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第1話 苦しみの夜
「りょ……すけ、起きて。涼介 、いやだ。行かないで……」
長い黒髪が白いシーツの上で大きく波打つ。苦しげに寄せられた眉根に刻まれる皺の深さに、知紀 の傷がどれほどのものであるのかが表れていた。額には汗が吹き出し、苦しみから逃れようとして何度も身を捩っている。
食いしばられた歯が折れないようにとマウスピースをさせるようになったのは、猛暑が始まったばかりの頃だっただろうか。そのおかげで歯は守られたものの、今度は拳を強く握りしめるようになった。
毎夜強く握り込んだ爪が手のひらに食い込み、シーツのどこかに赤い雫を点々と落としていく。寝床についてすぐから丑三つ時を経て、空が白み始めても続く苦悶の表情。それは彼が最も幸せだった春の夜から、一度も途切れることなく続いている。
「知紀、大丈夫か? ほら、体起こすからな。お水飲んで落ち着こう」
悪夢にうなされる知紀の肩を優しく揺すり、僕はそっと声をかけた。夢の中で自責の念に囚われている彼を救い出すのは、僕が毎夜やるべきことのうちの一つだ。
「涼介を助けられなかったんだから、僕が知紀を助けるしかないんだ」
そう言い聞かせて知紀に触れる。そうしながら、これからやってくる恐怖に怯え、体は震えていた。
「……震えているのか、雪弥 」
そう問いかける知紀の目は、暗い湖の底のように澱んでいる。
「……うん、そうだね。少し、調子が悪くなったかな」
「そうか。それなら俺がケアしてやるよ」
その言葉を、死刑台に上がるような気持ちで聞く。これも僕がしなくてはならないことのうちの一つだ。
「……うん」
恐怖に呑まれそうになる心を必死に律しながら、僕は知紀からの痛みを受け入れる。
「どうしたらいいんだろうな……」
自分の頬に涙が伝わるのを感じながら、呆然と天井を見上げた。
——「どうしてもっと早く教えてくれなかったんだ!」
そう言って知紀が僕に掴みかかったのは、あの悲しい夜が明けたあとすぐだった。
涼介と知紀が二人で暮らす家の近くで火事があり、近隣の家々を燃やしていった、あの夜。その時間に僕はそこにはいなかったものの、少し前にそこを訪れていた僕は、その時に何かが燃えるような匂いを感じていた。それを深く追求しようとしなかった僕に、彼は怒りをぶつけてきのだった。
「あの時、もっと真剣に危険が迫ってるって教えてくれれば、俺だってもっと気をつけたんだ。そうすれば涼介は死なずにすんだはずだ! 雪弥、お前のせいだ! お前が悪いんだ! お前のせいで涼介は死んだ! 涼介を返せ!」
知紀は、そう言って僕を責めた。
「ごめん」
確かにそうだと僕は思った。
五感が優れているだけで社会的に優遇されているセンチネルとして、もっときちんと勤めを果たすべきだった。それなのに僕は危機周知を怠ったんだ。誰に言われるまでもなく、僕自身が、そのことを酷く悔やんでいた。だから、知紀からの非難を当然のものとして受け入れてしまった。あの時は、それ以外に自分を許せる方法が見つからなくて、そうするのが一番いいと思ったんだ。
「僕が至らなかったばっかりに、涼介を死なせてしまった。ごめん、知紀」
顔を合わせる度にそう言って頭を下げ、暴言と暴力に塗れた時間に自ら進んで身を置いた。
そうして彼の怒りを受け入れていた僕は、涼介の死後百日を経た日に、突然知紀と別の関係性を持つことを強いられるようになる。
そこからが、本当の地獄の始まりだった。
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