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2時間目
自宅に帰ってから須津をお風呂に促して、俺はスラックスの染み抜きをしてから洗濯機を回していた。乾燥機はないが、明日は休日なのでゆっくり乾かせばいいだろう。
取り敢えずの仕事を終えて、台所でお茶の用意をしていると、須津がお風呂から上がってきた。
「⋯⋯何で下、穿いてないんだ?」
「大きかったから」
須津はTシャツに、下はおむつのみという格好をしている。脱衣場に置いておいた俺のズボンは確かに大きかったのかもしれないが、おむつを堂々と晒しても恥ずかしくないのだろうか。
「何か他の探してくるか」
「このままでいい」
「須津が気にしないならいいんだが」
「??」
本当に素でやっているらしい。もう泣き顔も落ち着いているから、上半身はいつものクールな須津。しかし下半身は星のイラストが描かれた、子ども用おむつを穿いていてとてもアンバランスだ。
「夕飯、出前でもいいか?」
「うん。先生は料理しないの?」
「ああ、料理は苦手でな。須津は作るのか?」
「たまに。簡単なものだけど」
「それはすごいな、今度先生にも教えてくれ」
「いいよ!」
笑った須津は初めて見たが、整った顔が少し幼くなってとても可愛らしい。
話し合った結果、アプリから牛丼とサラダ、味噌汁を頼んで、二人でお茶を飲みながら届くのを待つ。
「ねぇ、先生」
「どうした」
「だっこして」
「うん?」
「⋯⋯だめ?」
「⋯⋯いいよ、おいで」
だっこって何だっけ。と頭がはてなでいっぱいになり、ああ、抱っこかと思い至る。そして、何故抱っこを要求されたのか分からずにいたが、須津のしょんぼりした顔を見て、これは大人として応えてやらないといけないと思う。
ソファに座った姿勢のまま、膝の上に乗せると、その背中を抱き締める。
「へへっ!」
すぐにご機嫌になり、俺の背中に腕が回される。
しばらくそうしていたが、膝の上がほんのり温かいような気がして、これはおむつが濡れたのだろうか?
「須津、おしっこした?」
「えっ? あ、したかも」
「おむつ交換するか」
「うん」
須津を立たせると、さっきまでの乾いたおむつの見た目とは異なり、水気を含んで少し垂れ下がっている。尿意に気付くのが遅いのか、もしくはおむつに慣れていてあまり気付かないのかもしれない。
脱衣場に置きっぱなしにしていたパッケージから、新しいおむつを取り出すとソファへ戻る。
濡れたおむつを脱がせ、乾いたおむつを穿かせる。片脚ずつおむつに通して腰の位置まで上げると、確か内側にギャザーがあったな、と最近生まれた甥っ子のおむつ交換をした記憶を頼りにそれを調節する。
「これでいいか?」
「うん。ありがとう」
ずっと気になっていたが、トイレでの出来事から、今までの反抗が嘘の様にずっと素直だ。
「須津、いつもみたいに構うな、とか言わないのか?」
「だって、先生は俺の秘密にも引かなかった」
それで懐柔されるのはだいぶ早くないだろうか。もしかしたら、依存的な傾向でもあるのかもしれない。
「須津にとって学校ってどんな所?」
「うーん、あんまり好きじゃない」
「どうして?」
「自由にトイレ行けないし、勉強もつまらない」
「そうか。先生に反抗していたのは何で?」
「だって、いつも怒るから」
怒られるような事をしている自覚があるのかどうか。須津にとって、簡単にトイレに行けない授業中はとても不便だろうし、テストの結果は悪くないから、勉強も簡単過ぎるのかもしれないなと思う。偏差値が特段低い学校ではないが、進学校程でもない。今後大学を目指すのなら、レベルを上げた所を勧めるようにしようかと考える。
「その金髪とピアス、似合っているけど、校則違反なんだぞ」
「え、先生、似合ってるって言った?」
