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第2話 狂った君

◇  その日は、とても暑かった。  僕は、父が経営している月本(つきもと)総合病院で、傷病診断士(しょうびょうしんだんし)という仕事をしている。どんな機械よりも良く見えるこの目を使って人の体の中を覗き、そこにある病変を見つけ出すのが仕事だ。一般的な病院にある検査機器と同じことを、生きている人間が行うと思ってもらえたら分かりやすいだろう。  基本的には術前検査のためにいるのだけれど、時には救急外来の人手不足を解消するために、応援に呼ばれることもあった。特に冬場の感染症が増える時期と、夏の日差しが強くなり始めた頃に呼び出しの回数が劇的に増える傾向にある。その日は酷暑日だった。  屋外でのイベントに集まっていた人たちが集団で倒れてしまい、数名の検査を一度に済ませることが出来る僕にも招集がかかった。食のイベントだったために食中毒なのか熱中症なのかを早急に見分けなければならず、僕の存在は便利だったのだろう。終日休憩を取ることも出来ず、多くの人たちの体を透視して回った。  そうして家に帰る頃には足取りもフラフラの状態になっていて、お腹も派手な音を立てて鳴り続けていた。やっと家に辿り着いたと思った頃には、もう座る力も無くなっていて、上り框で倒れ込むと、そのまま眠り込んでしまいそうになってしまっていた。  そんな僕を心配したのか、知紀がパタパタと廊下を走って来る。ゴロリと横たわる僕の背中を、優しく労わるように撫でてくれた。あまりの疲れに、僕は幼馴染の彼のその優しさを受けて、思わず嬉しくて涙が滲んだ。その思いを素直に口に出し、彼へ感謝の気持ちを告げる。 「知紀、ありがとう」  彼は僕の言葉に穏やかな笑顔を見せると、また静かに僕の背中を摩った。その姿を見ていると、毎夜僕に暴力を振るっていた人間とは思えない。でも、彼は間違いなく少し前まで僕を痛めつけては泣き叫ぶ夜を過ごしていた。涼介を失った辛さから逃げるために、毎晩僕を罵倒し、殴りつけ、蹴り上げていた。それは、左手に残る傷跡が忘れてはいけないと物語っている。 「雪弥、こんなに疲れて……。力を使い過ぎてしまったんだね? ケアが必要だよ」 「うん。そうなんだけど、僕にはレベルの合うガイドがいないだろう? 大丈夫、ちゃんと抑制剤は飲んだから……」  妙なことを言うなと思ってはいた。知紀は、僕に合うガイドがいないことを知っているはずだ。それなのに、ケアが必要だねと言うなんて、ちょっとした嫌味に聞こえないこともない。  どうしたんだろうかと訝しんでいると、知紀と目があった。それを見て息を呑んだ。目の前にあったのは、真っ黒に塗りつぶされたような光のない目。その不気味な瞳で、壊れた機械のように軋んだ笑顔を見せていた。 「……知紀?」  そして、その直後にかけられた言葉に、僕は耳を疑うことになる。それは思いもよらない提案で、この時はっきりと断らなかった自分を、僕は今でも心底恨んでいる。 「それなら、俺がしてあげる」  彼はそう言うと、その白いほっそりとした手を差し出た。僕は驚きのあまり、一瞬言葉を詰まらせた。 「えっ? いや、でも君は……」  そうして戸惑う僕を尻目に、無言で僕の手を引き寝室へと向かう知紀の目は、さらに闇深さを増して行く。僕は手から伝わる知紀の重苦しいまでの想いに圧倒された。それはこの皮膚を突き破って体の中へと入り込んでくるように、鋭く禍々しいものに満ちている。 「知紀? どうした?」  本当に、一体どうしたのだろうか。僕はさらに混乱して行った。

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