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第21話

土曜日なのに、どんよりとした曇り空。 その分暑さは抑え気味で、薄手の長袖がちょうど良い。 今日は間違いなく秋だと思える気候だ。 木岐に待ち合わせ時間の変更連絡をしたのは午前中。 十七時までのシフトだと思っていたら、なんと十五時までだった。 新人研修で普段より人員が多く、短いシフトになっていたことを忘れていたのだ。 木岐に早めに遊べそうと送ったら、すぐにOKの返事が来た。 せっかくならすぐ近くの映画館で映画でも見ようということになり、チケット取りは木岐にお任せすることにした。 昨日、告白めいたことを言ったとは思えないほど、木岐の返事は普段通りのテンションだった。 メッセージを送る時少し緊張していた自分がなんだか恥ずかしい。 しかしそれならばこちらも変に意識はしないように。 いつもの二人で過ごして、向き合ってみよう。 「四十万、お疲れ!」 映画館の入り口前で木岐が手を振って待っていた。 バイト先の駅ビルの隣に大きな商業施設があり、映画館はそこに入っている。 今日見ることにしたのは今話題になっている邦画だ。 明も木岐も映画にはあまり詳しくはなかったので、流行っている作品にしようということですぐに決まった。 「映画館久しぶりだなぁ」 明は劇場に漂うキャラメルポップコーンの匂いを嗅ぎながら言った。 「俺最後に映画館で映画見たの中学生かも。木岐は?」 「え・・俺?」 木岐は売店のメニューを見ながら考えるように目を泳がせる。 「俺は・・高校生かなぁ」 そう言って答えた木岐の瞳が一瞬曇ったのを感じて、明はしまったと口を手で押さえた。 映画館といえばデートの定番だ。 きっと最後に来たのは前の恋人となのだろう。 少し考えれば想像つくことだったのに、無神経な質問をしてしまった。 「ご、ごめん!」 「え?」 ガバッと頭を下げる明を木岐が不思議そうに見つめた。 「その・・思い出させるようなこと言って・・」 「・・あぁ、いや。四十万が謝るようなこと何もないでしょ?」 木岐は困ったような笑顔をこちらに向けた。しかしふっとその笑顔が固まる。 「・・・木岐?」 「あっ、ううん。本当に大丈夫だから!ほら!それより四十万、何食べる?やっぱりキャラメルポップコーン?」 話題を変えようとしているのか、木岐が売店のメニューを指さして言った。 「え、えっと・・どうしよう」 明もメニューに目を向ける。 「映画館慣れてないから何がいいかよくわかんないなぁ」 「定番はポップコーンでしょ。あとはホットドッグとか。あのポテトも昔食べたら美味しかった気がする!」 木岐が明るい声で言った。 「うーん。でも俺ついさっき休憩時間に賄い食べちゃったからなぁ。食べ物はいいかな?」 「え・・」 腕を組み首を傾げながら言う明を木岐が見つめた。 「とりあえずドリンクだけにしようかな!あ、でも木岐はお腹空いてたら遠慮しないで買ってね!」 「・・うん、わかった」 少し考えるようにして木岐が頷く。 「じゃ、俺塩味のポップコーン!四十万もつまんでいいよ!」 「え!だったら俺も半分払う!」 「いいよいいよ!どうせ一人じゃ食べ切れないから!」 「だったら尚更!俺も払うから半分こしよう!俺もそのくらいなら余裕で食べられるし!一回食べ出したら止まらなくなるかもしれないし!」 「えー。本当にいいの?」 「うん!むしろありがたい!」 「・・じゃあ、買いに行こうか」 木岐が微笑んで歩き始める。 「うん!」 明もその後を笑顔でついて行った。 木岐との会話は波長が合っているのか、テンポが良くて気持ちがいい。 気遣うタイミングも言葉選びも、すとんと自分の中に自然と落ちてくるようだ。 無理なく隣に居れる相手なのだと思える。 例えばこの先も・・こうやって一緒に・・ 話題作の映画はちょうど二時間の上映時間だった。 家族というものは何かを考えさせられる人間ドラマで、思っていた以上に真剣に見入ってしまった。 「うーん」 エンドロールまで見終わり劇場を出たところで木岐が背中を伸ばしながら唸った。 