130 / 156
第130話 不穏な知らせ エストレヤ イグニス
「イグニス様」
名前を呼ばれ顔をあげるとそこにいたのはグラキエス公爵様だった。
僕は長い間、保健室の前で放心していたらしい。
時間の感覚はなく、もう何も分からなかった。
「座っていたら、身体が冷えてしまうよ。」
公爵様は僕に手を差し出し立たせてくれた。
差し出された公爵様の手は、アティを思い出させた。
大きくて優しい手。
公爵様の顔を見たら、再び涙が溢れて止めることが出来なかった。
「大丈夫だ。」
僕には開けることが出来なかった扉を公爵様が開けようとする。
「申し訳ありませんが入室はご遠慮願います。」
「…私はグラキエス公爵だ、中に私の息子がいるはずだ。」
「申し訳ありません、誰も通すなとの命令です。」
公爵様ですら入れないと言うのは、騎士に命令したのが公爵よりも上の立場…王子だと言うことが判明した。
「私の息子が倒れたと知らせを受けた。なのに、何故会うことに他人の許可が必要になる?」
僕の知らない鋭い公爵様の声に息を飲んだ。
「申し訳ありません、命令ですので…。」
騎士の人はそれしか言わなくなってしまった。
僕と会話した時とは違い、困惑・畏怖の表情をしている。
こんこんこん
ノックをしても反応はなかった。
扉の向こうにアティが本当にいるのか不安になってきた。
こんこんこん
公爵様は再びノックをして反応を窺った。
「……はい」
中から反応があった。
会話はあまりしたことはないけど、今のが王子ではないことはわかった。
「ゲフリーレン グラキエスだ。息子アティラン グラキエスが倒れたと聞いた。」
「………」
中からの返事がなくなってしまった。
一体何が起きているのか、早くアティに会いたいのに…。
「どうぞ。」
中からの返事で漸く入室することが許され、騎士の方達にも止められること無く扉を開けることが出来た。
部屋には保険の先生とアフェーレ王子の姿を確認し、ベッドにはアティの姿が見えた。
「アティ」
「何故そいつを入れた、摘まみ出せ。」
公爵様の後から僕の姿を確認したアフェーレ王子に退室するように指示され、振り返ると扉を守っていた騎士の人と目があい僕の方へ…。
「イグニス様は私が認めたアティランの婚約者だ、入室するのに問題ない。」
なにも言えなかった僕の代わりに、公爵様がアフェーレ王子に宣言してくれた。
「………。」
アフェーレ王子からは睨まれるも、それ以上の言葉はなかった。
僕は狡く、公爵様の後から離れずアティの側まで辿り着くことが出来た。
アティは怪我もなく眠っているように見える。
「アティランは?」
公爵様が先生に尋ねるのを、僕も一緒になって聞いていた。
「階段から転落したようで頭を強打していました。出血などはなく治療もすんでおります。」
「では問題ないと?」
「…はい…と言いたいのですが、アティラン様は一度記憶を失っております。記憶が戻っている可能性もありますし、再び記憶を失う可能性も…。」
アティの記憶が…?
「…それは…目覚めてみないと分からないと…。」
「…はい」
…記憶が戻る…。
アティの記憶が戻ったどうなっちゃうんだろう…。
「…ぁの…」
震える僕の声に視線が集まり、怖いとかなかった。
そんなことよりも、もっと恐れなければならないことがあった。
「アティの記憶が戻ったら、今のアティの記憶は…。」
「…記憶を失っていた時の記憶を覚えているかどうかは個人差があり、大抵は…覚えていないことの方が…。」
「アティが僕を…忘れちゃう…やだ…やだよ…アティ…アティ。」
眠るアティの手を握り願った。
目覚めて欲しいこと、それと…僕を忘れないで。
神様お願い、僕からアティを取らないで。
ともだちにシェアしよう!

