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第27話 解ける糸4

「月本さん? 大丈夫ですか?」  石田さんは僕へ優しく問いかけてくれる。ただ、どう考えても大丈夫だと答えることは出来ない。でも、大丈夫だと言わなくてはならない。そう思って目を開こうとするけれど、辛くてそれも叶わなくなっていた。  僕は一体何度間違えば気が済むのだろう、その思いが、容赦なく自分を責め立てる。自責の念はストレスを生み、神経を傷つける棘を増やしていった。何も答えられなくなり、ただ涙を流している。  パタパタと音を立てながら胸元が濡れていく。白いケーシーが透き通り、その向こう側に伯林青(べれんす)色になった蓮華がうっすらと見え始めていた。  ボンディングしたセンチネルであれば、ガイドと繋がっていなくても胸の蓮華は一人で見ることが出来るようになるのだとコウは教えてくれた。それはどうやら本当らしい。形がはっきりとはわからなくても、生地の向こうが青く染まっているのがわかる。僕はその部分をギュッと掴んだ。 「コウ……」  情けなく震える声で、そう呼びかける。すがるような思いで蓮華の花を摩った。 すると、不思議な事が起きた。  頭の中に、あの声が聞こえてきたのだ。僕を落ち着かせてくれる、低くて甘い、優しい声。頭の中に鳴り響いたそれは、波紋のように身体中に伝わり、僕を癒していく。 『ユキ』  それと同時に、胸がほわりと温まった。  頭の中に、放射状に薄い花弁の重なりが浮かび上がってくる。不調の波はその中へと吸い込まれ、次第に調子は良くなっていった。 ——蓮華が青から透明になっていく。  直接見なくとも、その様子を掌から感じ取る事が出来る。自然に頬が緩み始めていた。必死に握っていた生地から手を離し、かわりに優しく手のひらをあてがう。すると、また深い優しさを含んだ声が聞こえて来た。 『俺はいつもそばにいる』  その声は僕ととても近い位置にいるように思わせた。まるで彼がすぐ側にいるような気がして、それだけで不調は消えていった。それどころか、すっきりと晴れやかな気分へと変わろうとしている。  今僕の蓮の花の周りには、小さなムカデと白蛇が仲間入りしている。彼らは今のように僕に異変が起きると、それをコウに伝えてくれるのだ。そして、コウは彼らを通して、僕へ精神感応(テレパス)を使い、癒しを与えてくれる。 『お前の不安は、いつも俺が半分引き受けてやる』  僕を抱きながらそう言ってくれたコウの顔を思い浮かべた。それだけで心がすうっと軽くなる。 ——よし、僕頑張るよ。  コウにそう告げると、僕は胸に手を当てたまま立ち上がった。 「月本さん、大丈夫ですか? あの、無理はされないほうが……」  心配そうに僕を見つめている石田さんに、僕は胸を叩きながら微笑んで見せる。そして、 「大丈夫です」  とはっきりと大きな声で返した。  そう、僕はきっと大丈夫だ。いつでもこの花でコウと繋がっているのだから。僕はもう、可哀想なセンチネルでは無い。 ——『お前だけのガイドになってやる』  彼はそう言ってくれた。そして、使いとして与えてくれた蓮華の下のムカデと蛇が、さっきみたいに二人を繋ぐように一生懸命に働いてくれている。これは、彼がいつも支えてやりたいからだと言って描いたのだけれど、実は僕は最初この二匹には少し抵抗があった。 ——「スピリットアニマルがムカデと蛇だなんて、面構えが悪すぎるね」  そう言った僕に、コウは大きな口を開けて笑った。そして、ムカデと蛇なら、どこまででもお前を助けに行ってやれるんだよと教えてくれた。水辺も陸も、暗所でさえも。僕のために、彼らがどこでもやって来てくれるらしい。  そして、それがその言葉の通りなのだと証明された。僕はどこにいても、彼とその使いの蛇とムカデに守られている。今それが自信となって現れている。 「では、最初の患者様をお呼びしますね」  石田さんが改めて一日の始まりを告げる。僕は胸に手を当てたまま、キリッと表情を引き締めた。 「はい、お願いします」  そう言って顔を上げ、さっきよりも表情が明るくなるようにと笑顔を作った。彼女は僕のその笑顔を見て安堵したのか、張り切って患者さんを迎えにいく。その背中を見送りながら、ふとカレンダーへ目をやった。 「そういえば、もうすぐ十月だ。暑い日も、もう終わりだなあ」  今年の夏は苦しさに満ちていた。  苦しくて、痛くて、冷えていくばかりの夏だった。全てが伯林青色に染まってしまったような、重苦しい日々だった。その夏は、もうすぐ終わる。  知紀のためにと思って辛い選択をしてきたことも、もちろん後悔はしていない。あの時はああするしか無かったと、はっきりと言い切れる。ただ、あのまま死んでしまわなくて良かったと思っているのも本当だ。  これからは、しっかりと生きて、知紀の本当の幸せを見つける手助けをしてあげたい。涼介のことは二人で思い続け、いつまでも忘れ無いようにしていこうと思っている。  その上で、知紀がセンチネルとして幸せになれる道を、二人で探して行ければこの上なく嬉しいだろう。そう思い、僕は粛々と勤めを果たしていく事にした。 「では、月本さん。最後は梅野知紀さんです。お呼びしますね?」  石田さんが知紀の名を呼ぶ。同時に、スライドドアがゆっくりと開いた。扉の向こうには、青ざめた顔の知紀が立っている。その不安が空気を伝わり、僕の肌に突き刺さるような苦しみとなってシンクロした。 「おはようございます、梅野様。——こちらへどうぞ」  僕はその不安を払拭してあげられるようにと、精一杯の笑顔を準備して彼へ向けた。そして、不安げに瞳を揺らす愛する幼馴染を迎え入れ、彼の闇を晴らすことに専念しようと決意して、彼の体に潜む闇を探すために、その中へと意識を送り込んだ。

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