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第8話:匂いが交じり合う背徳の夜 ※

 ギルド本部から宿舎へ向かう道すがら、私はドノバンに押し付けられた二つの品を握りしめていた。  壊れ物を扱うように慎重に。けれど、絶対に離さないという執念を込めて。  手のひらが熱い。  いや、それだけじゃない。顔も、耳も、胸の奥も。体中の血液が沸騰しているようだ。 (……作ってくれた)  あのドノバンが。私のために。  昨日の私の挙動不審を見て、「落ち着きがねえ」と気遣ってくれた。わざわざ|鎮静《ちんせい》効果のあるハーブを選んで。  ポーチの留め具が魔剣に干渉していることを見抜き、あえて魔力のない屑石で根付けを編んでくれた。  私の、ためだけに。 「……セルウィン、さっきから大丈夫か?」  隣を歩いていた斥候が、怪訝な顔で覗き込んでくる。 「ドノバン殿に呼び止められてから、ずっと顔が赤いぞ。風邪か? それに、何をそんなに大事そうに握りしめてるんだ?」 「ッ! 見るな!」  私は咄嗟に、品物を握った手を背後に隠した。  威嚇するような鋭い声が出てしまい、自分でも驚く。  その過剰な反応に、パーティメンバー全員が足を止めた。 「……リーダー?」 「最近、本当におかしいですよ、セルウィン様」 「ギルドマスターに呼び出された時から、何か変だ。呪いでも受けたんじゃないか?」  まずい。私は誇り高きAランク冒険者のエースだ。  おっさん監視員にもらった手作りの小物に動揺して、仲間を不安にさせるなんてあってはならない。  だが、見せるわけにはいかない。  これは私だけの宝だ。他の人間の視線に晒すことすら、今の私には耐え難い。 「……少し、考え事をしていただけだ。問題ない。急ぐぞ」  私は無理やり平静を装い、メンバーを急き立てるように再び歩き出した。  背中で、仲間たちが不審な視線を交わしているのを感じる。だが、今の私にはどうでもよかった。  ただ早く、一人になりたかった。  この宝物を、誰にも邪魔されず、たっぷりと味わい尽くすために。 ◆  ギルド宿舎の自室に戻るなり、私は重厚なドアに鍵をかけた。  外界との遮断。  ここから先は、誰にも見せてはならない時間だ。  私はベッドへ歩み寄り、震える手を開く。  そこには、二つの「宝物」があった。  一つは、屑石を革紐で編み込んだ根付け。ドノバンの太い指が、柔らく|鞣《なめ》された革紐を一本一本、私の安全を願いながら編み込んでくれたのだ。その不器用な優しさ。  そしてもう一つは、上品な濃紺の麻布で作られた、小さなサシェ。  私はそのサシェをシーツの上にそっと置いた。  そして、サイドテーブルの引き出しから、新しく用意しておいた「白い包み」を取り出して並べる。  昨日市場で買ったポプリの残りを、清潔な|白布《ウエス》で包み直したものだ。昨夜、欲望のままに汚してしまったあの包みは、もう処分してある。  だが、この新しい包みもまた、今夜同じ運命を辿るだろう。  二つが並ぶ。  透けるような|白布《ウエス》に包まれた、甘い香りのポプリ。そして、ドノバンが縫い上げた、清潔で濃紺のサシェ。  白と紺。まるで、私とドノバンが寄り添って寝ているかのような光景だった。胸の奥が疼く。どうしようもない熱っぽさがこみ上げてくる。 「……ドノバン、さん」  私はベッドに|這《は》い上がり、青いサシェに顔を埋めた。  鼻腔をくすぐるのは、|鎮静《ちんせい》効果のあるミントやラベンダー。スッキリとした清潔な匂い。私のために、彼が選んでくれた香りだ。  人差し指を伸ばし、サシェの縁をなぞる。指先に触れる縫い目は驚くほど細かく、均一だった。  まぶたの裏に、光景が浮かぶ。  あの歴戦の傷が刻まれた、岩のようにゴツゴツとした手が、小さな針をつまんでいる姿。太い指先が器用に糸を引き、布を貫いていく様。  その一針ごとに、私のことを考えてくれていたのだろうか。 (ここは、こう縫ったほうが丈夫か) (あいつは動きが激しいから、二重にしておくか)  そんな独り言を呟きながら、あの指がこの布を何度も、何度も撫でたのかもしれない。  私は縫い目をなぞりながら、ドノバンの指の|軌跡《トレース》を想像していた。  布越しに、あの男の指紋を感じるような錯覚。熱い。まるで、直接愛撫されているようだった。 「……ぁ……」  指先から伝わる痺れが、背骨を駆け上がる。  たまらない。ただの布切れと糸の塊。