それから空になったポップコーンのカップをゴミ箱に捨てる。 「ポップコーンの量も映画の長さもちょうどよかったな!」 「うん!そうだね。今何時くらいだろ」 明は相槌を打つと、鞄からスマホを取り出し画面を付けた。 時刻はもうすぐ十八時になるところだった。 「木岐お腹空いてる?ポップコーン食べちゃったし、ご飯はもうちょっと後にしようか?」 「うーん、そうだなぁ」 木岐は何か思案しているように目を動かすと、ゆっくりとその瞳を明に向けた。 「話、しない?色々と」 「え・・」 「四十万のバイト先のカフェでコーヒーでも買ってさ。駅ビルの屋上知ってる?あそこ屋上庭園みたいになってるけど空いてるんだよね。そこ行こうよ!」 「・・・」 「はは、別にそんな構えないで。四十万と話したいだけだから」 「あ、いや。構えてなんてないよ」 木岐が思いの外力なく笑ったので、明は慌てて否定した。 「いいね!社割使えるからバイト先のカフェ寄ってこ!」 「・・うん、ありがとう」 色々と話すの『色々』には何が含まれているのだろう。 今までのこと、これからのこと、二人のこと。 そういったことだろうか。 この話が終わったら、俺達はどうなっているのだろう。 それから二人は明のバイト先に行き、それぞれ飲み物を注文した。 木岐は明が薦めたシーズンドリンクを頼んでくれた。この季節限定のカボチャのソースを使ったラテだ。 飲み物を受け取り二人は駅ビルの屋上へと上がる。 今まで屋上が庭園になっていることを知らなかった。 外に出ると綺麗な緑の芝生が一面に敷かれていて、色とりどりの花が傍に植えられている。もう陽が落ちて暗くなり始めているので、所々がライトアップされていて幻想的な雰囲気だ。都会のビルの上とは思えない。 「わぁ〜。こんな綺麗な所が近くにあったなんて知らなかったな」 明は素直な感想を述べた。 「ね、綺麗だし人も少ないしいいでしょ。俺、バイト帰り時々ここで休んで帰るんだ」 木岐は庭園の真ん中辺りまで歩くと、ピタリと止まって言った。 「都会の人の多さには疲れるけど、家に一人でいるのが嫌な時はここに来る。都会の灯りと芝生の匂いと、なんかミスマッチな感じが楽しくて」 「・・・木岐も家で一人でいるのが嫌な時あるんだね」 いつも自分のペースを崩さず、のんびりとした雰囲気の木岐からはあまりイメージができないことだ。 「そりゃあるよ。俺をなんだと思ってるの!」 木岐は笑うとぐびっとパンプキンラテを飲み込んだ。 「あ、甘くて美味しい」 「でしょ?人気あるんだよ」 明もそう言いながら自分のカップに口を付ける。明は普通のカフェラテだ。 「四十万はコーヒーブラックで飲めるの?」 「うん。最初は全然ダメだったんだけどバイト始めてから飲めるようになったよ。でもカフェラテ頼む方が多いけどね。あ、でも砂糖はいれなくなったかも!味覚が大人になってきたんだな、きっと」 「あはは!いいね!東京に出てきて成長したってことだ!」 木岐は可笑しそうに笑った。 「・・俺も、ちゃんと成長したいなって思ってるんだけど。どうなのかなぁ」 カップに口を付けたまま木岐は遠くを見つめる。 過去の自分か、離れた地元か、今はもう見えない何かに思いを馳せるように。 「・・・」 今日の木岐はいつもより壁が薄い。けれどそれはまるで氷の膜のようで、触れたらすぐに割れてしまいそうだ。 何か言わなくてはと思いながらも躊躇って声が出ない。 「四十万」 明が黙っていると、木岐が真剣な眼差しをこちらに向けて名前を呼んだ。 「四十万は、東京に出てきたこと後悔してる?」 「え・・」 「だって、東京に出てきたから出会っちゃったんでしょ?恋人がその相性の良さそうなΩと」 「・・・うん」 「だったら、東京に来なければきっと二人は今も付き合えてたよね。東京に来なければなにも変わらず問題なくさ」 「・・・」 それは考えないようにしていたことだ。頭に浮かぶたびに打ち消して、決して『それ』のせいにしないようにと。 「・・確かに・・地元にいたらきっと、これまでと同じように、付き合い続けてたと思う」 明はゆっくり言葉を選びながら口を開いた。 