをシーツにぐるぐると包み、膝裏に手を差し込んだ。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
「ひっ! 下ろしてください!」
「怪我をさせてしまった詫びだ」
「お金貰ってるからいいです!」
「だめだ」
ロキは腕を突っぱねてクラストを押し退けようとしたがビクともしない。
血と精液がついた身体はベトベトしているが、このくらい我慢できる。何日も風呂に入らずハエにたかられていたときよりマシだ。
「大人しくしていろ」
耳元で囁かれ、ロキの頭にかっと血がのぼる。
セックスはこれっぽっちも気持ちよくなかったが、クラストが漏らす喘ぎ声は可愛くてよかった。
(ってなに変なこと思いだしてるんだよ!)
ロキは思考を追い出すように首を横に振っているとクラストが怪訝な顔をしている。
風呂を溜めている間にクラストは石鹸を贅沢につかい、羊のように全身がもこもこの泡だらけにされた。
泡をすべる手は滑らかで気持ちがいい。クラストは真剣な様子でロキの身体を洗い、傷がないか調べている。
言っても聞いてくれないので好きにさせることにして、ロキはうっとりと目を細めた。
「いい匂い」
「蜂蜜が混ざってるんだ。肌もきめ細かくなる」
「へぇ~こんなものあるんですね。商店街では見たことがないな」
「最近輸入してきたばかりで、そのうち市場にも出回るさ」
「じゃあかなり貴重なものなんじゃないですか?」
「問題ない」
「勿体ない! 細かく切って少しずつ使いましょう。その方が長く楽しめますよ」
特に石鹸は浴室に置きっぱなしにしてしまうと湯の熱で溶けてしまう。孤児院では石鹸を小さく切って網に入れ、少しずつ使うようにしていた。
その話を力説しているとクラストは目を丸くしている。
(しまった。つい熱く語ってしまった)
恥ずかしくて俯くと頭上から堪えた笑い声が聞こえた。
「くくっ、変な奴だな」
「そんなこと初め言われました」
不満を零すとクラストは肩を揺らした。そんなにおかしなことを言っただろうか。
「んぐっ」
「痛むか?」
肛門の傷口に泡がしみ、ロキは唇を噛んで耐えた。
「ちょっとだけ」
「すまない」
「いえ……」
泡のお陰でロキの身体は隠れている。とはいえクラストの肌に直に触れており、泡越しに擦れると気持ちいい。
陽の光が入るバスルームではクラストの鍛え上げられた腹筋や二の腕がまざまざと見せつけられてしまい、目のやり場に困る。
(ゲイってわけじゃなかったと思うんだけど)
だが現にクラストの裸体にどきどきさせられている。
達せられなかった余韻が燻っているのか、性器が堅くなる気配にロキは腕を交差させた。
「どうした? そこも痛いのか?」
「ち、違います!」
「ならよく見せろ。怪我の具合いを全部把握しておきたい」
「問題ありません!」
「俺には見せられないということか」
クラストはバツが悪そうに眉尻を下げた。
(困った顔には弱いんだよな)
年長者として孤児院の子どもたちのリーダーを務めていたからか、誰かが困っていると助けてあげたくなる性分になってしまった。
(いや、でも勃起してるのを見られたらさすがにマズいだろ)
抵抗しようにもクラストの膝の上に乗せられ、泡で滑るのでどんどん身体が密着してしまう。
「こら、そんなに暴れるな」
「んあっ……!」
バランスを崩すとクラストの腹筋に性器が擦れて声を漏らしてしまった。
クラストは大きく目を開き、視線を下ろした。察してくれたらしく耳を真っ赤にさせている。
「すまない」
「……こちらこそすいません」
恥ずかしくて俯いているとクラストの大きな手がロキの性器に触れた。
「出さないと身体に悪いぞ」
「自分でやりますから!」
「傷も確認しないとな。そこに座ってくれ」
ロキはひょいと抱えられ、バスタブの縁に座らされた。両足を開かされ、蕾を曝け出すような体勢だ。
「やはり赤く腫れているな。傷は……外側じゃなくて中だろう。痛いかもしれないが、精液が残っていたら大変だ。前に集中していろよ」
「待って……やぁっ」
クラストがロキの性器を扱き始めた。快感が駆けあがってきて脳が犯される。快楽に浸っていると指が蕾の中にはいってきた。びりっとした痛みに唇を引き結ぶと、こっちに集中しろとばかりに扱かれている手に力が入る。
「……っ勘弁してください!!」
抵抗してもクラストは止めてくれず、ロキは達しながら中をきれいに洗われてしまった。
風呂から出てクラストにバスローブを着させてもらい、ロキはベットまで運んでもらった。とてもじゃないが歩けそうもない。
ぼんやりしていると水の入ったグラスを手渡された。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます」
こくりと一口飲むと冷たくてすっきりする。でもまだ身体が熱い。
(すごかった……あんな風になるなんて初めてだ)
クラストの手管に追い詰められ、ロキは何度も達してしまった。後孔はきれいに清めてもらい、軟膏まで塗ってくれたりと至れり尽くせりだ。
