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第26話 解ける糸3

 その文面を見て、僕は目をむいた。長くともに過ごして来て、なんでも知っていると思っていた幼馴染が、ミュートではなくセンチネルだと言う。これが全くの他人が言うのであれば、何を言ってるんだと鼻であしらっていたかもしれない。僕はその言葉を絶対に信じなかっただろう。  でも、その指示を出したのが那月君だ。涼介の弟である彼が、知紀をミュートではなくセンチネルだと言っている。義理の弟となった彼には、もしかしたら生活の中で何か思うところがあったのかも知れない。そう思うと、その言葉は重く響いた。 「江木先生が言うには、梅野さんはとてもレベルが低くて、検出不可能に近いセンチネルの可能性があるんだそうです。ただ、ご本人がセンチネルであると認めることを拒んでいて、ミュートだと強く思い込むことで力を封じ込めている可能性があると……」 「——そんなことが出来るんですか?」  僕は驚いた。  センチネルとして生まれて、ミュートのフリをして暮らす人がいるなんて、想像したことも無い。もしそれが出来るのであれば、そうしたいと思っている人は多くいるだろう。しかし、それは実際には不可能に近い。どんなに低レベルだと言われようと、センチネルであるということは、一般社会ではかなり生きづらいはずだ。  低能力なだけであればそうでもないかもしれない。ただ、低レベルと言われると話は少し変わってくる。レベルが低いということは、コントロール能力が低いという意味だ。そんな状態でなんの対処もせずにいれば、目の前に溢れる情報が、目から、耳から、鼻から、口から、そして肌からと、次々と容赦なく体へ流れ込んで来るだろう。  神経という神経が忙しなく働かされ続け、その処理に追われた脳はオーバーヒートを起こす事になる。それが進むと、最悪なケースでは脳死状態へ陥ることになる。それほど高い負荷がかかるのだ。  それを自分の意思だけで抑え込むことが出来るなんて、センチネルでいるよりも難しい事だろう。一体なんのためにそんな道を選んだんだ……そう思っていたところで、ふとあることに気がついた。 「もしかして、涼介がミュートだったから隠していたんでしょうか。自分がセンチネルだと彼に知られたくなかったのかもしれません」  そう口に出した途端に納得してしまった。  きっとそうだったのだろう。  これは、知紀から涼介への命懸けの気遣いだったのだ。 ——「僕たちっていいコンビだと思わない?」  それが口癖だった涼介に、知紀は自分がセンチネルだとは明かせなかったのではないだろうか。センチネルであれば、必ずケアが必要になる場面がやってくる。その時、涼介には知紀にしてあげられることが何もない。  知紀自身は、抑制剤を飲めば耐えられるだろう。けれども、ミュートである涼介はどうだろうか。大切なパートナーが苦しんで耐える姿をただ眺めることしか出来ないというのは、かなり辛いものになる。知紀は、涼介にその無力感を感じさせたくなかったのかもしれない。 「江木先生もそう思われてるみたいです。それに、梅野さんは厳密にいうとパーシャルで、五感全てが覚醒しているわけじゃないようなんですよ。味覚と触覚特化型で、特に味覚がずば抜けているみたいです。逆にいうと、それ以外はミュートと変わりません。でも、そういうセンチネルでもケアが必要になることは間違いなくて、これまでずっとそれを拒んでいたのなら……」 「——気が狂ってもおかしくない。涼介と付き合い始めたのは十八の時だ。それからずっと十年もゾーンを自分の力だけでコントロールしていたのなら、狂っても不思議じゃない。むしろ、生きているのが不思議なくらいだ。じゃあ、知紀は今ゾーンアウトしたまま生きてるって考えた方がいいような状態なんですね?」  石田さんにそう問いかけながら、ぞくりと背筋が冷え、体が震えた。そんな状態で生きていくなんて、彼はどれほどの苦痛を感じていたのだろうか。 「知紀の生命力が落ちているのは、恋人を失った悲しみによる喪失感の影響だと思ってました。まさかそれがゾーンに関わるものだったなんて……。思い込んでいたから、真実へ辿り着けなかったんですね。僕の失態だ」  センチネルがセンチネルの異変に気がつけるのは、相手が過敏であるという反応を示す場合のみだ。何かに影響されて、それを不快に思うからこそ、その表情、筋肉の緊張、神経活動の視覚認識が出来る。  もし、何か不快な思いをしていたとしても、それが当然であるような素振りをされてしまっては、気がつくための材料すらないことになってしまう。それを見抜けるのは、ガイドの共感能力(エンパス)だけに違いない。だから、僕が知紀のバースに気がつけなかったとしても、問題は無いはずだ。  それでも、そんな理屈を抜きにしても、どうしても胸が傷んでしまう。どこか自分に逃げや甘えがあったのだと思うと、知紀への申し訳なさで潰れそうになってしまった。 「機械よりも優れてるだなんて言って思い上がってるから、こうなったんだろうな、きっと……」  あんなにそばにいたのに、何もしてあげられなかった。それどころか、自分の辛さばかりを主張して、その能力を役に立ててあげる事から逃げていた。  自分は国から守られているくせに、その力の使い方を決められているくせに、僕はまたそれをしなかった。そしてこれは二度目だ。僕は、なんて愚かなんだろう。 「僕は知紀とのことになると、悉く選択を間違えてしまうみたいですね」  ずきずきと胸が痛み、体が冷えて震えていく。情けないことに、自責の念に駆られてしまったことで、よくない方へ追い立てられてしまっていた。

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