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第二十七章 看病
高瀬が倒れた。正確には、熱を出して会社を休む羽目になった。本人は「これくらい、大したことない」と言い張ったが額に触れた瞬間、その言葉は信用できなくなった。
(……熱、かなり高い)
「残業続きで、無理しすぎです」
「うーん……直人がいるから大丈夫」
布団の中で、いつもより三割増しで甘えた声を出す高瀬に、内心ひっくり返る。
(……俺がいるからって、そういう問題じゃ)
会社では鋭くて、判断も早くて、忙しいほど頼れる人のイメージ――それなのに今は、熱で瞳を潤ませながら心細そうに枕を抱えて、俺の手首を掴んだまま離さない。
「ちょっと、離してください」
「やだ」
「子どもですか」
「病人」
高瀬の理屈がいつもより雑すぎて、思わず言葉を飲み込んでしまった。俺は、無言で体温計を突きつける。
高瀬は、仕方なさそうな面持ちで体温計を脇に挟み、俺が逃げないようにするためか、手首を掴む手に力を込めてロックした。
この現状に、心底呆れながらため息をついた時、計測終了の電子音が鳴った。空いてる手で、高瀬の脇から体温計を回収する。
「三十九度二分……完全にアウトです」
「うん……」
「うんじゃないです。病院に行きますからね」
そう言いながらも布団を丁寧に整え、水を用意し、出かける準備をした。警備の夜勤より気を張っている気がする。
「直人」
「はい」
「近い」
(……俺が近いんじゃない。恒一が勝手に寄ってきているだけなのに)
枕一つ分はあった距離が、いつの間にかゼロになっていた。俺の腕に、頬をすり寄せてくる。
「熱があると、人恋しくなるんだよ」
「知りません」
「嘘だ」
指先で、俺のパジャマの袖を掴む。
「直人、どこに行くんだ」
「キッチンです。お粥を作ります」
「ここでいい」
「よくないです」
そう言って立ち上がろうとした瞬間、服の裾を強く引かれた。
「わっ!」
「……行かないでくれ」
声が弱い。それだけで、ずるいと思わされる。
(ズルい……これは反則だ)
仕方なくベッドに腰を下ろすと、高瀬は満足そうに息を吐いた。
「看病、得意だな」
「仕事です」
「仕事以上だろ」
額に濡れタオルを置くと高瀬は目を閉じて、俺の手首を握り直す。
「……直人」
「はい」
「ずっと、そばにいて」
聞き慣れない甘え声に、胸の奥がきゅっと縮んだ。
(これ、甘えすぎでは……?)
普段なら絶対に言わない言葉だ。言わせているのは熱と疲労と安心感。そして――こんなふうに必要とされることに、俺が少しだけ弱いことも。
「……離れません」
「うん」
それを聞いた途端、高瀬は安心しきった顔で眠りに落ちる。
数十分後――俺が立ち上がろうとすると、また引き止められた。
「……起きてます?」
「起きてない」
「喋ってますけど」
「夢」
意味がわからない。
結局、俺は片手が塞がったまま、器用に看病を続けることになった。
(――この人、元気になったら覚えてないんだろうな)
そう思うと、少しだけ悔しい。
夕方。病院から貰った薬で、ようやく熱は下がり始めたが、甘えは全く下がらなかった。
「直人」
「はい」
「手」
「……はい」
やんわり差し出すと、逃がさない勢いで指をぎゅっと絡められる。
「こうすると落ち着く」
「それ、俺じゃなくても……」
「直人じゃないと嫌」
即答だった。
(……困る)
本当に困る。困るのにその言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少し温かくなる自分もいる。
たぶん高瀬は覚えていない。覚えていたとしても、きっと恥ずかしがらない。だから余計にずるい。
「……恒一」
「んー」
「元気になったら、少しは自重してください」
「覚えてたらな」
覚えていない前提で話をするとか、どんだけずるいんだ!
夜、完全に眠った高瀬の額をもう一度拭きながら、俺は小さく息を吐いた。
(忙しいほど甘えていい、って……)
この中に、体調不良も含まれるのだろうか。高瀬の答えはきっと「もちろん」。満面の笑みを浮かべて、言いそうな気がした。
布団の端で座ったまま、握られた手を外せずに俺は苦笑する。
(……回復したら、覚悟してもらおう。そうしよう!)
少なくとも、今日のことは全部報告する。手を離さなかったことも。行かないでくれと言ったことも。直人じゃないと嫌だと言ったことも全部だ。
絶対に全部だ――たぶん本人は途中から記憶が曖昧になっている。だからこそ逃がさない。
そう決意した瞬間。
「なおと……」
寝言だった。ぎゅ、と手が握り直される。俺は数秒黙ったあと、小さくため息をついた。
(……まあ、今日はいいか)
看病される側が、こんなに甘えてくるなんて――俺は聞いてない。
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