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第25話 薄桃色に咲く、白い花2

 その二匹も、僕に何かを言いたげな様子を見せている。最初は驚いて叫んでしまったけれど、今となっては二匹は愛しい存在にすら思えていた。 「あ、そうだ。知紀もいっぱい泣いたんだよ。でも、こっちは嬉し泣きだったんだけどね。江木先生のケアを受けた後に、洪水が起きそうなくらい泣いてた。こんなに幸せなことがこの世にあるのかって言って。そして、やっぱりこれは涼介が生きてる間には知らなくて良かったことだったって言ってた。それと、僕にずっと謝ってた」 「……ユキがガイドからケアを受ける機会を奪ってたから?」  コウは、ロンググラスにライムをくし切りにしたものを入れ、砂糖とミントの葉を入れると、それをすりつぶすように混ぜていく。ふわりと香るライムに、彼の肌の香りを思い出した。 「うん。僕の幸せを奪っていたんだねって言って。ものっすごい大泣きだったよ。その時の知紀の顔……。もう、すっごい汚かったんだよ。ボロ泣きっていうの? すっきりと美しいあの顔がね、びっくりするくらい台無しになってた」  知紀が泣いた時、僕らは学生の頃のようなやりとりとすることが出来た。それが嬉しかった僕は、その時の様子を思い出して楽しくなってしまい、思い切り笑ってしまった。すると、そんな僕を見て、コウが呆れたように息を吐く。まるで幼い子を諌めるように眉を下げて微笑むと、僕のおでこをパチンと弾いた。 「悪い子だなあ、ユキ」  派手な音を立てた額が、ジンジンと痛んだ。額のその部分を手で摩りながら、コウへ抗議の目を向ける。 「ちょっと、痛いよ」 「だってさあ……。彼はあんたへの懺悔の気持ちを見せたんじゃないの? そんなに笑ってやるなよ。ほら、悪い子はこれでも飲んで」  そう言ってグラスを差し出した。僕はそれを見て、驚いた。手渡してくれたモヒートは、なぜか桜色をしていたのだ。 「わあ、すっごい綺麗なピンク色! ……でも、なんで? モヒートって、透明でミントやライムの色が移って、少し緑っぽくなるんじゃ……」  そう問いかけようと顔を上げると、目の前にコウの唇が迫っていた。いつの間にか手を握られていて、体がカウンターの上へと引き上げられていく。 「んっ……」  触れたと思えばすぐに舌が入り込み、スルスルと僕の口の中を滑る。コウの舌が触れたところから熱が上がるようで、それが身体中に広がるのを感じた。 「あっ、何、急に」  思い切り吸われると、がくりと力が抜けてしまう。その体をカウンターの向こうから乗り出した状態で楽々と支えた彼は、不適な笑みを浮かべて言った。 「そりゃあね。薄桃色の体に白い花を浮かべるのが、俺の喜びだから。緑色なんて色気の無い色、欲しがってもやん無いよ」  そういうと、僕の左胸を指さして、もう一度喰らいつくようなキスをくれた。 「今咲いただろ?」  そう言って、不敵な様子で笑う。僕も思わずそこへ手を当てると、花の形に熱が走るのが分かった。 「ちょっとー! あんたたちもしかしてくっついたのー?」  ママがテーブル席から声を張る。その声音はとてもわざとらしいもので、おそらく最初からこうなることを予想していたのだろう。と言うより、今まで僕らをくっつける機会を伺っていたんじゃ無いかなと僕は密かに思っている。 「コウもユキもレベル高すぎてパートナーに恵まれるかどうかが心配だったのよね。二人でくっついたなら、私も安心だわ! おめでとう! ほら、あんたたちも祝ってあげて!」  そう言うママの音頭で、僕らは店中からお祝いの言葉を浴びることになった。 ◇ 『月本さーん! あ、白藍さんだった! すみません、事故が起きたらしくて、検査機器が回らなくなってるんです。急患の透視お願いできませんか? 休日なのにすみません!』  