「言った。本音ではな、皆好きな格好をすればいいと思ってる」
「先生らしくないね」
「そうだな。先生だから、譲れない所もある。だが、それは須津を全否定している訳じゃないんだ」
「うん」
「ルールを守るのと、個性を出すのは、また違う事なんだよ」
「言いたい事は分かるけど、黒染めとかはしないよ?」
「だろうな」
須津が話せば分かる人間なんだと、この短時間で理解した。しかし、一筋縄ではいかない事も分かった。
出前が届いたので、話は一旦切り上げて夕食にする。
「本当にそれで足りるのか?」
「足りる」
須津の頼んだ牛丼はミニサイズで、俺が十五歳の頃は大盛りご飯をお代わりしていたような気がするので、その少食ぶりに驚いている。
身体測定の日は欠席したので正確なデータはないが、須津は俺より背が十センチ程低いので、百六十センチ半ばだろうが、体重を聞くのは恐ろしいなと思った。たぶん、女子生徒が嫉妬するレベルだろう。
「先生、食べるの早い」
「そうか? ゆっくり食べな」
俺は早食いと言う訳ではないし、普通のスピードだろう。量が違うのに、須津はなかなか食べ終わらなくて、ミニサイズですら多かったのかもしれない。
何とか全て食べ切って、お茶を飲むと眠そうにしている。
「そろそろ寝るか?」
「泊まってもいいの?」
「制服もまだ乾かないしな」
生徒を泊めたのがバレたらかなりまずいが、帰りの車内で口止めはしてあるので大丈夫だろう。
寝室を軽く片づけつつ、須津をベッドに寝かせて、俺はソファで寝るかと考える。
「須津、ベッド使っていいからな。俺はソファで寝るから」
「⋯⋯一緒に寝ないの?」
「シングルサイズだぞ、狭いだろう」
「一人で寝るのやだ」
「⋯⋯」
狭いとか以前に、いくら男子生徒とはいえ、同じベッドで寝るのはさすがによくないだろう。そう思って返事ができないでいると、背中に抱き着かれ、ぐすぐすと泣かれてしまった。
「ふっ、ぅう、」
「泣くなよ」
須津と向き合うと、正面から抱き締める。やはり、この子は誰かに甘えていたいのだろう。
「今日だけだぞ」
「っ、ん、」
そのまま軽い須津を抱き上げて、ベッドへ運ぶ。俺も隣に横になると、布団を肩までかけて、軽くトントンとするとすぐに眠ってしまった。
「ぅうー! っふ、うえー!」
須津の夜泣きで目が覚めた。隣で眠っていたはずの須津は、ベッドに起き上がって、ただひたすら泣いている。
「どうした? 怖い夢でも見たか?」
「⋯⋯おにい、ちゃん⋯⋯」
「うん?」
「っく、何で、置いてったの、」
「先生は置いてったりしないよ」
夢と現実の狭間にいるのだろうか? こっちを見ずに、訳の分からない事を呟いている。
「だったら、抱いてよ!」
「おい、落ち着け」
今度の抱くは、抱っこでも抱き締めるでもないのは分かった。
その涙の筋が幾重にもできた頬を撫でて、正気を取り戻すように語りかける。
「須津、先生の事ちゃんと見て」
「おにいちゃんいなくて、おしり、寂しいの!」
「すづ、」
須津は一人っ子のはずだから、お兄ちゃんと呼ぶ相手が誰か分からないが、そういう関係にあったのだろう。それが健全なものかはかなり微妙なラインだと思うが。
「須津、深呼吸してごらん」
「⋯⋯」
ようやくぼんやりしていた瞳に光が戻ってきて、目線が合った。
「須津、分かるか?」
「⋯⋯俺、何て言った?」
「お兄ちゃんの事を呼んでいたよ」
「⋯⋯はぁ、」
それを聞くと項垂れて何も言わなくなったので、今はこれ以上聞くのはやめておくか、と思い水を持ってくるためにベッドを離れようとした。
「先生、」
「ん?」
「近所のお兄ちゃんにずっといたずらされてたって言ったら、引く?」
「引いたりしない。それより、それは犯罪だろう。相手を訴える事ができるはずだ」
