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第五話 失恋③
テレビのニュースに知っている人が映った。何も事件を起こしたとか、事件に巻き込まれたとか、そういったニュースではない。何ということはない。全国各地のイルミネーションの名所を映した映像で、その背景として、たまたま映り込んでいただけのことだ。
「どうしたの、たっくん。知ってるとこ?」
一緒にニュースを見ていた彼女が言った。既にテレビの画面は切り替わっており、知っている人の姿は見えなくなっていた。
山崎拓也は、現在大学四年生。就活を終え、卒論も順調。卒業旅行の計画を立てる彼女もいる。だが、たった今、一瞬映ったあの映像により、記憶が過去へと舞い戻る。あれは、まだ中学生の頃。年相応にやんちゃだった拓也の成績を心配した両親が、家庭教師を雇った。
家庭教師の名は、宮野七瀬。女みたいな名前だと、揶揄ってやろうと思っていた。実際会ってみると、彼は美しく立派な青年だった。その頃、彼もまだ大学生。出会った頃は、今の拓也よりもいくつか若かったはずだ。
「これはこの公式を当てはめるから、こことここを先に計算して……」
「太陽と月と地球の位置関係は、図にするとこんな感じで……」
彼の教え方は、とにかく丁寧だった。特別優しいわけでも、厳しいわけでもなく、ただ淡々と、教師の仕事をこなしているという雰囲気だった。その姿が、中学生の少年にとっては、クールで格好いいものとして映ったのだった。
「先生は、彼女いるの」
ある時、そう尋ねてみたことがある。まだ授業の真っ最中だった。彼はペンを持つ手を止めて、不思議そうな顔をした。
「そんなことを聞いて、成績が上がるのか?」
「さぁ。けど、モチベーションは上がるかも?」
「……」
一瞬、目を伏せた。その表情が、あまりに切ないものだったから、まずいことを聞いただろうかと、拓也は内心ハラハラした。
「彼女なんか、いたことねぇよ」
「いたこと…ないの? 一回も?」
「ああ。夢を壊したな」
「夢って」
「大学生だからって、誰でも彼でも恋人ができるわけじゃねぇってこと」
「こ、高校でも? 中学でも高校でも、今まで一回も、彼女いたことないの?」
「……高校、の時は……」
また、一瞬傷付いたような顔をする。ペン先でノートをとんとん叩くのは、考え事をする時の癖だろうか。
「……お互い思い合ってると、思っていた相手がいたんだ。けど……それはたぶん、おれの勝手な思い込みだった」
「捨てられたの?」
「いや……むしろ、捨てたのかも」
「……」
だったらなぜ、そんなに哀しそうな目をするのだろう。捨てたくて捨てたわけじゃないのだろうか。本当は、彼の方が捨てられたのだろうか。真相は分からない。
「だからもう、それっきり。恋だの愛だの、もう懲りたんだ」
「……先生、まだ若いのにね」
「中学生が何言うんだよ。ほら、おしゃべりは仕舞いにして、続きやるぞ」
「……もしもさ、先生は……」
その人が再び目の前に現れたら、また恋に落ちるのかな。もしも僕が、あと五年、せめて三年、早く生まれていたら、辛い裏切りの記憶なんか、綺麗さっぱり忘れさせてあげるのに。
そんな台詞は、ついぞ言葉にすることはなかった。拓也が何を言おうとも、何を言わなくとも、最初から分かっていたのだ。彼はまだ、彼を裏切ったというその相手のことを、愛している。たとえ再び現れても、現れなくても、彼の心は既にその人に奪われてしまっている。取り返す手立てなど、初めから存在しないということを。
あの時感じた直感は、間違ってはいなかったのだろう。最後に彼に会ったのは、中学を卒業した時だ。あれから七年も経ってから答え合わせをすることになるなんて、まさか思ってもみなかった。
テレビの画面に一瞬映り込んだ彼の姿は、七年前と何ら変わらず美しく、そして、幸福そのものだった。憂いを帯びた眼差しも、儚げな横顔も影を潜めて、クリスマスのライトアップにふさわしい、明るく美しい微笑みを湛えていた。
その原因は、まさか、隣に寄り添う男のせいだろうか。彼よりいくらか上背があり、こちらもやはり、クリスマスにふさわしい、明るく優しい眼差しで、彼を見つめていた。ほんの一瞬映っただけで、確証なんてまるでないのに、あの男がきっと、彼がかつて言っていた、彼の心を奪っておいて裏切ったという相手なのではないかと、拓也は何となくそう思った。
けれどもまさか、そんなことが実際にあるのだろうか。奇跡以上の確率だ。そんな奇跡みたいなことが、現実に起こり得るのか? 信じがたい。けれど、あの映像に一瞬映った彼の笑顔は、三年近く一緒に過ごしたはずの拓也が、一度も目にしたことのないもので。だからこそ、信じたいのだ。彼が、宮野七瀬が、今現在を幸せに生きてくれているということを。
「ねぇ、たっくん。旅行、どうする? 海外は友達と行くから、どっかのんびりできるとこがいいんだけど」
考え事に耽っていた拓也の肩にしな垂れて、彼女が甘えてくる。そうだ。山崎拓也は現在大学四年生。就活を終え、卒論も順調。卒業旅行の計画を立てる彼女もいる。この子と結婚することになるのだろうと、漠然と考えている。そんな、どこにでもいる普通の青年だ。
「のんびりね。温泉にでもする?」
「うん。いいね」
「できれば、行ったことないとこがいいけど」
「マイナーなとこがいいかなぁ。秘境みたいな」
「写真映えとか、いいの? いつも気にするじゃん」
「それね~。秘境すぎてもつまんないか」
「ちょうどいいとこ探そうよ」
今日も明日も明後日も、時計の針は回り続ける。そして夜が更けていく。
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