「でも・・俺、どこかでずっと考えてた。本当はαとΩが結ばれる方がきっと良いことなんだろうなって。それでも、俺を選んでくれたから・・俺も負けないように頑張ろうってそう思ってたんだけど。やっぱりダメなんだってわかったんだ・・」 「・・なにがわかったの?」 「βの俺じゃ・・与えてあげられるものに限界がある。気持ちだけじゃどうにも出来ない。それに早めに気づけて・・取り返しがつかなくなる前に手を離せたんなら、東京に来た意味はあったのかなって・・思ってるんだ」 「・・・」 「だから、後悔してない・・てことに、しておきたいかな」 明はそう言うと、へへっと笑ってみせた。 改めて、自分に言い聞かせるように言ってみたけれど、不思議とスッと心に落ちてきたような気がする。 きっと地元に残ったままだったら、昴の望みを知ることはなかった。 例えばもしそれを、この先のずっと未来で知ってしまったらと思うと怖い。 昴は優しいから何も言わず我慢して一緒に居続けてくれただろうが、最後の時に後悔が彼の心に残っていたら・・ そんなことは絶対に嫌だ。 だから、これでよかったのだ・・ 「・・そっか。うん、ならよかった」 木岐は口元に笑みを浮かべると小さく頷いた。 「四十万が後悔してないって言うなら、俺も堂々と言える」 「・・なにを?」 「俺は・・」 木岐は柔らかな視線を明に送り一呼吸置いてから言葉を続けた。 「四十万が東京に出てきてくれて嬉しい。そうじゃなきゃ出会えなかったから」 「・・・」 「俺も、東京に出てきて良かった。最初はただ地元から逃げたい一心で選んだ東京だったけど。でも・・四十万と出会えたから俺の選択は間違いじゃなかったって今は思えるんだ」 「・・木岐」 「改めて言うけど・・四十万、俺と付き合ってみない?」 木岐は口元に笑みを残したまま言った。 余裕があるように見えるのは、元々の彼の持っている雰囲気だろう。 手元を見ると、カップを持っていない手のひらは硬く握られている。 「・・・」 明は視線を下に向けたまま黙り込んだ。 反射的に返事をすることはできない。 考えて落ち着いて答えを出したい。 木岐も黙ったまま待ってくれている。 自分がこれからどうしたいか、どんな風に過ごしていきたいのか。 ちゃんと考えて、木岐のためにも自分のためにも間違いのない答えを・・ 「・・お、俺・・」 「ちょっと待って・・!」 明が口を開いた瞬間、それを遮るような声が聞こえた。 「え・・・」 その聞き覚えのある声に心臓がドクンと跳ねる。 なんで? いや、まさか・・そんな・・ 半信半疑で視線を後方に向けると、ライトアップされた薄暗がりの中に一人の青年が立っていた。 薄手のジャケットを羽織り、スラッと高い細身の身体でこちらを切羽詰まったような表情で見つめている。 幻かと思わず目を凝らして見たが、間違いなくそこに彼は立っていた。 「・・・昴・・」 明は消え入りそうな声でその名前を呼ぶ。 久しぶりに口に出したので、なんだか現実味がなく不思議な感じがした。 「え?」 木岐は訳のわからない顔で眉間に皺を寄せた。 「なに?四十万誰この人・・」 木岐がそう言うのと同時に、昴がゆっくりと歩き始めこちらに近づいてきた。 それから二人の前でピタリと止まる。 木岐は改めて昴の顔を見ると、口をぽかんと開けた。 「・・あれ?・・ねぇ・・」 「・・・」 明は気まずそうな顔で俯く。 木岐はそんな明の様子には気づかず、昴を凝視しながら言った。 「君・・水族館で、あの本屋さんの・・Ωの人と一緒にいた人・・だよね?」 「・・・」 昴はゴクリと唾を飲み込み、躊躇うように目を泳がせる。 しかしそれからすぐに小さく頷いた。 「・・そう、です」 「・・・え」 木岐は目を見開き、明と昴を交互に見つめた。 「どういうこと?四十万・・」 明は視線を恐る恐る上に向ける。 「・・あ、あの・・実は・・」 「明の、幼馴染の矢野昴です」 明の言葉に被せるように昴が答えた。 「え・・幼馴染?」 木岐は口をぽかんと開ける。 「・・四十万の知り合いだったってこと?え・・でもあの人は知らなそうだったよね?