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第25話 解ける糸2
「では、今日の予定をお伝えします。えーっとですね、今日は三人の方がいらっしゃいます。お二人が胃がんの術後経過観察です。お二人とも転移が見られず、二年経過されています。今日も再発の有無の確認と、癒着のチェックをお願いしたいそうです。それと同時に、定期検査程度の全身チェックですね。そのお二人は医師が立ち会われず、私たち二人で検査する予定です。結果だけ後から伝えてくださいと言われています。そして、最後の方が脳腫瘍の疑いです。詳細な場所の特定のため、月本さんに頭部の透視をお願いしたいそうです。検査機器での特定ができなかったそうでして、場所次第では手術にも参加していただかないといけないそうです。あの、月本さんは脳外科の手術立ち会いはご経験ありましたっけ?」
「あ、あります。だから倒れたりはしないと思いますけれど……脳腫瘍? そんな方いました?」
患者さんのリストを確認しながら、僕は首を捻った。石田さんが更新してくれているリストには、今日の傷病診断予定は二人だけになっていたからだ。
そんなに重い病気の検査であれば、もっときちんとした資料があるだろう。それなのに、手元には何も無いのだ。
「あ、ごめんなさい。あの、今朝の救急に来られた方が追加されてたんです。お名前は、梅野知紀さんです。これがカルテです」
その言葉に、僕はデータをスクロールする手を止めた。一瞬石田さんが何を言っているのかが分からなかった。梅野という家は、このあたりには知紀の家しかない。そして、当然ながら知紀という名前の人は、僕の幼馴染の彼以外には存在しない。
——知紀が、病気……?
「あの、梅野知紀って、脳腫瘍って……」
動揺が隠せず、僕は石田さんのケーシーを思い切り掴んだ。掴まれた方の石田さんは、驚いて目を瞠っていた。僕は普段あまり人に触れない。石田さんも、僕の狼狽える姿を見たことが無いからか、僕以上に驚いているように見えた。
「——あの、月本さんと同居されている梅野さんのことです。今朝早くに来られたみたいですよ。もしかして、ご存知なかったんですか?」
そうして僕の手元にあるデータの記載日を見せてくれた。確かにそこには今日の日付と、救急で担当した医師の名前が記載されている。
「知紀は生まれた時から近所に住んでいて、それ以来ずっと友人です。今年の夏から一緒に暮らしてるんですけれど……。知紀が脳腫瘍? でも、僕は何も感じませんでしたよ……」
僕は思わずデータの表示されているタブレットが故障したのかと思ってしまった。でも、そこには確かに知紀の個人情報が記載されている。
ただ、脳腫瘍の疑いとあるのに、その割に検査指示が曖昧だ。それがどういうことなのかも分からない。
そして、それよりも自責の念が重くのしかかっていた。知紀に異変が起きているのに、夜間救急に駆け込むほど酷くなっていることに気がつけなかったなんて、どういうことなのだろう。もしかして、涼介の時のように、僕はまたセンチネルである責任を果たせず、同じ轍を踏んだのだろうか。その思いが、僕をまたどん底へと突き落とそうとしている。
実はこの一月の間、僕は知紀とろくに顔を合わせていなかった。自分だけがいい思いをして、知紀のことを蔑ろにしたからこうなったんだろうか。そんな想いが頭を過ぎる。ただ、今回は僕にはどうしようもなかった部分もあるにはある。コウと出会ってからこのひと月の間、僕は知紀から避けられていたのだ。
あの日、知紀は昼過ぎに帰った僕の顔を見て、何か思うところがあったらしい。うっすらと微笑みを浮かべて「おかえり」と言ってくれた後から、彼はずっと自室に篭るようになっていた。夜でさえも、僕が知紀の部屋へ向かっても入れてくれず、
——「少しやりたいことがあるから、君は自室で寝ていてくれ」
そう言われるばかりで、全く彼に近づかせてくれなくなっていたのだ。ただ、部屋から漏れる彼の香りが、僅かに変化していることだけはわかっていた。それは、確かに病の匂いではあった。だから、体調が良くないのではないかと思ってはいたものの、声をかけても応えようとしない彼に強くは出られず、そのままにしていた。
それに、自分が他の男に抱かれていることを、知紀に知られたくないという思いもあった。それを理由にして、知紀と顔を合わせずに済む道を選んでしまっていたのだ。
まさかあの匂いの変化が、脳腫瘍ほどの重い病気であるとは思っていなかった。これでは、本当に涼介の時と同じじゃないか。そう思うと居た堪れない。僕はあの時から何も成長していないらしい。
「——確かに体調が良くなさそうではあったんですけれど、そこまでの不調だとは思っていませんでした。少なくとも、僕にはそれを感じることは出来ませんでしたよ。石田さん、彼は本当に脳腫瘍なんですか? だって、画像は撮れてないんでしょう? 手術も生検も無しに確定してるわけじゃ無いですよね? それなのに、なんで脳腫瘍という判断になったんでしょうか」
予想もしなかった事態にパニック状態になった僕は、石田さんにくってかかるような勢いで彼女を問い詰めた。あまりに勢いよく捲し立てる僕に気圧されて、彼女は何も言えずにいる。それでも、なんとか僕を落ち着かせようとしてくれていた。
「あ、あの。月本さん、まずは落ち着きましょうか。脳腫瘍は確定診断じゃありませんよ。それをするために月本さんに透視してもらわないといけないんですから。それに、脳腫瘍の疑いと並行して調べないといけない事があるんです。実は、梅野さんについてはそれが最優先事項になります」
それを聞いて、僕はやや落ち着きを取り戻した。まだ脳腫瘍だと確定したわけじゃない。ふうと息を吐くと、ようやく少しだけ安堵することが出来た。
「確定じゃない? ——まあ、そうですよね。画像も生検も無しで確定するわけがありませんから。すみません、取り乱しました」
「いえ、大丈夫です。少し落ち着かれました? でも、この最優先事項の話もちょっと混乱されるかもしれないんです。実は、バースの再検査をするように言われてます。それも迅速検査です。だから、血液成分の分析を、培養を待たずに視認していただきたいそうです」
「バース? 知紀はミュートですよね」
また突拍子もない話が出てきて、僕はさらに混乱しそうになった。どうしてバース検査が必要になるのだろう。その理由が分からない。
本人がガイドだと思い込んでいたとしても、毎日抱かれて苦痛を味わわされていた僕にはわかる。彼は絶対にガイドでは無い。例え低レベルであったとしても、彼がガイドであれば、抱かれた僕はそれなりに癒される部分があるはずなのだ。
でも、知紀との行為ではそれは無い。それはコウも証明してくれている。
それなのに、問診をした医師は彼の言うことを信じたのだろうか。何を言いたいのかがまるで分からない。
「——月本さんも、梅野さんからミュートだと言われてるんですよね。ご家族の方もそう思われているみたいなんです。でも、どうやら違うみたいなんですよ。ほら、この指示書を見ていただきたいんですけれど……」
石田さんは困惑の表情を浮かべながら、僕にそれを見せてくれた。担当医師の名前は、江木那月 。彼は僕たちのチームの一人であり、かなり低レベルのガイドだ。
そして、僕たちの幼馴染で知紀のパートナーだった男、江木涼介 の弟でもある。
「江木先生の指示書……『患者のバース検査を早急に行うこと。本人はミュートと申告しているが、極めて低レベルのセンチネルの可能性あり』——嘘だろう? 知紀がセンチネル?」
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