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第4話
一日一回、クラストに抱かれる生活にも慣れてきた。いや、慣れてもいいものなのか。でもそれがロキの仕事だから仕方がない。
クラストはほとんど屋敷に籠もっているようで、呪いが発動するとロキの部屋にやってくる。
それが風呂の最中のときでも、デイビットと話しているときでも構わずベッドに引きずられた。
クラスト自身ではどうにもならない衝動だから仕方がない。そういう呪いなのだ。
「んあっ……んんっ!」
「くっ……」
中に欲を吐き出されて、ロキは痙攣しながらベッドに力なく身を委ねた。何度も経験してきたおかげか身体は情事に順応してきて、わずかばかりの快楽を拾うようになっている。
ロキの顔の横に置かれたクラストの指がシーツを強く掴んでいた。睫毛の毛先が震え、ゆっくりと瞼が開かれる。まるで薔薇が咲いたような美しさにロキは腹の底が熱くなるのを感じた。
「落ち着きました?」
「そうだな」
抜くぞ、と続けられ、クラストはゆっくりと腰を引いた。弱い部分を掠められ「んぅ」と甘えたような声を漏らしてしまい、ロキは慌てて口を押さえた。
目を丸くしたクラストに見下ろされ、形容しがたい微妙な空気が流れてしまう。
何度身体を重ねてもクラストとの間には仕事という線引きがあった。
恋人のような睦言はないし、愛撫もない。
部屋に来たらそのまま挿入され、クラストの衝動が治まったら終わり。
なんてわかりやすい娼夫の扱いなのだろうか。
でもその方が仕事をしやすい。
(こうやって素で声が出ると恥ずかしいな)
ロキは羞恥心を隠すようにぶるぶると頭を振った。
「まだお仕事ありますか?」
「あ、あぁ。そうだな」
「ではどうぞ。お疲れさまでした」
扉を指さすとクラストは眉間に小山をつくる。不機嫌そうな表情にはもう慣れた。
「……わかった」
クラストは布で適当に身体を拭いて、着替えてから部屋を出て行った。
一人になるとやっと肩の力が抜ける。安心すると腹がぐうと鳴った。
「そういえば丸一日食べてないや」
クラストの呪いが発動する時間は決まっていない。早朝だったり、昼だったり、夜中のときもある。
予測がつかないためロキは行為が終わったあと一度だけ食べて、そこからは飲み物だけで凌いでいる。
デイビットから男同士のセックスの場合、受け入れる側は常に肛門をきれいにしないとならないと聞かされていた。
だからロキは極力食事量を減らし、排泄する回数を抑えている。
「とりあえず風呂入ろ」
よろよろと風呂に入る。中に何度も出された精液を掻きださないと腹をくだすのだ。
湯船に浸かったまま足を開き、指を突っ込んでかぎ針のように曲げると精液が出てくる感触がある。中を弄っているとさっき抱かれた熱が再び湧き上がってしまう。
(オレって淫乱だったのかな)
指が無意識にさきほど触れられた弱い部分に向かう。
奥にあるぷっくりと腫れている性感帯を指で押すと下肢が震えた。
おずおずと空いた手を胸に周り、赤く尖った乳輪を撫でる。自分で処理するようになると胸が寂しくなることに気づき、触るようになったのだ。いつしか性感帯に姿を変えている。
クラストとの行為は獣の交接だ。ただ彼が理性を取り戻すのをひたすら待つ。
けれど乱暴なだけの律動の中でも快楽の粒を見つけられるようになった。
回数を重ねるごとに痛みは減り、快楽がどんどん増えていく。
痛いより気持ちいい方が楽しめる。
「んう……あっ!」
性器を触らないで達してしまい、甘美な余韻が頭を鈍らせる。湯気が立ち上る浴室をぼんやりと見上げた。
(さすがにセックスばっかりで頭おかしくなりそう)
この屋敷に来てからというもの、ロキはセックスか自慰の二つしかしていない。
クラストの相手以外は自由にしていいと言われているが、なんとなく部屋から出るのを躊躇っていた。
公爵夫妻と挨拶をしていないのだ。いくら学がないロキでもそれはマナー違反なことくらい理解している。
それとも泊まり込んでいる娼夫は顔を合わせる権利もないのだろうか。
デイビット以外の使用人とは会わないの作法がよくわからない。
「……出よ」
考えても仕方がない。ロキは手早く身体を洗い、バスローブを羽織って部屋に戻るとデイビットが食事の用意をしてくれていた。
「こんにちは、ロキ様。お食事を持ってきました」
「ありがとうございます」
「本日は食べられそうですか?」
銀のワゴンの上には焼きたてのパン、サラダ、ローストビーフ、野菜スープ、デザートにフィナンシェが花壇のように並んでいる。
いまはちょうど昼が過ぎたばかりなので、昼食を兼ねているのだろう。
ロキは首を横に振った。お腹は減るくせにいざ食べるとなると食欲が湧かないのだ。