水族館で会った時も・・」 そこまで言って何かを察したのか木岐は口を閉じた。 それから昴をじっと見つめる。 「あぁ・・そういうことか・・君が四十万の、αの元恋人」 「・・・」 昴は黙ったまま木岐に視線だけを返す。 明は二人の様子を伺いながら重い口を開くように言った。 「あ、あの・・わざと・・彩葉さんに秘密にしていたわけじゃなくて・・」 「え?」 「たまたま・・俺はあの本屋さんで彩葉さんと知り合って、昴は・・偶然ゼミの先輩で・・お互い彩葉さんと出会っていたことは知らないまま、その・・」 これより先をどう説明していいか分からず明は再び俯く。 「・・・知らないまま、君はあのΩの人に惹かれてしまったってわけかな?」 明の言葉の続きを付け足すように言いながら、木岐は昴に鋭い視線を送った。 すると昴はその視線に対抗するように険しい顔で木岐を睨みつけた。 「違います。そういうことじゃない・・」 「じゃあ、どういうこと?聞いてるよ、四十万から。別れた原因はαの元恋人がΩと出会ってしまったからだって」 「木岐っ!・・」 明は木岐を止めるように名前を呼ぶ。木岐は一瞬明をチラリと見たが再び対峙するように昴をまっすぐ見据えた。 「実際、あのΩの人と付き合ったんですよね?βの四十万ではなくて。それって、やっぱりαにはΩが良いってあなたも納得したからじゃないんですか?」 「・・・そう、いうことじゃなくて・・」 昴が悔しそうに唇を噛んだ。 それを見た明は思わず大きな声で言った。 「二人は運命の番だったんだよ!」 「え?」 「だから・・仕方がなかったんだ。運命の番に出会って、惹かれ合わない方が難しいんだよ。昴が悪いわけじゃない」 「・・・そう、だったんだ」 木岐は納得したかのように、それまでの射抜くような視線を緩めて昴を見つめた。 それからゆっくりとした口調で話しかける。 「運命の番って・・本当にあるんですね」 「・・・」 昴は木岐を見返したが返事をする様子はない。 「確かに、それなら仕方がないのかな。ただのαとΩだってヒートが起これば簡単に求め合っちゃうのに、それが運命の番なら尚更だよね。あの人が言っていた意味も理解できるなぁ」 「え・・」 木岐の言葉に昴が眉間に皺を寄せる。 「言ってましたよ、Ωのあの人が。君のこと、もう恋人ではないけれど1番の理解者で絶対的な味方だって。そこまで他人を言い切れるってすごいなって思ったけど運命の番なら納得だな」 「えっ・・明、彩葉さんと別れたこと・・知ってるの?」 昴は驚いた顔で明に聞いた。 明は「うん・・」と返事をしながら小さく頷く。 「・・そう、聞いてたんだ・・」 昴の瞳が戸惑いの色を浮かべた。 「あっ!でも知ったのは昨日!たまたま本屋さんで彩葉さんと会って、その時木岐も一緒にいてさ。話の流れで・・聞いたんだ・・」 「・・・そうなんだ、昨日も・・」 昴は再び木岐を見つめる。 その視線の意味に気がついたのか、木岐はヘラッと笑った。 「昨日は夕飯食べに行ったんだよね。俺達、最近よく一緒に遊ぶことが多いから、ね?」 「う、うん・・」 話を振られ明はコクンと頷いた。 その反応を見て木岐は話を続ける。 「今日もさっきまで映画を見てきたんだ。それで今は・・俺達大事な話をしてたんだけど・・君は、なんでここにいるの?」 「・・・」 昴は手のひらを固く握りゴクリと唾を飲み込んだ。 その様子を明はジッと見つめる。 そう、それが今一番気になっていることだ。 なぜここに、昴がいるのか・・ 昴はスッと息を吸うと、ポツリと小さな声で言った。 「割り込んでしまったことは、すみません・・でも・・俺も・・明と、話がしたくて・・待ってたんです」 「え・・?」 明は驚き昴を凝視する。 「直接・・話したくて。でも・・連絡して断られたらと思うと怖かったから、バイト終わりに声をかけようと・・いつも土日は17時くらいまでシフトに入っていたから、その時間に合わせてきたんです。そしたら・・二人を見つけて・・」 「・・それで、後をつけて様子見てたってこと?」 木岐が無表情で聞いた。 その表現が心外だったのか、昴は眉を顰める。 