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【第一部】1

 強くなりたかった強くなければならなかっただから強くなった。  俺にとってはそれだけの話で、それ以上に難しいことなんて何もなかった。           *  夏大会まであと二ヶ月。部長が、練習が始まる前に「ちょっとみんなに話がある」と俺たちを呼んだ。道着を着た部員たちがなんだなんだとぞろぞろ集まる。部長の隣に、見慣れない眼鏡の男が立っていた。その隣に、見知った顔が一人。首元に大きなカメラを提げている。俺はどういう話だかなんとなく想像がついた。 「これから大会まで、新聞部がうちの密着取材をする」  部員たちのリアクションはいまいちパッとしなかった。はあ、そうですかという感じ。地域新聞ですらない、校内新聞の密着取材では、そりゃテンションもあがらない。 「こちらが新聞部部長の――」  部長が眼鏡を紹介している間、俺はその隣に立つ男を見ていた。  俺のクラスメイト、三ツ谷世界。小柄な部類に入るそいつは、緊張した表情で口元をもごもご動かしていた。これから何を話すかの準備でもしているのだろう。目元にかかる前髪の向こう、あどけない黒目がきょろきょろ動いて、俺と、隣の佐藤にすっと留まった。あ、と口が開いた。間抜けな顔だ、と俺は思う。クラスメイトがいたからって、そこまで安心しなくても。 「じゃあ、次、三ツ谷」  眼鏡が三ツ谷に呼びかけた。三ツ谷は、は、はいと少し上擦った返事をして、 「えと、新聞部の三ツ谷世界です。二ヶ月の間、よろしくお願いします。迷惑かけないようにしますので、お願いします」  よく通る声でそう言った。  しゃーすっ、と部員たちが威勢の良い返事をする。三ツ谷はそれだけでもびくっとしていて、本当にこいつ大丈夫かと思う。  そして、いつも通りに部活が始まる。だけど少し浮ついている雰囲気なのは、なんだかんだきっと『密着取材』のせいだろう。 「じゃあ次、投げの練習な」  返事をして、俺は佐藤と組み合った。勢いよく佐藤の体の下に体をもぐらせる動きを何度かしてから、もう一度素早く潜り込み、佐藤の体を弾き動かした。一瞬の浮遊感のあと、佐藤の体が宙を舞う。すぱん、と畳を叩く音がして佐藤が受け身をとった。  投げ技をかける時、実際にはそこまでの力は必要ない。重要なのは相手との間合いを読んで、相手の力を、そして相手自身の重さをうまく利用することだ。タイミングが完璧にはまれば、相手の体は簡単に宙を舞う。  相手を遠慮なく投げられるのは、一種の信頼の証拠だ。相手が強いとわかっているからこそ、躊躇なく攻撃に出ることができる。相手が強いとわかっているからこそ、相手がそれくらいで倒れないとわかっているからこそ、だ。その通りに、佐藤はすぐに立ち上がった。  たまたま正面に三ツ谷がいて、三ツ谷はガキみたいにきらきら表情を輝かせていた。佐藤がいえーい、と言いながら三ツ谷にピースをして、真面目にやれ! とめちゃめちゃ部長に怒られていた。  休憩。  佐藤は三ツ谷のもとに向かった。三ツ谷は感動した顔で佐藤を見て「すごいね、かっこいい」と言っている。 「だろぉ?」  なんて言いながら佐藤はがしっと三ツ谷の肩に手を回し、嬉しそうに横に揺れていた。なんなんだあいつは。三ツ谷もされるがままに一緒に揺れている。  ――三ツ谷世界。  大袈裟な名前だ、世界だなんて。小さい体でパッとしない見た目の三ツ谷は完全に名前負けしていて、そんな名前をつけられて可哀想だとさえ思う。 「やめてやれよ、汗くさい体でくっつくの」  三ツ谷が可哀想だろ、という言葉をギリギリ飲み込んだ。 「大丈夫、だよ、僕は」  三ツ谷はへらっと笑った。その顔が気に入らなかった。  佐藤が離れて戻ってくる。あんなやつと絡むのやめろよ。そう思ったけど、それこそあまりにださいと思って言葉には出さなかった。  部活が終わる。新聞部は少し早めに撤収して、俺たちだけで着替えた。結局部員たちは密着取材が嬉しいのか、それについて色々と話していた。俺は佐藤と全然違う話をした。  今日は俺が道場の鍵閉め係だったので、部員たちを見送ってから下の階に降りる。一階は剣道場だ。まだ電気がついている。  