なのに私にとっては、どんな最高級の宝石よりも艶めかしく見える。  私は上体を起こし、シャツのボタンを一つ、二つと外した。  はだけた胸元。露わになった素肌。心臓が早鐘を打っている。  私は震える手で青いサシェを掴むと、それを――心臓の真上に、押し当てた。 「―――――ッ!」  ひやりとした麻布の感触。  その瞬間、背筋に電流が走った。冷たいはずの布から、熱が流れ込んでくる。  錯覚だ。けれど、まるでドノバンのごわごわした手のひらが、私の胸に直接触れているみたいだ。彼が私の鼓動を確かめようと、大きな手を押し当ててくれているような……そんな、鮮烈な幻覚。  私の心臓は今、彼の手の下で、彼のためだけに跳ねている。  私はサシェを、ゆっくりと下へ滑らせた。  ザラリとした麻布の摩擦が、汗ばんだ肌を擦る。その感触が、脳内でドノバンの無骨な掌へと変換されていく。  胸板から、腹筋の凹凸を乗り越え、熱の溜まる下腹部へ。  まるで、彼が太い指で、私の体を愛おしげに辿ってくれているかのような|追体験《シミュレーション》。 「ぁ……ドノ、バン、さん……っ、触って……」  ダメだ。もう、思考が止まらない。  たかが布切れ一枚。それがこれほどまでに私を狂わせる。  あの人が、私だけにくれた、手作りの証。  私はサシェを下腹部に押し当てたまま、もう片方の手で、隣にある白いポプリの包みを掴み寄せた。  そして、疼く身体を鎮めるように、サシェの上から重ねて押し付けた。  ふわり、と。  二つの袋から、それぞれ異なる香りが立ち上る。  白い包みから漂う、ドノバンの肌を連想させる微かなムスク。  濃紺のサシェから香る、私のためのスッキリとしたハーブ。  二つの香りが、空中で混じり合う。  清涼感と、甘ったるい重さ。  絡み合い、溶け合い、一つの新しい香りになって、私の鼻腔を満たしていく。 (……ああ)  直感が、|脳裏《のうり》に映像を映し出す。  これは、セックスだ  もし。  もし、私があの男と、隙間もないほど強く抱き合えたら。  汗ばんだ肌を、擦り合わせたら。  私の若い汗と、ドノバンの熟した男の匂い。  それが混ざり合って……きっと、こんな香りになる。  妄想が、もう止まらない。  体温で温められたサシェとポプリから、濃厚な香りが立ち昇る。  私の匂いと、彼の残り香。二つが熱を持って溶け合っている。  私は二つの袋ごと、自分の体を強く抱きしめた。  ドクン、ドクン。心臓がうるさい。  鍛え上げられた、厚みのある体。あの分厚い胸板が、私の胸に押し付けられる感触。彼の汗ばんだ首筋に顔を埋め、その匂いを肺いっぱいに吸い込む。 (……だめだ、止まらない)  混ざり合いたい。この匂いのように、私と彼との境界線をなくしてしまいたい。  私の匂いで、あの男を塗り潰したい。  あの男の甘い匂いを、私の熱で犯し、ぐちゃぐちゃに汚してしまいたい。  私は二つの袋を下腹部に強く押し当てたまま、腰をわずかに浮かせて、ゆっくりと前後に動かし始めた。  最初は、香りをより深く混ぜ合わせるための、優しい擦り合わせ。  青いサシェと白い包みが、互いに寄り添い、圧迫され、香りの粒子が少しずつ布の繊維に染み込んでいく。  けれど、すぐにその動きは抑えきれなくなった。  熱が下腹の奥から湧き上がり、腰が勝手にリズムを刻み始める。  二つの袋が、私の中心に挟まれ、激しく擦れ合うたび、布地が微かに湿り気を帯びていく。  それは、ただの汗ではない。  熱く透明な雫が溢れ、布にじわりと広がっていく。  香りが、ねっとりと濃く変質した。  サシェの清らかなハーブが、熱で甘く歪む。  ポプリの熟れた匂いが、私の雫で淫らに溶け出す。  布地が重く湿っていく。  まるで、私と彼の体が重なり合い、境界を失っていくみたいだ。  香りが絡み合い、一つになる。  息が荒くなる。腰の動きが速まる。  私は目を閉じ、ドノバンの低い喘ぎを想像した。  彼そのものである二つの袋を、さらに強く押し付け、擦り、汚していく。  この濡れは、私のもの。  この香りは、私たちが混じり合った証。  いつか、本当に彼をこうしてやる。  私の熱で満たし、とろとろに溶かしてしまう日が来る。  その予行演習のように、私は動きを止められなかった。  昨夜の|自慰《オナニー》のような、一方的な妄想ではない。  もっと深く、乱暴に繋がりたい。  いつもは厳しく、口調も荒いあの男。そんな彼が私の腕の中で、熱に浮かされたように顔を赤らめる。