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番外編 新しいルール制定
定時ギリギリ。いや、正確には五分オーバー。
(……よし)
今日は本当に頑張った。無駄話もせず残業も最低限に抑えて、全力で仕事を片付けた。
理由は一つ。
(――昨日のあれがある)
あの「構ってください」を思い出すたびに、帰ったら何が起きるんだろうと、勝手に期待してしまう自分がいる。
玄関のドアを開ける。
「ただいま」
「おかえりなさい」
――いつも通り。
エプロン姿の三好が、キッチンから顔を出す。声のトーンも、表情も、距離感も。
見慣れた平常運転がそこにあった。
「……」
靴を脱いだまま、固まる俺。
(――え? 昨日の流れは? 俺の脳内だけだったのか?)
「どうかしました?」
「いや……」
いやいやいや、落ち着け。三好はこういう男だ。期待しすぎた俺が悪い――そう自分に言い聞かせながら、ソファに腰を下ろす。
が。
三好はいつも通り、淡々と夕飯の準備を続けている。距離も近づかない。寄ってもこない。甘えもゼロ。
(……これは)
ダメだ。
意を決して、俺は立ち上がった。
「直人」
「はい?」
振り向いた三好の顔は相変わらず穏やかで、何も疑っていない。
「ルールを追加する」
「……はい?」
不意打ちだったらしい。振り返りながら、小首を傾げて大きな瞳を瞬かせる。
「いいか。忙しいほど言っていい」
「……何をですか」
「構ってほしいって」
三好が真顔で固まる。
「え゛?」
「昨日言っただろ。あれ」
キッチンに歩み寄り、わざと距離を詰める。
「忙しいから言わない、はナシだ」
「……」
「むしろ逆」
三好の耳が、みるみる赤くなっていく。
「忙しいほど、甘えていい」
「……それは」
「命令!」
「恒一、ルールや条件を増やすの好きですね……」
ぼそっとした呟き。だが、否定はしない。
「それ、俺だけですか」
「何が」
「……甘えていいの」
一瞬、真剣な目になる。
「当然だろ」
「……」
三好は黙り込んだまま、視線を彷徨わせる。手元のフライパンを持ったまま、完全に思考停止していた。
「……恒一」
「ん?」
「忙しいときでも……ですか」
「特に忙しいとき」
そう言うと、三好は小さく息を吸った。
「……じゃあ」
逡巡。ためらい。それから、観念したように。
「今日は……仕事、忙しかったですか」
その聞き方がもう、ずるい。
「すっごく忙しかった!」
「……」
三好はフライパンを置き、そっと俺の袖を引いた。昨日より、ほんの少しだけ強く。
「……じゃあ」
「うん」
「……少しだけ、構ってください」
破壊力。
(……)
俺は何も言えなくなった。代わりに、そのまま三好を引き寄せる。
「ルール制定、大成功だな」
「……これ、翻弄されてるの俺ですよね」
「今さらだろ」
胸に顔を埋めてくる三好の体温が、じんわり伝わる。
「……忙しくても、いいんですね」
「ああ」
「甘えても」
「ああ」
「……迷惑じゃないですか」
「真逆」
さらに力を込めて、ぎゅっと抱きしめる。
「忙しい日にそれ言われたら、俺が悶え死ぬ」
「……それはそれで困ります」
小さく笑う気配。
肩透かしを食らったと思った帰宅は結局、昨日以上の成果を生んだ。
(ああ……)
これはもう、教育的指導じゃない。ただの惚気だ。
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