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第7話:優しい贈り物は捕食者への挑発
翌日。
私は、ダンジョン攻略など上の空で、一刻も早く地上に戻ることだけを考えていた。
ドノバンに会いたい。
昨日の情報を得てから、私の中で彼は『気になる男』から『至上の獲物』へと昇格していた。
昼過ぎ、パーティメンバーと共に地上へ戻ると、いつもの監視小屋の前にドノバンがいた。
私の姿を見つけると、彼は少しバツが悪そうに、しかし真っ直ぐに近づいてきた。
「おい、セルウィン。ちょっと待ってくれ」
パーティメンバーを先に帰し、私はドノバンと二人きりになった。
小屋の陰。広場の喧騒が遠のく、人目につかない死角。
心臓がうるさい。
何を言われるんだ? まさか、昨日の私の視線が気持ち悪かったとか、そういう拒絶の言葉か?
――だが、そんな不安とは裏腹に、この空間に二人きりという事実に、私の肌は不謹慎なほどの熱を帯びていた。
「……なんでしょうか」
「これ、やるよ」
ドノバンはぶっきらぼうに言うと、懐から何かを取り出し、私の手のひらに押し付けた。
私の手より一回り大きな、温かい手。
そこに乗せられたのは、二つの小さな物体だった。
一つは、上品な濃紺の麻布で作られた、小さな匂い袋 。
もう一つは、革紐で編まれた、無骨 だがしっかりとした作りの根付 け。
「……これは?」
私は、手に乗せられた濃紺のサシェをじっと見つめた。
一見すれば、高級店に並んでいてもおかしくない既製品に見える。縫い目は驚くほど細かく、均一で、ほつれ一つない。
だが、あまりに完璧すぎるその仕立てに、昨日のコバムの言葉が脳裏 をよぎった。『仕立て屋並み』という、あの情報を。
「……このサシェ。もしかして、ドノバンさんの手作り、ですか?」
「……あ? な、なんでそれを……」
ドノバンは、不意を突かれたように目を見開き、口ごもった。
いつもの厳しい顔が、瞬く間に赤く染まっていく。図星をつかれた男の反応だ。
彼はバツが悪そうに視線を逸らし、頬の傷をポリポリとかいた。
「……夜は暇だからな。手慰みに作っただけだ。わざわざ店に行くのも面倒だしよ」
言い訳だ。
この完璧な品を「手慰み」と言い張るその不器用さが、たまらなく愛おしい。
「中身はサシェだ。鎮静 効果のあるハーブが入ってる」
ドノバンは、照れ隠しのように早口で続けた。
「お前、最近どうも顔色がわりいし、落ち着きがねえだろ。俺が使うような安物のポプリより、こっちの方がマシだと思ってな」
ドクン、と胸が鳴る。
見ていたのか。私の不調を。私の焦燥 を。
私がポプリの匂いに狂っていたことなど知る由もない彼は、純粋な善意で、私のためにハーブを選び、そして、私のために夜なべをして縫い上げてくれたのだ。
「それと、こっちの根付け。お前のポーチの留め具、先日のアラクネ戦でヒビが入ってただろ」
「え……あ、ああ」
「それにな、お前のその魔剣は一級品だ。半端な魔石を腰につけてると、魔力干渉 を起こして剣の反応が鈍る。こいつは魔力を抜いた屑石 だ。これなら剣の邪魔をしねえ。お守り代わりにでもしとけ」
一気にまくし立てると、ドノバンはそっぽを向いた。
「ま、余計なお世話だったら捨ててくれ。……じゃあな」
立ち去ろうとする彼の背中を、私は呼び止めることもできず、ただ呆然と手のひらの中の「贈り物」を見つめた。
青いサシェ。
『蒼き流星』の私のカラーに合わせてくれたのか?
よく見れば、その縫い目は驚くほど細かく、真っ直ぐで、一切の乱れがない。
一針、一針。あの太い指が、私のことを考えながら、時間をかけて縫ってくれたのだ。
一日も経っていないということは、夜なべをしたのだろうか。安い魔石の灯りを頼りに、眉間に皺 を寄せながら。
「あの若造、危なっかしいからな」なんて呟きながら。
(……私のために)
これは、ただの道具じゃない。
彼の時間だ。彼の労力だ。彼の気遣いだ。
私に向けられた、形を持った「愛情」そのものではないか。
その事実に気づいた瞬間、私の中で何かが決壊した。
嬉しい。死ぬほど嬉しい。
だが同時に、恐ろしいほどの独占欲が鎌首をもたげた。
こんなにも完成度の高い手芸品。
こんなにも細やかな気遣い。
もし、これを私以外の誰かに渡していたら?
あのDランクの若造が、「ボタンが取れたんスよ」とドノバンに甘え、ドノバンが「しょうがねえな」とそれを縫い付けてやっていたら?