一人の生徒が後片付けをしていた。 「もう閉めるけど」  呼びかける。そこにいたのは、同じ学年の藤島廉だった。  拭いていた道具を下ろしてこちらに振り向く。 「ああ、悪い。すぐ終わるから」  藤島廉。うちの学年の成績トップ。純和風な感じの顔立ちで、今は着替えていたが、なるほどこいつは袴が似合うだろうという風貌だ。短く切った黒い髪は、部活後だからか何の手入れもされていない風だが、それが自然な感じに決まっている。 「お待たせ、ありがとう」  藤島はそう言って荷物をまとめている。 「剣道部はどうだよ、新入生は」 「いやあ、なかなか厳しい。そもそも、今年は数もすごく少ないし」  うちと同じ状況だった。 「まあでも、入ったやつには頑張って欲しいね。ゼロではないから」  その通りだ。 「待たせた。帰ろう」  藤島と道場を出る。すぐに別れて、校舎に向かって職員室に鍵を返した。  下駄箱へ向かう途中、正面から、数人の上級生が歩いてきた。身長の高い四人組。楽しそうに話す顔はみんな綺麗に整っていて、色素の薄い髪を丁寧にセットしている。確か、こいつらは生徒会だ。おそらくこの時間まで業務があって残っていたのだろう。ご苦労なことだ。  ……生徒会のやつらは、ほとんどがαだと聞く。だから、こいつらはみんなαだろう。  α――この世界の人間の数パーセントの勝ち組。恵まれた見た目、恵まれた能力、恵まれた存在。人の上に立つべく生まれてきた存在。この学校には成績優秀者のための特進クラスがあって、実質的にそこはαのための場所だった。  だから、さっきの藤島ももちろんαだ。  目の前の四人組は、今年の予算は、とか、先生との意見のすり合わせが、などとべらべら聞き取りやすい声で話している。  俺はそのまままっすぐ進み続けた。別に俺が避けなければいけない理由はないからだ。きっと、他の大多数のやつらは避けるのだろう、こいつらに道を開けるのだろう。そう思ったから、俺は避けなかった。  その敵意剥き出しの行為に気が付かなかったのではというくらい自然な身のこなしで、あいつらは衝突を回避した。  すれ違うとき、ぷんとにおいが鼻をついた。くせえ香水と整髪料のにおいだ。お行儀の良い整った笑顔。綺麗で細くて長い指が、高尚な会話に合わせて指揮棒のように宙をひらひら舞っていた。  下駄箱に着いて、外履きを手に取る。三ツ谷がいた。俺を待っていたんだろう。しかも、多分別にそこに深い意味はない。ちょっと遅くなったなあ、クラスメイトだし一緒に帰りたいなあとか、そういうくだらない理由だけだろう。 「せっかくだから一緒に帰ろうかと思って」  案の定三ツ谷はそう言って、俺は靴を履き替えながら三ツ谷に見えない角度で顔をしかめた。くそめんどくせえ。  とんとんとスニーカーの爪先で床を叩いて、「行くぞ」とだけ言った。  俺は三ツ谷を置いて行くくらい早く歩いた。それでも、あいつは後ろをついてくる。  三ツ谷は憎めないキャラクターとして、クラスでは弟みたいな扱いだった。マスコット的存在、ってやつだ。  着替えの時、下級生が話していたこと。三ツ谷についてだ。 「え? 三ツ谷さんってαなんですか?」  下級生がそう言って大きな声を上げた。 「見えないっすね」  俺は背後に感じる三ツ谷の気配を振り払いたかった。  ――俺は三ツ谷世界が本当に嫌いだった。αのくせに特進クラスにもいかず(別に成績は悪くないのに)、他の生徒に混じって一般人のふりをしているこいつが嫌いだった。  優しい僕、差別のない僕、誰とでも分け隔てなく接する僕、ってか?  ――ふざけるのも大概にしろ。  ひょろっちい腕で、へらへら笑って。  世の中を舐めるなよ。  お前がそうしてるのは、お前がそうできるのは、お前が――。  ほとんど会話もなく駅まで二人で歩く。  学校の最寄りの駅前は、なぜかいかがわしい建物がいっぱいあって、青少年の健全な育成に絶対に悪影響な空間だった。こんな場所に学校を建てるなんて正気の沙汰じゃない。じゃなくて、この空間があとからできたのか。どっちにしろいかれてる、けれど俺にはどうでも良いことだ。  さすがに制服を着ているから、怪しいキャッチも俺たちに声をかけてくることはない。それでも目に入る。