しかし他に言いようがないと思ったのか「そうです・・」と消え入りそうな声で言った。 「ふーん。気づかなかったなぁ。ビックリしたね、四十万」 「え・・あっ、う・・うん」 同意を求められ明は慌てて頷く。 驚いてはいるが、それよりも昴が話しがあると言ったことが気になってしまっている。 一体なんの話があるというのだろう。 昴は一歩前に出ると、木岐に真剣な眼差しを向けて言った。 「明と・・話をさせてもらってもいいですか?」 「・・・」 木岐は顎をあげ見定めるような視線を昴に送る。それから口元を片方だけ上げてフッと吹き出した。 「俺も、四十万と話してたんだけど。聞こえてたよね、告白」 「・・・」 「だから止めに入ってきたんじゃないの?」 「・・・それは、そうです」 昴は気まずそうに視線を横にずらした。 「それで横取りするように自分も話があるっていうのは、ちょっとずるくない?」 「・・・」 木岐に責められ昴は口を噤む。 その様子を見て木岐は明に視線を移した。 「それでも・・四十万は・・」 「え・・」 「彼の話を聞きたい?」 「・・・っ」 ゴクンと大きく息を飲み込む。 今の状況が木岐を不快に、そして不安にさせていることはわかっている。 大切な話を勇気を持って切り出してくれていることも。 その木岐の話を差し置いて、昴と話をするなんて・・ 「・・・」 「・・・・まぁ、そうだよね」 黙り込む明を見て、木岐は眉尻を下げて笑った。 「聞きたいよね、好きだった人の話なら」 「・・木岐」 「いいよ。俺は先に帰るから」 「まっ、待って!まだ話が・・」 明は咄嗟に木岐の袖口を掴んだ。しかし木岐はそれをポンと軽く払うと申し訳なさそうな顔を明に向けた。 「ごめん、四十万」 「え・・」 「色々、あの人にキツイ言い方して。でも・・よく考えてね。あの人の話を聞いて、よく考えてから俺への返事してくれたらいいから」 「・・・」 「じゃぁ、また」 木岐はそう言うと、ゆっくりとした足取りで夕闇の中に溶けていくように去って行った。 「・・・」 明は木岐が消えて行った方をじっと見つめたまま無言で立ち尽くす。 木岐とのことも宙ぶらりんのまま、これからどう昴と話をすればいいのだろうか。 明はチラリと昴に視線を向けた。 すると昴の真っ直ぐな瞳と目が合った。 思わず心臓がドクンと跳ねる。 「あっ・・」 明は慌てて目を逸らしながら早口で言った。 「あの、こうやって面と向かって会うの久しぶりだよね。どれくらい会ってなかったかな?3ヶ月とか?そんなに長い期間会ってなかったのって今までなかっー・・」 話終わらないうちに身体をぐいっと引っ張られ、高い体温に力強く包まれた。 「っ・・ちょっ・・昴!?」 昴に抱きしめられ、明は驚いて大きな声を出した。 「な、なに・・して・・」 振り解こうと昴の腕の中でもがくが身体はびくともしない。その間も昴は無言で何かを噛み締めるように明をキツく抱きしめている。 「・・・昴」 結局観念して明が静かに名前を呼ぶと、昴の肩がぴくりと揺れた。 それから昴はゆっくりと体を離し、寂しそうな表情で言った。 「・・ごめん。恋人でも・・ないのに」 「・・・ううん」 明は小さく首を振る。 「・・昴、元気にしてた?病気とかしてない?」 何から聞こうか迷い当たり障りのないことを言ってみる。すると昴はフッと小さく笑い「うん、大丈夫」と頷いて言った。 「・・明は?最近涼しくなってきたけど、風邪とかひいてない?」 「うん!俺は大丈夫!普通に元気」 腰に手を当て明るい声で答える。そんな明を見て、昴は複雑そうな笑みを浮かべた。 「そう・・なら、よかった」 「・・・昴?」 「あ・・ごめん・・本当に、よかったって思ってるんだけど・・」 「けど?」 「・・・」 昴は視線を下に向けて口を一文字に結ぶ。 それから意を決したように再びこちらに真剣な眼差しを向けた。 「明が・・元気でいられたのは・・あの人のおかげ?」 「え・・・」 「あの人。木岐君、だっけ?」 「・・・」 明は口を小さく開けひゅっと息を飲み込んだ。 「すごく・・仲が良さそうだよね」 「・・えと、それは・・まぁ・・」 返答に困り目を泳がせる。