「ではスープだけでもいかがですか? 本日は鴨の味が効いた栄養満点の野菜スープでございます」
「じゃあそれだけいただきます」
「はい」
ロキは椅子に腰かけ、くすみ一つない匙を手に取った。
やさしい野菜の香りが鼻孔を擽る。
銀の匙でこぼさないように口に運ぶと鴨の味が染みた高級感のあるスープだ。
「顔色が優れませんね」
「元々色白なんです」
「もっと食べてくださっていいのですよ。無理を言っているのはこちらなんですから、遠慮しないでください」
「お気遣いありがとうございます。オレはこれで充分です」
ロキは安心させるように口角を上げた。だがうまく笑えなかったのだろう。デイビットの顔に暗い影が落ちる。
「申し訳ありません。クラスト様に呪いをかけた呪詛師を探しているのですが、なかなか足取りがつかめないようで。呪符も見つかりませんし」
「いえいえ、オレなら大丈夫ですから、そんな焦って探さなくていいですよ!」
犯人は自分なのだ。見つかるわけにはいかない。
孤児院にもらった金がなかったことにされたらマザーたちはどうなってしまうのだ。
責められるのが自分だけならいい。でも家族にまで危険が及ぶなら、いくらでも犠牲になる。
「ですが」
「頑丈だけが取り柄なんで大丈夫です! あ、少し休憩したら屋敷内を散歩してもいいですか? この部屋以外、見たことないし」
「えぇ、もちろんです。いま裏の庭園には薔薇が見事に咲いております。ぜひロキ様にも見ていただきたいです」
「それは楽しみです!」
ロキは笑顔を振りまきながらスープを完食し、デイビットがいなくなってから全部吐いた。
少し寝て起きると日は完全に落ちており、月明りが細く部屋に差し込んでいる。
「……寝過ぎた」
ロキはごろりと寝返りを打ち、天蓋を見上げた。身体がギシギシと悲鳴をあげる。
部屋から一歩も出ていないので太陽を浴びていないし、風を感じていない。常に外で働いていたロキにとって檻に閉じ込められているような閉塞感だ。
そのせいで気分も沈みがちである。比例するように食欲が湧かない。
頑丈な方ではあるとはいえ、慣れない行為の連続に精神の方が先に参ってしまっているのだろう。
「あ~ダメだ。こんなのオレらしくない!」
ロキは頭を振った。
そもそも考えることは苦手なのだ。
(庭園に行って少し気分転換しよう)
ロキはクローゼットに入っているシャツとスラックスに着替えた。白いシャツの襟元には細やかな刺繍が施され、はしばみ色のスラックスには皺一つない。
ロキが勤めていた生地屋に卸されていない上等なものだ。
ただの娼夫の貢ぎ物としてはいささか高価すぎる。
クラストの顔が浮かぶ。
呪いのせいで衝動を抑えられないから贖罪のつもりなのだろうか。
こんなことしてくれなくていい。雇用主であるクラストはロキをどんな風に扱ってもいいのだ。
「うっ……」
一歩踏み出すとロキの視界が歪んだ。身体を巡っている血が足元に落ちていくような感覚に膝をつく。
ほとんどスープしか食べていないので、孤児院にいたときより栄養失調かもしれない。
しばらくじっとしていると落ち着いてきて、ロキは部屋を出た。
廊下に出ると窓から月明かりの僅かな光だけが差し込んでいる。従者は休んでいるのか、人の気配がない。
ロキは階段を降りて裏庭に続く扉を開けた。
「わぁ……っ!」
外に出ると薔薇の匂いが出迎えてくれる。
裏門へと続く石畳を囲うように薔薇が地植えしてあった。
薔薇と一括りに言っても種類がある。レモネードシロップ、ビターカヌレ、スイートシフォンと花びらの付き方や色が異なるのだ。
石畳の上を歩いているだけで、薔薇に祝福されているように心地よい。
一つ一つを見て回り、ロキは花に手を伸ばした。するとレモンイエローの花弁がすぐに黒く朽ち果ててしまう。
「あっ……」
花は首を切ったように落ちてしまい、ロキは慌てて手を引っ込めた。
呪詛師は植物に触れるとその命を奪ってしまうのだ。
亡くなった母はライラックが好きで、家の窓からよく眺めていた。
ロキは棺にライラックの花を供えてあげたかったができなかったのだ。
いつしか母を追うようにロキも植物が好きになっていた。特に薔薇はいい。他者を寄せつけない棘が気高いのだ。
だから花は見るだけと留めている。それなのにうっかり触れてしまい、不用意に命を奪ってしまった。
ロキは朽ちた薔薇の前にそっとしゃがんだ。
「……ごめんね」
これは呪詛師としての宿命だ。
でも触れないからこそ恋焦がれてしまう。相反する気持ちにロキの胸は引き裂かれそうだ。
びゅうと冷たい夜風が肌を撫で、寒さで身体が震える。シャツ一枚だけではまだ夜は冷えるらしい。
立ち上がるとまた視界が揺らいだ。足を前に出すと石畳の段差につまずいてしまい、身体が傾いだ。
(ぶつかる……っ!)