首輪をつけた男が、けだるそうにビルの入り口に立って何かを待っている。俺は直視を避けた。見たくないとか見るべきではないとか、そういう感情じゃなくて、見ないという選択だけを意識する。俺はあれを見ない。その理由なんてどうでもいい。とにかく見ない。  それでも、視界の端でその男が誰かの腕を掴んでビルの中に入っていくのが見えた。その相手は、スーツを着て、逞しくて、一目で人生うまくいっているのがよく分かって――。  俺は歩く速度を早める。途中、一人の男とぶつかって、男が後ろに倒れ込んだ。 「すいませ――」  慌てて手を伸ばすと、倒れ込んだその男も首輪をつけていた。男がこちらに伸ばした手を、俺は咄嗟に払いのけた。しまったと思ったけれど、男はそんな反応にも慣れ切っているのか、特に動揺さえせず、自分で立ち上がった。  俺は、そこで三ツ谷の存在を思い出した。 「誉くん」  三ツ谷が言ったのが聞こえた。 「なんだよ」  言いながら、三ツ谷の方を見れなかった。三ツ谷は黙って横に立っていた。 「……うるせえよ」  何も言っていない三ツ谷に言った。聞こえないくらいに小さく。思わずこぼれてしまった言葉だった。自分をださいと思った。  駅前のロータリーに着くと、一人の女が俺の前に強引にビラを突き出した。 『Ωであることを誇れる社会に』  ビラにはそう書いてあって、俺は女を見た。女はその手をそのまま三ツ谷の前にスライドさせて、三ツ谷に強引にビラを渡した。そしてもう一枚ビラを手に取ってもう一度俺に差し出した。気の強そうなその女は、「よろしくお願いします」ともう一度言う。俺は仕方なくそれを受け取った。そのままその女は他のサラリーマンや通行人にビラを配っていた。迷惑そうな顔で露骨に避けられ、とりあえずという顔で受け取られ、それでも女はビラを配り続けていた。  ――属性を意識せずに生きられる社会を!  ビラには、人々が笑顔で手をつなぐ絵が描かれていた。虫唾が走る気分だった。  裏返すと、Ωの就労環境の改善とか、差別の撤廃だとか、社会的な構造がどうだとか。  丸めて捨てようと思ったけれど、まださっきの女がビラを配っているのが視界に入って、さすがにここでそれをするのは躊躇われた。俺の頭に、先ほどの倒れた男のことが浮かんだ。気がつくと俺の手はビラを強く握っていて、ビラには細かいシワが強く刻まれていた。  駅前で、一人の男が演説していた。  ――平等な存在として認められるべきです。  馬鹿馬鹿しい。  俺はカバンにビラを乱暴に突っ込むと、駅へと向かった。 「じゃあ、僕、こっちだから」  三ツ谷が俺の隣のホームへの階段を指差す。  ああ、じゃあ。  俺はそれだけ言って、別の階段へ向かった。  階段を登ってホームに着いても、演説がスピーカーで拡張されて聞こえてくる。  さすがにちょっと悪いことしたな、と俺は反省して、向かいのホームを見る。三ツ谷は熱心にビラを読んでいて、俺はやっぱり反省なんてしなくていいと思った。三ツ谷が乗る電車が来て、視界が遮断される。俺は振り返って、ホームのゴミ箱にビラを突っ込んだ。そこには同じビラが何枚も入っている。俺はますます不愉快になる。倒れ込んだ男、ビルの下に立っていた男、彼らの首につけられた首輪のことを思い出す。  いつの間にか向かいのホームには誰もいない。  演説の声が女に変わった。誰だなんて考えるまでもなかった。きっと、あの女はαなのだろう。だからこんな七面倒くさいことをしているんだ。そして、おおかた、あのΩと……。  ――Ωの苦しみから目を逸らすのをやめませんか?  馬鹿馬鹿しい。  全部が馬鹿馬鹿しい。  俺は首輪なんて絶対につけない。あんなのは、自分が弱いと言いふらしているようなものだ。弱点をかばっているつもりかもしれないが、弱点をひけらかしているのと同じだ。  だから俺は首輪なんてつけない。  俺のうなじに噛み付くやつがいたら殺してやる。  そのために俺は強くなったのだから。  今度は男の声が聞こえた。  ――Ωに生まれたことを悔やまない世界にしたいんです。  俺は、Ωだ。  だけど、それが何だっていうんだ。  そんなのは、俺の人生に関係ない。

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