距離が縮まったと実感しているのは事実だからだ。 するとそんな狼狽した様子の明を見据え、昴は静かな声で言った。 「・・・明の家に、泊まったでしょ?あの人・・」 「えっ・・なんで知ってるの?」 明は不安気な表情を浮かべた。 まるで悪事がバレてしまったような気分だ。 「・・・実は、台風が来た次の日・・明のことが心配で・・様子を見に行ったんだ・・」 「え・・」 「停電したってニュースで見て・・どうしても明のことが気になって・・それで朝様子を見に行ったんだけど・・そしたら明の家から、明と・・木岐君が出てくるところが見えて・・」 「・・・」 明は台風の翌朝のことを思い出した。 大学に行くために二人で玄関を出たあの瞬間を、昴に見られていたということか・・ 「あ、あの日は・・木岐に遊びに来てもらったんだ。台風で一人で家にいるのも不安だったし・・」 「・・・そんなに、怖かったのなら・・俺に、声かけてくれれば・・」 「え・・」 ボソリと聞こえた昴の声に明が耳を傾ける。 しかし昴は「・・ごめん。なんでもない・・」とすぐに首を横に振り眉尻を下げて言った。 「すごく驚いた・・明に、新しい恋人ができたんだと思って・・でも、さっきの話を聞いた限りでは、まだ違うんだよね・・?」 「・・・う、うん」 明は気まずそうな顔で小さく頷く。 すると昴は乞うような瞳で言った。 「それなら・・もう一度、俺の話を聞いて・・俺にチャンスをください・・」 「・・・チャンス・・?」 「・・うん」 昴はスッと一呼吸置く。それから再び口を開いた。 「俺は、明のことが好き。ずっと、この先何があってもこの想いは絶対に変わらないし失うことはない。だから・・もう一度、俺の恋人になってほしい・・」 「・・・」 縁がジワリと赤い昴の瞳を見つめたまま、明はぽかんと口を開けた。 もう・・会えることはないと思っていた昴が急に目の前に現れ、元に戻りたいと気持ちを伝えてくれている。 今のこの状況があまりにも急展開すぎて、頭の整理が追いつかない。 けれど・・それよりもまず、聞いておかなければならないことがある。 「・・彩葉さんは・・」 明は震える唇でポツリと言った。 「彩葉さんは、大丈夫なの?彩葉さんが言ってたように二人はその・・喧嘩したとか合わないからとかで別れたわけではないんでしょ?」 「・・・うん」 昴の瞳が少し寂しげな色に染まった。 「けど俺達は、考え方や感じ方は似ているけれど恋愛に関しては違うって話になったんだ」 「違う?」 「・・彩葉さんは一緒にいて心穏やかに過ごせるかや安心感を持てるかが恋愛で大切な要素だって思っていて・・俺もそれは同感できるんだ。不安になったり嫉妬したり、自分の醜いところばかりが浮き彫りになる恋愛は辛い。でも・・それでも俺は、その感情も含めて明のことを好きだって気持ちの方が大切だって思った」 「・・・」 「明のことを好きな気持ちは捨てられない。一生消えない。嫉妬や独占欲で明を傷つけてしまっても・・自分に自信が持てなくても・・明を想うことはやめられない。そのことに気がついたから・・彩葉さんとは話し合って恋人関係は解消することになった。その時に彩葉さんは言ってくれたんだ。俺達は半身のようなものだって。離れていても理解し合える、絶対的な味方のような存在だって。そう言われてすごくしっくりきた。俺達の『運命の番』はそういう形なのかなって。だから・・明が気にするような関係ではなくなったんだよ」 「そう・・なんだ・・」 昴の話を聞いて、明はポツリと呟き俯いた。 二人が別れた理由はわかった。 納得できるような気はする。 けれど・・この胸の中に渦巻くモヤは晴れそうにない。 「・・昴が、俺のこと好きだって、今も・・思っていてくれて嬉しい。本当に・・」 そこまで言ってきゅっと下唇を噛む。 それからどう言えば上手く伝えられるか考えながらゆっくりと口を開いた。 「俺は・・昴が俺を選んでくれたことに自信を持とうって、ずっと思ってた。選んでくれたんだから大丈夫だって・・でも、やっぱり・・ダメなんだ・・」 「・・ダメって・・何が?」 昴は悲しそうに眉を顰める。 