ぎゅっと瞼を閉じる。きたる衝撃に備えるように歯を食いしばるとふわりと腰を抱かれた。
「大丈夫か?」
瞼を開けるとまだ視界が白い。でもこの低い声には聞き覚えがあった。
「……クラスト様?」
「段差に躓いたのか」
「すいません。大丈夫です」
視界が戻ってきて、離れようとするが身体に力が入らない。ぐらりと体重を預けてしまうとさっきよりも強く腰を抱かれた。
「細い……」
クラストは小さく零し、ロキの背中に触れた。シャツ越しでも彼の手触りはよく、びくりと反応してしまう。
「ちゃんと食べてるのか?」
「はい、もちろんです」
「の割には細いな。ここに来たときよりも痩せている」
「元々肉がつきにくいのです」
「だから倒れるのだ」
クラストは身を屈め、ロキの膝裏に手を差し込んだ。ひょいと抱えられてしまい薔薇色の瞳が間近に迫る。目尻の際まで埋め尽くす睫毛が風に揺れていた。
「降ろしてください!」
「夜風に当たるつもりだったんだろ? あそこに座ろう」
ロキの抵抗を軽くいなし、クラストが顎で指した先は庭園の中心にあるガゼボだ。白い鳥かごのような形をしたパビリオンで、休憩所として使われる。
ガゼボの中にはテーブルと椅子があり、よくお茶会をしているのか隅々まで手入れが行き届いていた。
「自分で歩けます」
「そんなフラフラでよく言う。ほら、着いた」
椅子に座らしてもらうと浮遊感がなくなり、身体の重みをずっしりと感じる。背凭れに上半身を預けると呼吸がしやすい。
「身体も冷えているな。これを着ていろ」
クラストはジャケットを脱ぎ、ロキの肩にかけてくれた。まだ彼の体温が残っているので温かい。
「ただの娼夫なんですから、放っておいてください」
「どうしておまえはそんな構わられるのを嫌う?」
「……だって返せるものがないですもん」
人の善意は見返りを求めるものだ。荷物を運んでやるのも、店の手伝いをするのも、金という報酬を得られるからで、慈善活動ではない。
夜の相手以上の大金をもらっている身としては、それ以上の施しは身に余る。
自分にはなにも返せるものがない。身体を差し出している以上、ロキに残るものはあと命だけだ。
(オレが死んだらこの人は楽になるのか)
答えに辿り着いてしまい、ロキは苦笑を漏らした。呪いの効力をなくすには呪符の損壊か呪詛師の死しかない。
(なんだ、こんな簡単なことじゃないか)
ふふっと笑うとクラストが気味悪そうにこちらを見た。
「なんだその笑い方は。落ちてるものでも食べたのか?」
「オレだって落ち込む日くらいありますよ」
「……連日好きでもない男の相手をさせられて辛いよな」
ふとクラストの顔に影が入る。朝日のように輝かしい金髪が夜の闇に食われようとしていた。
ロキは咄嗟に首を振る。
「お相手するのは辛くないです。あ、でも最初は痛かったです。いきなり突っ込むのはナシですよ」
「……すまない」
「でもいまはオレも準備に慣れてきたし、問題ないですけどね」
おどけて見せるがクラストは形のいい眉を寄せた。
「……呪いが発動するとどうしても理性が飛んでしまうんだ」
「愛犬やメイドも襲っていたそうですね」
「それをどうして……あぁデイビットたな」
クラストは怒るでもなく、前髪をくしゃりと掴んだ。その表情から自責の念がひしひしと伝わってくる。
「誰でも見境なく求めてしまって、欲を吐き出すことだけに思考が埋め尽くされる。呪いとはこんなにも恐ろしいものなんだな」
「……犯人の目星はついてるんですか? 誰かに恨みを買ってるとか」
「心当たりが多すぎてよくわからない」
「そんなに」
一体クラストはなにをしでかしてきたのだ。
クラストは首を振り、手の甲で目元を覆った。精神的にかなり参っているらしい。
そもそも男を抱くことに抵抗があるだろう。異性愛者だとすれば肛門に性器を挿入するのは生理的嫌悪があっても不思議ではない。
「呪いの効力が切れるまで楽しんだ方がいいですよ。オレもできるだけ協力しますから」
