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 わたしは寂れた海辺の小さな町の役場で福祉関連の手続きの担当をしていた。  でも、わたしは決して志の高い人間な訳ではない。地方公務員試験と地元と周辺の自治体の採用試験を受けて合格し、高校を卒業してそのまま隣町の役場に入職したので、特に関連の専門の資格を持っているわけでもなく、困った人が使う制度などもさっぱりわかっていなかった。  おそらく自分を育ててくれた人たちもそういう制度を利用していたであろうにもかかわらず、わたしは何も知らなかった。  四苦八苦しながらそれでもなんとか各種制度や必要な手続きを憶え業務にも慣れ、前任者が定年になるとともに全て任されるようになってようやく唯一の担当者ということで自分の裁量で業務を進められるようになった。  そのあたりで中学から付き合っていた同級生と入籍し、職場のすぐ傍の公営住宅に居を構えた。3年後には子どもも生まれ、平凡ながら安定した穏やかな家庭を築くことができた。  早くに両親が離婚し、尚且つ蒸発してしまってずっと祖父母や親類に面倒を見てもらっていたので、早く自立したい、自分の家庭が持ちたい、落ち着いて暮らしたいと思っていた。その夢を叶える事ができただけで十分だった。  其の筈だった。  きっかけは、或る年の年度始めにシステム担当とかヘルプデスクとかの名目で臨時採用されてひとりの青年が入職してきたことだった。  どうも、仕事の進め方や効率化について、あとは様々な手続きの効率化や町内全般の通信インフラの整備についてこの町出身でIT関連の仕事に就いていた者にサポートを頼もうと総務が帰省時期を狙って声をかけに回っていたが、田舎にもほどがある地域で、しかも臨時職員で待遇が待遇なので悉く断られていたのだそうだ。  しかし声をかけられた人間のうちのひとりが、過労から休職してそのまま退職してしまった元同僚を紹介してくれたのだという。仁科というその青年は、この荒っぽい人間が多い田舎町にはそぐわないというか似合わない感じの、物静かで礼儀正しい、そして誰にでも親切な如何にも育ちの良さそうな人物だった。  服装もキレイめというか、高見えするというか、そういうシャンとした恰好で毎日出勤してきていたが、汚れるのも構わず這いつくばって作業したりしていることもあって、わたしはつい声をかけた。それが初めての会話だった。  「せっかくきれいな服だのに、煤けてまってホレ」  埃や塵で汚れてしまった背中や髪の毛を手で払うと、恥ずかしそうに笑って頭を下げた。  「すみません、えーと福祉の…お名前…」  「石川だぁ。そういう作業結構するんだら作業服総務で貸してもらえばいいんでないの。どれ、訊いてみてやる」  わたしは柄にもなく自分の業務を差し置いて、総務まで作業服を借りに行った。背格好から適当にサイズを選んで持ってきたらブカブカで、試着した仁科本人もわたしも大笑いしてしまった。  手続きで庁舎に来ていた住民も「石川くん、なんぼなんでもテキトーすぎだべせ」と笑って、仁科を呼び寄せて余った袖を折ってあげていた。  仁科は本来住民の前に出て仕事する立場でもないのに、迷惑メールを不安がって相談に来たり、パソコンやスマートフォンの操作に困ったりした住民にも嫌がらず対応し、気がつくと町全体のヘルプデスクのようになっていた。本来の仕事の合間にそういう細々としたことを対応しているので、どうしても残業する日が増えていった。  自分も唯一の福祉担当者なので居残って事務処理なんかをしているので、時折声をかけて飲み物や菓子なんかを家から持ってきてお裾分けするようになった。  「昼間来るジジババのああいうの、対応してたらキリないんでないの」  「でも、ここだと携帯会社のショップもないし、警察署もないし、お子さん方みんな都会に出て周りに訊ける人いないだろうし、しょうがないかなって思って」  個包装を裂いて、中のおかきを口に入れてモゴモゴさせながら言いつつ、手元では休まずキーボードを叩いている。  「仁科くん、今度、車出すから休みの日二人でカラオケ行かねが?」   「え?ぼくと行っても多分楽しくないですよ、ゲームとかアニメの歌ばっかりですもん、石川さん絶対知らないですよし」  「や、知らない曲聴けるから面白いんだって」  半ば強引に誘ったものだったが、プライベートの仁科はなかなか楽しくて、その後も休みの日に度々遊びに誘うようになった。いつしかわたしの同級生や家族も交えてみんなで出かけたり、互いに頼み事頼まれ事をしたりして、最初あまりこの町にそぐわないように思われていた仁科もすっかり馴染んでいった。  仁科が任期の2年を終えるも後任が決まらずそのまま契約更新になり、もうすぐ4年目にも差し掛かろうという或る日、土曜に休日出勤を終えて帰宅するとうちに仁科がいて、ちゃっかりわたしより先に夕飯を食べ、おまけに晩酌をしていた。  