世話する側が世話されてどうする。
「おはようございます。クラスト様、ロキ様」
デイビットが銀のワゴンを押しながら部屋に入ってきた。デュベに潜るとシーツは新しいものに変えられていた。
(いつの間に)
風呂に入っている間に掃除をしてくれたのだろう。
ロキはもそもそとデュベから顔を出した。
「おはようございます……」
「ロキ様、お加減はいかがですか」
「大丈夫です」
「それはようございました」
デイビットは目尻の皺を深くさせ、テーブルに朝食をセッティングしてくれる。
クラストは手早くシャツとスラックスを身にまとうと席に座り、朝食を食べ始めた。
「食べないのか?」
「食欲がありません」
「なにかお嫌いなものがありましたか? すぐに作り直させます」
デイビットが慌てて皿を下げようとするのでロキは首を振った。
「違います。ちょっと疲れてるだけで……」
「遠慮なさらず嫌いなものがあったらすぐ仰ってくださいね」
「ありがとございます」
美味しそうな匂いに胃がきゅうとなるが、いまはなによりも眠い。お日様の匂いがするデュベは触り心地がよくて眠気を誘う。
うとうとしていると頬を突かれた。
「少しは食べろ」
クラストがフォークに刺したハムをロキの口元に運んでくれた。食べやすいように一口大にしてくれている。
ぐうと腹が鳴ってしまい、クラストはくすっと笑った。
「このまま食べさせてやろう」
「行儀が悪くありませんか?」
「構わないだろ。誰も見ていない」
「……ありがとうございます」
一口齧るとあまりの美味しさに眠気が吹っ飛んだ。柔らかな食感としょっぱさに舌鼓を打ち、感動のあまり泣いてしまいそうだった。
孤児院では味のないスープや固いパンばかりで肉なんて滅多にお目にかかれない。そんな贅沢なものを食べられるなんて夢みたいだ。
「美味そうに食うな」
「とっても美味しいです!」
「食べさせがいがある。ほらこっちも美味いぞ」
雛鳥のようにクラストに食べさせてもらい、無事に完食できた。腹が膨れるとまた眠気がやってくる。
ふわぁと欠伸を零し、ロキはクラストを見上げた。
「オレはここにいればいいんですか?」
「そうだな……呪いが発動したらオレが来る」
「わかりました」
うとうとと微睡んでいると強い視線を感じて瞼を押し上げると、クラストと目が合った。
得体の知れないものを見つけたような目つきをしている。
「どうかされましたか?」
「いや……なんでもない。困ったことがあればデイビットに聞いてくれ。俺は仕事をしている」
「いってらっしゃいませ」
デイビットが恭しくお辞儀をするとクラストは部屋を出て行った。
食べ終わった食器を銀のワゴンに乗せているデイビットを眺めながら、ロキは口を開く。
「あの……マザーたちは?」
「問題ありませんよ。お金も追加でお渡しし、騎士団に連絡をして荒くれ者たちを捕縛していただきました。他にも余罪があるようで、近いうちに罪に問われると思います。念のため、うちの使いの者と騎士団の方が交代で見回りをしていますが、復讐にきたりとかはないそうです」
「よかった」
脅威がなくなって安心した。
もう二度と会えないのは寂しいけれど、こうして近況を聞けるならいい方なのかもしれない。
「ロキ様はとてもおやさしい方なんですね」
「家族を大切に思うのは普通じゃないですか?」
「いえ、自分の身を犠牲にしてまで思うのは難しいですよ」
そうだろうか。家族のためならロキはなんだってする。ロキにとっては当たり前のことだったが、褒められると照れてしまう。
視線を彷徨わせているとデイビットは声もなく笑った。
「お手紙を書いてみたらどうでしょう? 一度検閲させてもらいますが、近況程度なら問題ありません」
「でもオレ、文字の読み書きできないですし」
「では、うちの使用人から教わるのはいかかでしょうか?」
「え?」
デイビットの提案にロキは目を丸くした。
「ここではロキ様が望めば大抵のことはできます。もしやる気があるようでしたらお勉強をしてもいいかもしれません」
「必要ないです」
どうせ一生ここから出られないのなら、知識をつけたところでどうにもならない。
だがデイビットは首を横に振る。
「美しい薔薇を表現するのに、ただ美しいだけでは物足りないでしょう? 知識をつけると他の言葉や表現であらわすことができます」
それは思ってもみない言葉だった。
文字の読み書きは働くのに必要というだけで、肉体労働しかできないロキには不必要だと思っていた。
でも薔薇の美しさを表現する、その一言が胸の奥に深く刺さる。
「……考えておきます」
「えぇ、お疲れのところにお話してすいません。ごゆっくりお休みください」
デイビットは丁寧にお辞儀をしてから部屋を出て行った。
天蓋を眺めながら、ロキは文字を読み書きする自分を想像して眠りについた。
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