(……引きちぎってやる)
ドノバンが縫い付けたそのボタンを、糸ごと全てむしり取ってやりたい。
腹の底から、どす黒い嫉妬と破壊衝動が煮えたぎった。
この「可愛らしい」一面を知っているのは、私だけでいい。
この無骨な指が生み出す優しさを享受 するのは、世界で私一人であるべきだ。
「……ドノバンさん!」
私は衝動的に叫び、彼の腕を掴んだ。
ドノバンが驚いて振り返る。
「うおっ!? なんだ、急に」
「……約束、してください」
私は、サシェと根付けを握りしめた片手を大事そうに胸に押し当て、もう一方の手で彼を捕らえたまま詰め寄った。
顔が近い。
ドノバンの瞳に、私の顔が映っている。今の私は、一体どんな顔をしているのだろう。きっと、コバムが言った通り、獲物を狙う魔獣のような目をしているに違いない。
「他の奴には、渡さないでください。絶対に」
「は?」
「これです。こんな……手作りのもの」
私の声は震えていた。
頼み事ではない。生存本能に近い、魂からの渇望 だ。
「私以外の奴に、こんなものを作らないでください。私以外の奴のボタンを直したり、薬を塗ったり、世話を焼いたりしないでください」
ドノバンは目を丸くして、私を見下ろしている。意味が分からないという顔だ。
当然だ。ただのサシェ一つで、ここまで必死になる男など異常だ。
だが、私は止まれない。
「……私だけ、にしてください。他の奴を見ないでください」
私は、彼の手首を掴む指に力を込めた。痛いくらいに。
これは逃がさないための、呪いだ。
「約束してくれないなら、私は……」
そこから先の言葉は、物騒すぎて飲み込んだ。
『群がる輩の手を、使い物にならないように粉砕してしまいそうだ』などと口走れば、さすがに引かれる。
ドノバンは、私の異様な剣幕に気圧されたのか、あるいは私の瞳の奥にある暗い炎に何かを感じ取ったのか、困ったように眉を下げた。
「……なんだそりゃ。お前、そんなにそれが気に入ったのか?」
「はい。命より大事にします」
「大袈裟な奴だな……。まあ、いい。分かったよ」
ドノバンは、ふっと力を抜いて、呆れたように笑った。
「そんなに欲しいなら、お前にやるよ。他の奴には作らねえ。……面倒くせえしな」
「! ……本当ですね?」
「ああ。男に二言はねえよ」
その言葉を聞いた瞬間、私の全身を、甘く痺れるような歓喜の電流が貫いた。
言質 を取った。
彼は約束した。私だけのものになると。
私は、痛くなるほど締め付けていた彼の手首から、ふっと力を抜いた。
だが、離しはしなかった。
そのまま手を滑らせ、今度は感謝を伝える握手のように、彼のごつごつとした分厚い手を両手で包み込んだ。
「……ありがとうございます」
感謝の言葉と共に、私は添えた親指の腹で、ドノバンの手の甲をゆっくりと擦った。
ただの感謝ではない。
ねっとりと、皮膚の感触を味わうように、円を描いて撫で回す。
「ッ……!?」
瞬間、ドノバンの肩がビクリと跳ねた。
彼は私の手から逃れるように、バッと勢いよく手を引っ込めた。
「な、なんだお前……くすぐってえな……」
ドノバンは気まずそうに手を振ると、誤魔化すように鼻を鳴らした。
ただ手をさすられただけだというのに、あの過剰な反応。
私はその様子を、獲物を見定める目で見逃さなかった。
(……敏感だ)
岩のような体をしているくせに、神経はずいぶんと繊細らしい。
「あー、礼なら受け取った。……じゃあな」
ドノバンは私の視線に居心地が悪くなったのか、逃げるように背を向け、足早に去っていった。
私は、その場に崩れ落ちそうになるのを堪え、至上の幸福に浸りながら微笑んだ。
きっと今の私は、傍目には天使のように純粋な笑顔を浮かべているだろう。
だが、その腹の底には、どす黒く、重い執着が渦巻いている。
(この人を、私のものにする)
青いサシェを、そっと顔の高さまで持ち上げる。
私はそれを握りしめるのではなく、祈りを捧げるように、あるいは愛しい人の肌に触れるように、恭 しく唇を押し当てた。
口づけの先から伝わる、麻布のざらりとした感触。
それが、一針一針時間をかけてこれを縫ったであろう、ドノバンの節 くれだった指の感触と重なり、背筋が粟立 つほどの愛しさが込み上げる。
昨夜、あのポプリの香りを嗅いだだけで理性を手放し、己を慰めてしまった私だ。
だが、今夜はそれだけでは済まないだろう。
私のためだけに作られた、この彼の分身を枕元に置いて。
夢の中の私はきっと、彼を優しく抱くどころか、獣のように組み敷き、その最奥まで激しく貫き、泣き叫ぶ彼を朝まで貪 り尽くしてしまうに違いない。
私は、去っていくドノバンの背中を見つめ続けた。
その背中に、見えない私の刻印を焼き付けるように。
もう、後戻りはできない。私の恋は、彼を完全に捕食するまで終わらないのだから。
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