にぃっと笑って見せる。子どもたちが家族を恋しくて泣いてしまう夜にロキはあやしながら笑顔を浮かべた。
そうすると子どもたちも釣られて笑ってくれるのだ。
だがクラストは痛々しそうに眉を寄せた。ロキの笑顔の力が足りなかったのだろうか。頬が引き攣るほど口角を上げる。
手の甲の隙間から薔薇色の瞳が覗く。
「無理して笑わなくていい」
「無理なんてしてませんよ」
「俺には泣くのを我慢しているように見える」
クラストはロキの頰に触れた。温かくてやさしい。縋ってしまいたくなる。でもそんなことしちゃだめだ、と奥歯を噛んで耐えた。
「言いたいことがあるなら言っていい。ここにはおまえを咎める奴はいない」
「でもオレは娼夫で」
「娼夫だと意見を言ってはいけない法律があるのか?」
「……それはわからないですけど。でもオレは雇われで、クラスト様の方が立場は上です」
労働者と雇用主という関係は金銭が発生する分、後者の立場が上だ。労働者は意見も言えない。言われたことをただ黙ってやる。失敗をしたら首を切られる。それだけだ。
そんな経験は何度もしている。
だから試行錯誤して笑顔を習得した。失敗しても嫌なことを要求されても笑って愛想よくすれば嵐は過ぎ去る。
自分さえ我慢しておけばうまく回せるのだ。
「どんな立場の人間でも意見する権利はある」
クラストの言葉にロキは目を見開いた。
「それは孤児でもですか?」
「どんな立場の人間だろうと関係ない。だからなにか思うことがあるなら言って欲しい……あ、だが閨に関してだったらすまない」
「なんでクラスト様が謝るんですか」
「男に組み敷かれていい気はしないだろ」
「そりゃまぁ……そうですけど」
「それに前もって丁寧に準備しているとデイビットから聞いた。だから食事を減らしているのだろう?」
「それは……」
「おまえが倒れたら家族が困る。自分の身を大切にすることは、家族を守ることに繋がるんだ」
「家族を、守る……」
「そうだ」
クラストは力強く頷いた。
自分の身体は自分だけのもので、家族は関係ない。でもロキが倒れて悲しい思いをするのは孤児院に残した家族だ。
それは金だけのことではないのだとクラストの言葉から伝わってくる。
(この人、無表情でわかりづらいけどやさしい人なのかもしれない)
クラストは行為が終わればさっさと部屋を出て行ってしまうので、こうして会話したことはほとんどなかった。
懐が深い人なのかもしれない。
「心配してくださり、ありがとうございます」
「では食事にしよう。腹が減ると余計気分が滅入る」
「お仕事はもういいんですか?」
「休憩だ。デイビット、食事を」
「ご用意しております」
影のようにゆらりとデイビットが姿を現したのでロキは悲鳴をあげそうになった。いつからそばにいたのだろう。
デイビットがランタンをテーブルに置くと庭園に淡い光が広がる。
テーブルに並べられた料理はスープやミルク粥といったまるで病人食だ。それでもクラストは文句を言うでもなく、匙をすくって食べている。
(オレに合わせなくてもいいのに)
じっとクラストを見ていると薔薇色の瞳がこちらを向いた。
「どうした。また食べさせて欲しいのか?」
「そういうわけじゃなく」
「遠慮しなくていい。ほら、熱いからゆっくりな」
クラストが差し出したスプーンにはスープが入っている。一口含むとやさしいトウモロコシの味がした。乾いた土に水がしみ込んでいくように温かさが全身に広がる。
不思議と吐き気がない。今朝までは食べると気持ち悪くなってしまっていたのに。
弱音を吐きだせたから気分がすっきりしたのかもしれない。
(クラスト様って不思議な人)
無表情で感情がわかりづらいが、冷徹人間ではないのだろう。言葉のはしばしで深い愛情が伝わってくる。
いい雇用主に出会えたことに感謝して、その日の夕食はクラストに食べさせてもらった。
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