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第二十四章 認めません
俺は嫉妬していない。本当にしていない。高瀬にもそう言ったし、自分でもそう思っている。
――少なくとも、思おうとしている。
休日だった。高瀬はリビングのソファでスマホを見ている。俺はその向かいで読書中。
見るからに平和だ。とても平和なはずだった。
「そういえば――」
高瀬が突然口を開いた。
「昨日、会社で久しぶりに会った」
嫌な予感がした。
「誰にですか」
できるだけ平静を装って聞く。
「元カノ」
ページをめくる手が止まった。ほんの一瞬だけ、本当に一瞬だけ。だが高瀬は、それを見逃さなかった。
「直人」
「何ですか」
「今、止まったな」
「止まってません」
即答する。
「ページ」
「読んでました」
「めくってない」
「内容を噛み締めていました」
俺の返答を聞いた途端に、高瀬が吹き出した。
失礼だと思う。非常に失礼だと思う。だけど高瀬から話題を振ってきたので、それに乗っかろうと問いかけてやった。
「で?」
訊ねながら、俺は本を閉じた。
「元カノがどうしたんですか」
「別に」
「……」
「たまたま会っただけ」
「そうですか」
なんでこのタイミングで、高瀬は元カノと再会したのだろう。まるで、俺の気持ちを乱すような感じに思えてならない。
「結婚してた」
「そうですか」
「子供もいた」
「そうですか」
「幸せそうだった」
「そうですか」
端的なやり取りが続く。話しながら、高瀬が明らかに笑いを堪えているのが見てとれた。
「直人」
「何ですか」
「声が低い」
「気のせいです」
即答した。だが高瀬は完全に面白がっている顔だった。
「嫉妬してる?」
「してません」
「即答だな」
「だって、事実ですから」
俺は再び本を開いた。これで会話終了。そう、自ら終了したはずだった。その十分後――。
「恒一」
「ん?」
「その人、今も綺麗な人でしたか」
聞いてしまった。聞いた瞬間に後悔したが、既に遅し。高瀬の目が、意味深にキラリと輝いた。
(――しまった)
「直人」
「忘れてください」
「無理」
「今のは情報収集です」
「何の」
「い、一般教養です……」
高瀬が腹を抱えて笑い始める。不毛なやり取りを含めて、非常に不愉快だ。
「一般教養で、元カノの容姿を聞くヤツがあるか」
「あります」
「ない」
断言されるだけで腹が立つ。なんか理不尽だ。
俺は本を閉じ、苛立ちまかせに立ち上がった。
「コーヒー淹れます」
「逃げるな」
「逃げてません」
「逃げてる」
キッチンへ向かおうとした瞬間、手首を素早く捕まえられた。
「恒一」
「ん?」
「離してください」
「嫌」
子供か。本気でそう思う。高瀬は俺を見つめて、楽しそうに笑った。その笑みの憎たらしいこと、この上ない!
「直人」
「何ですか」
「安心しろ」
「何をですか」
「俺は今、おまえしか見てない」
――ずるい。そういうことを平然と言う。しかも真顔で。
「……」
返事に困っていると、高瀬は俺の手を引いた。気づけばソファに座らされる。そして、そのまま肩を抱かれた。
「恒一」
「ん」
「暑いです」
「今日は涼しい」
「そういう話じゃありません」
反論しても無駄だ。知っている。最近は特に――。
「直人」
「……はい」
「嫉妬してるなら、してるでいいんだぞ」
またそれだ。俺は深くため息をついた。
「してませんって」
「本当に?」
「本当にです」
「じゃあ俺が今から、元カノと二人で食事に行っても平気?」
そのセリフを聞いた瞬間だった。
「駄目です」
反射的に答えた俺の反応に、高瀬が固まる。自分のやった行動で俺も固まった。
「……直人」
「……」
「今、駄目って言ったな」
言った。言ってしまった。非常にまずい。
「違います」
「何が」
「一般論です」
「どんな一般論だ」
高瀬の肩が震えている。笑いを堪えているのが丸わかりだった。俺は顔を覆った。もう無理だ。
「直人」
「……」
「認めろ」
「……」
「嫉妬してるだろ」
長い沈黙。そして観念したように、小さく息を吐いた。
「……少しだけです」
高瀬が完全に黙った。今度は本当に。俺は恐るおそる顔を上げる。高瀬は隣で呆けたような顔をしていた。
「恒一?」
「……直人」
「はい」
「おまえ、自分が今何を言ったかわかってるか」
「少しだけ、と言っただけです」
「違う」
高瀬が額を押さえる。
「今まで、何があっても認めなかったのに」
すると今度は、両手で顔を覆った。顔が隠されたので、どんな表情なのか全然わからない。
「恒一?」
「待て」
「はい」
「今の、破壊力が高すぎる」
意味がわからない。本当にわからない。どこの部分に、破壊力があったのやら。
だが次の瞬間、苦しいくらいに抱き締められた。
「ちょっ」
「無理」
「何がですか」
「嬉しい」
心底幸せそうな声だった。俺は抵抗を諦める。
たぶん。本当にたぶんだが、嫉妬という感情は思っていたより悪いものではないのかもしれない。
少なくとも――「駄目です」と言った時、高瀬を失いたくないと思った気持ちだけは嘘じゃなかった。
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