プルシアンでの夜が明けた朝、知紀の部屋で彼と那月くんにコウと結婚したことを報告していると、当直の石田さんから応援要請が入った。  検査機器が足りないのであれば、命の灯火が消えるか否かは僕にかかっている。否応なしに出勤しなければならないので、僕はすぐに立ち上がった。 「はい、すぐ行きます!」  そう答えて電話を切った。そして、知紀へ退席を詫びると、彼は 「気にするな。行ってこい」  と言って笑った。 「雪弥さん、俺も行きます」  知紀の隣に座っていた江木先生も立ち上がり、共に救命救急センターへと走る。 「ごめんな! 話はまた改めて。行ってきます!」  バタバタと走る僕たちの背中に、そのパートナーの声が響く。 「お互い忙しいパートナーを持つと大変だな」  コウが知紀にそう言っているのが聞こえた。知紀はそれを聞いて、嬉しそうに 「そうだな」  と笑っている。振り返らなくても、声のトーンと息遣いでそれがわかる。その声は、幸せな音を含んでいる。 「雪弥さん」  隣を走りながら、那月くんが前を向いたまま声をかけてきた。何を言いたいのかは大体想像がついているけれど、惚けて 「何? どうかした?」  と訊いてみる。那月くんは涼介と違って、とても控えめで初心だ。その頬を真っ赤に染めながら、僕へ決意表明をしようとしてくれているのは分かっているけれど、そこは敢えて気づかないふりをする。 「あの、お、俺が兄の分も、知紀さんのことを必ず幸せにしますから。……雪弥さんもコウさんと幸せになってくださいね」  照れながらもなんとかそう言った那月くんは、耳まで赤くなっていた。それを見ていると、その顔に涼介の笑顔が見える気がする。  きっと彼は、この結末を悲しんだりはしないだろう。知紀の幸せを誰よりも願っていた彼だから、那月くんを可愛がっていた彼だから、二人が幸せに生きていくことを、きっと見守ってくれるに違いない。 「うん。ありがとう」  僕も、ようやく心につかえていた重たいものが、するりと解けて流れて消えていくような気がした。ふっと体が軽くなったのも、きっと気のせいじゃない。長く苦しんだみんなが、少しでも幸せに暮らせるのなら、こんなにいい事はないだろう。 「……やっと少し涼しくなってきたね」  痛む鼻をつまみながら、僕はそう言って少し高くなった青空を見上げた。 「そうですね」  隣で那月くんも同じことをしていた。赤くなる目を隠しながら、肌を滑る風を受ける。その中にコウの匂いを感じた。振り返ると、彼はまだ知紀と共に玄関先に立って、僕たちの方を見ている。  二人とも穏やかに笑っていた。その姿に、また胸が詰まる思いがした。  両手を広げて、深く息を吸い込む。身体中にそれを巡らせると、五感をフルに目覚めさせた。それでも、もう辛くない。僕はいつも守られているからだ。  コウと僕は、正式なパートナーとなった。夫夫であり、ボンドを結んだ関係。何にも変え難い、大切な存在だ。お互いの関係はもう何も隠すことはなくなっていて、どこでも自然に二人で寄り添うことが出来るようになった。  それはつまり、二人だけの秘密だったものが無くなったことを意味する。そのことが少し残念だと話した僕に、コウは教えてくれた。 ——「お前の胸の白蓮華を見ることが出来るのは、俺たちだけなんだ。それは、これからも変わらない。いつまでも、ずっと二人だけの秘密だよ」  他の誰にもそれを咲かせる事は出来ない、この胸の白い花は、コウにしか咲かせられない、僕の花。 『俺はいつもお前と共にいる』  胸にコウの声が響いた。僕はとても嬉しくなって、振り返りながら大きく手を振った。  鼻先を、ふわりと甘い香りがかすめていく。今、僕の胸には、白蓮華が咲き始めているに違いない。    伯林青色の苦い夏は、もう終わったのだから。(了)

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