私の指先一つで、堪えきれない甘い声を漏らす。  強がりも、意地も、私への遠慮も。その全てを、この手で溶かしてしまえたら。  ―――どんなに、たまらないだろう。  背筋をゾクゾクとした震えが駆け上がる。私は二つの匂い袋を、熱い中心へさらに強く押し当てた。布地はすでに湿り気を帯び、ぬめっている。  だが、まだ足りない。  もっと、もっと深く混ぜ合わせたい。  腰が勝手に動き出す。  袋を挟み込んだまま、激しく擦り上げる。  息が乱れる。喉の奥から、抑えきれない声が漏れ始めた。 「んっ……あ、ぁ……ドノバン、さん……っ」  もう、理性の糸は切れかけている。  動きが速くなるたび、下腹の奥から熱い波が押し寄せ、膝が震え、背中が弓なりに反る。  袋の布地は、私の熱で完全に濡れそぼり、摩擦のたびにくちゅくちゅと小さな水音を立て始めた。 「はぁ……っ、もう、だめ……イキ、そ……ィク……ッ!」  声が|上擦《うわズ》り、|掠《かす》れ、部屋に響く。  最後の瞬間、腰がびくんと跳ね上がり、全身を電流が駆け抜けた。  熱い|奔流《ほんりゅう》が|迸《ほとばし》り、二つの袋を白く、ねっとりと汚していく。  サシェの清らかな青い布も、私が用意した白い布も、たちまち白濁にまみれ、ぐちゃぐちゃと重く絡み合った。  立ち昇る匂いは、もう元のものとは別物だった。  ハーブの清涼感も、ポプリの甘さも、私の濃厚な欲望に塗り潰され、|淫靡《いんび》で生々しい、獣のような香りに変わっていた。  これは、私と彼が交わり、溶け合い、互いを汚し尽くした後の匂い――。  私は息を荒げながら、濡れた袋を胸に抱きしめ、満足と同時に新たな|渇望《かつぼう》に震えた。  いつか、本当に彼をこうして、私のすべてで満たしたい。  この匂いのまま、彼を私のものにしたい。  |鎮静《ちんせい》効果? 馬鹿を言え。  心が落ち着くどころか、肋骨を突き破って今にも心臓が飛び出しそうだ!  このハーブは、私を|鎮《しず》めるためではなく、私の中の獣を覚醒させるための媚薬だったに違いない。  私は、ベッドの上でシーツを蹴り、ゴロゴロと|身悶《みもだ》えた。  熱い。体が、頭が、あの男への欲望でどうにかなりそうだ。  あの人が欲しい。  ドノバンが、欲しい。  私は、むくりと体を起こした。  汗で額に張り付いた銀髪を、乱暴にかき上げた。  手の中にある、二つの濡れた匂い袋を見つめる。  蒼いサシェは、私。  白い包みは、彼。  熱を帯びた白濁が、布地にねっとりと絡みつき、糸を引いている。  私はそれを惜しむことなく、蒼いサシェを白い包みの上に重ね、強く押し付けた。  自分の熱を、指で丁寧に塗り広げていく。  白い欲望が白い布に染み込み、青い麻布にも絡みつく。  私のすべてを注ぎ込み、彼の香りを私の色で塗り替える。  布同士が湿った音を立てて擦れ合い、白濁が泡立つほどに混ざり合っていく。  いつか本物のドノバンにも、こうして私の熱を刻み込んでやる。  その予告のように、私は二つの袋をさらに強く握りしめ、指の間でぐちゃぐちゃと練り合わせた。 「……大事にしますよ。ドノバンさん」  誰もいない部屋で、闇に溶けるような声で呟く。  大事にするというのは、棚に飾って眺めることじゃない。  肌身離さず持ち歩き、私の体温で温め、私の匂いを染み込ませる。  そうして、私の一部にしてしまうということだ。  これは、彼に対する宣戦布告でもある。  あの厳つい顔も、傷も、無骨な手も。  甘党で、裁縫が得意だという可愛らしい一面も。  全部、私だけのものにする。  私は青いサシェを持ち上げ、濡れた布地を唇に近づけた。  まだ温かく、ほのかに自分の熱が残っている。  嫌悪感など微塵もない。  彼の分身を私の色で満たした、甘い余韻だ。  私は目を細め、うっとりと息を吐きながらキスを落とした。  柔らかく、深く。  まるで、本物のドノバンの唇に触れているかのように。  布越しに伝わるぬめりさえ愛おしく、胸の奥が熱く疼く。  このサシェはもう、私と彼が混じり合った唯一無二の宝物。  今夜は、眠れそうにない。  早くこのサシェのように、ドノバンの上に覆いかぶさりたい。そのすべてを貪りたくてたまらない。  エースの仮面なんて、もう足元に転がっていた。  鏡に映る私は、理性を失ったただの雄の顔をしていた。

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