「仁科くん、うちの隣にいた先生転勤して空きが出たからアラスカから引っ越してきたんだって。ほらコレ持ってきてくれたのわざわざ」  アラスカというのは、町外れにある吹きっさらしの地域にある団地を何故か正式名称完全無視で『アラスカ団地』とみんな呼ぶのでそのことだ。  嫁のリナがこのあたりでは手に入らなそうな彩りのきれいな洋菓子の並んだ箱を掲げて見せる。  「おとーさん!このおかしめちゃくちゃおいしかった!たべたらいいにおいする!」  息子のジュリも興奮気味に指さして言う。  「いやぁ、気ぃ遣わせてすまないね」  「いえ、石川さんにはいつも良くしていただいてますから。こちらこそ晩御飯勝手にご相伴させていただいてすみません。ロールキャベツすごくおいしいです、いつもこんなごちそうなんですか?」  料理を褒められたリナは仁科の肩をポンポン叩いて訴える。  「それがさ、この人ちょっと手間かかったもの作っても、食べてもなんも言わないんだもの。こっちがら旨めが?って訊いてやっと旨いって言うくらいでホントなんだかどうだか」  「いつだって旨いものわざわざ訊かなくたってよかべよ」  其の遣り取りをにこにこして眺めながら箸を進める仁科が、ひとり家族が増えたようでわたしは愛しく、嬉しかった。  「遠慮しないでおかわりしていんだよ」  「少し持ってってもいんだよ」  「おにいちゃん、またさんすーわかりやすかったからおしえて」  次々構われても嫌がりもせず柔和に対応してくれる仁科に、比較的おとなしいうちの子もすっかり懐いていた。  そこまではなんてことはなかった。本当に事件が起きたのは更にそこから半年ほど後のことだ。  わたしはその休みの日、連休でリナがジュリを連れて実家の両親と街まで買い出しに出かけてしまったので、仁科と釣りに出かけ、それから戻ってうちで釣果の魚や拾ってきた貝類を調理して、二人で飲んていた。しかし疲れていたのもあってか元々強くないこともあって仁科が早々に酔ってしまった。   そのままうちで寝かせてもよかったが、自分の部屋に戻ると言ったので抱きかかえて支えて玄関先まで送り届けた。  しかし、うちに携帯を忘れていたので後から再度届けに行った。  インターホンを鳴らしても応答がないので、ドアノブに手をかけると鍵がかかっていない。田舎だと施錠していないのが普通だし、そんなものなのだが都会から来た人には珍しい。扉を少し開けて仁科の名を呼んでみたが、やはり応答がない。  酔っていたし、寝入ってしまってるかもしれない。でも、それだけならいいが、もしかしたらということもある。  おそるおそるわたしは玄関に入ってそっと扉を閉める。つっかけを脱いで上がり、忍び足で進み、カーテンで仕切られていた居室を覗き込んだ。  そこに広がっていたのは、白とややくすみがかったパステルカラーと、フリルとリボンの世界だった。  片扉開けてある収納には仕事用の服がかかっているし、ごく普通の衣装ケースが積み上がっているし、収納前のスペースが大きなスピーカーやアンプとともに大きな液晶ディスプレイとタワーPCとゲーム機があり、明らかに仁科の持ち物だ。  でもそれ以外は猫足のドレッサーに天蓋付きのアイアンフレームのベッド、たくさんのぬいぐるみ、真っ白な毛足の長いラグ、フリルで覆われたクッション、たくさんのスイーツや花がモチーフのワンピース、リボンがいっぱい付いたり袖が膨らんだり広がっているブラウス、チュールを重ねた膨らんだペチコートのようなもの、縦巻きの髪型のヅラなど、どれを見ても仁科と結びつかない。  白いラグの上に横たわってた仁科の傍らに膝をつき、肩を叩くと仁科が目を覚ました。  「ごめん。携帯、忘れてったから持ってきた」  そう告げると、最初寝ぼけ眼で「あ、すみません…気づかなくて…」と掠れた声を出して答えて、再び寝入っていたが、数分すると判断能力を取り戻したのかでかい声を出して起き上がって、酔ってるものだからそのまままたひっくり返って、ゲーム機の角に頭をぶつけた。  「だいじょぶだか!?」   頭を押さえて転がってる仁科に駆け寄って頭を撫でてやる。  仁科は自分の頭の心配もせず涙目でわたしを見上げて「見ました?見ました?」と何度も問いかけてきた。  「…いや、そりゃ見たけども」  わたしが言うと、慌ただしく起き上がって正座し直して土下座して言う。  「誰にも言わないでください…」  小さく丸くなって、子ねずみのように震えている仁科の背中を撫でる。  「いや、別に誰に言う必要もないもの、言わないさ。でもさ」  「で…でも…?」  仁科が顔を上げてわたしを見た。  「それ、着てるのちょっと見てみたい」  「えっ」

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