ベッドに戻り、須津と向き合う。さっきの様子からそんな気はしていたが、性的虐待を受けていたという告白に、俺はどこまで力になれるだろうかと思う。
「ううん。後半は、ほぼ合意みたいなものだったし、どこに引っ越したかも分からないんだ」
「その罪から逃げたんだろうな。合意と思わせるのも相手の手段の内だぞ。許さなくていい」
「でも、俺はお兄ちゃんがいないと、生きて行けない」
「須津は、ちゃんと生きて行ける。俺がサポートする」
「先生が? 何してくれるの?」
「教師として、できる事をする」
「⋯⋯そっか」
お兄ちゃんに依存していたのだろう。甘えたいのも、本当はそいつなんだろう。
教師として、と線引きした事に須津は悲しんでいる様子だったが、これはやり方を間違えちゃいけない。取り返しのつかない事になる。
「スクールカウンセラーと話をしてみるか?」
「⋯⋯ううん。先生が聞いてくれただけでいいや」
「そうか。専門の機関に依頼すれば、相手を見付け出す事もできると、覚えておいてほしい」
「⋯⋯うん」
俯いた須津の表情は分からない。沈んだ声で返事をするので、心が苦しくなる。
「まだ夜中だ、もう少し眠ろう。話はまた明日聞くから」
「うん」
素直に横になったので、また布団をかけてトントンとする。今度はすぐには寝付けないようで、何度も身体をもぞもぞさせている。
それでも三十分程経って、寝息が聞こえてきた。
翌朝、スマホのアラームで目覚めると、隣の須津はまだぐっすり眠っていた。昨夜は疲れただろうし、もう少し寝かせておくか、と思いベッドを出ようとしたのだが、何となくシーツが湿っているような気がする。
須津の腰の辺りを触ると、確かな湿り気があった。おむつから漏れ出したのかもしれない。可哀想だが、須津を起こす事にした。
「須津、起きて」
「う〜ん⋯⋯」
「お着替えしよう」
「ん〜? 先生?」
「おむつ替えような」
「⋯⋯あ、」
やっと状況を把握したようで、勢いよく起き上がると、泣きそうな表情をしている。
「ごめんなさい⋯⋯」
「洗える布団だから気にするな。シャワー浴びるか?」
「⋯⋯うん」
座っている須津のおむつは、パンパンに膨れて、飽和した吸収体からベッドにおしっこが流れ出ている。それがおねしょなのか、今おしっこをしたのか判断が付かないが、そのままお風呂場に行くと被害が広がりそうだ。
「おむつはここで脱いだ方がよさそうだな」
「⋯⋯脱がせて」
「こっちに立って」
ベッド脇に立たせると、その重いおむつを脱がせて、近くにあったティッシュで軽く拭くと、お風呂場に向かわせる。
須津がシャワーを浴びている間に、シーツと布団をまとめて洗濯機に入れる。本当は下洗いをした方がいいのだろうが、須津の心の負担を考えると、見ていない内に早く片付けてしまいたい。
洗濯機が稼働してる音を聞きながら、台所で食パンとコーンフレークならあるなと確認して、後で須津にどちらにするか聞こうと思う。
須津はやはりTシャツにおむつ姿で出てきて、それももう見慣れてしまった。
「さっぱりしたか?」
「うん、ありがとう」
「朝食は食パンとコーンフレーク、どっちがいい?」
「俺、いつもは食べない」
「そうか、コーヒーでも飲むか?」
「うん。俺、いつまでいていいの?」
「午前中はゆっくりしていけ。昼を食べがてら送って行く」
朝食は食べない派か。それはまた痩せていく一方だな。
不安そうに尋ねられたので、昼に送ってくと言うと、少し穏やかな表情になる。一人で過ごす時間が、この子にとってどれだけ不安なんだろうと思う。
「また遊びにおいで」
「いいの?」
「秘密だからな」
「うん!」
交わした約束。俺たちの秘密は、これから少しずつ増えて行く。
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