「この先も、昴と一緒にいられる自信が・・持てない。βの俺じゃ・・昴の全てを満たしてあげられない。そのことをずっと、気にしたまま・・一緒にいるのはこわい」 「・・そんなの・・」 昴の表情が一瞬で険しくなった。 「明は考えなくていいし心配しなくていい。第二次性は関係ない。俺が好きなのは明自身なんだから」 「それは、今はそう思えるかもしれないけど・・」 「・・さっき・・明と木岐君が話してること、全部は聞こえてなかったけど・・明言ってたよね?『βの俺じゃ与えてあげられるものに限界がある』って・・それってなに?俺は明以外に欲しいものなんてなにもない。明が勝手に想像して自信がないって思ってるだけで・・」 「俺の家のような、温かい家庭・・」 「・・・え?」 ボソッと言った明の言葉が聞こえなかったのか、昴は首を傾げた。 明はまっすぐ昴に視線を向ける。 「昴は温かい家庭に憧れがあるんでしょ?昴、昔言ってたじゃん、俺ん家の子になりたいって」 「・・・」 「昴がそういうものに憧れる理由は分かるから。だったら俺はそれを叶えて欲しいって思う。それで・・それができるのは俺じゃない。βの俺じゃ・・そう思えば・・昴にとって1番良い相手が誰かなんて考えなくても分かる・・」 「待って、明は勘違いしてる。俺は、確かに明の家族に憧れがあるよ。みんな幸せそうで仲が良くて素敵だなって。でも俺が求めてるのは家族ではなくて、明の両親みたいにいつまでも変わることなくお互いを大切に思い合う関係だよ」 「え・・」 「俺がそれをできるのは、そうしたいと思えるのは明しかいない。明だけだよ」 「・・・」 明は頬を染め、戸惑うように視線を泳がせた。 昴が欲しいと思っていたものは、家族ではないらしい・・ それでいいのなら、確かにこの身ひとつで叶えてあげられる・・ そう思い一瞬心が軽くなったが、あることを思い出し明はぐっと息を呑んだ。 自分には見せない、彩葉といた時の自然体の昴の姿だ。 「・・明?」 黙り込む明を、昴は不安げな顔で覗き込む。 明はそんな表情の昴を見て静かな声で言った。 「・・俺も、彩葉さんの考えが・・正解だと思う」 「・・え?」 「恋愛で大切なこと。安心できて心穏やかでいられる人が1番だっていう話。俺もそう思う。不安なことや我慢することが多い関係なんて、永遠に続けられるものじゃない」 「・・俺は、明といる時が1番幸せだよ。不安っていうのは俺が勝手に・・明のことを想い過ぎて不安になってるだけ。我慢だってしたことない。俺にとっては明が第一優先でー」 「だから!それは俺が嫌なんだ」 明は大きく首を横に振った。 「ずっと、思ってた。昴は・・俺といる時はいつも無理してるって。俺に合わせようとしてくれてる。俺のために、俺のことを思って。でも、それじゃ一生一緒になんていられないよ。いつか疲れて・・もう無理だって、限界を感じる時がきっとくる・・」 「俺は無理なんてしてない!いつだって、自分のしたいようにしてきたよ?そのしたいことの中心が明なだけで、我慢して無理にそうしてるわけじゃ・・」 必死に訴えるような昴を見て、今度は小さく首を振って明は言った。 「・・彩葉さんといる時の昴は、すごく自然体だった。楽しそうで素直に自分の気持ちを表現していて・・今まで俺には見せたことのない顔してた。あれが本来の昴なんだなって思ったんだ。俺には引き出すことができない姿・・」 「・・・違う。違うよ、明」 昴は悔しそうに言うと唇を噛みしめる。 それから真剣な眼差しをこちらに向けた。 「・・彩葉さんのことは、確かに信頼しているし一緒にいると落ち着つけて安心もできる。こういう、穏やかな気持ちでいられる関係もいいのかなって思ったこともあった。でも・・平穏を求めても、明のことを考えないことは無理だった。そんな俺じゃ彩葉さんの望む恋愛関係にはなれないし幸せにもできない。俺は、心乱されることがあっても明を想う人生を生きたい」 「・・そんなの・・それじゃぁ昴はずっと、幸せになれないじゃん」 明は昴から視線を逸らし両手を強く握りしめた。喉の奥がなんだかヒリヒリと痛い。 「俺は昴に幸せになって欲しい。無理したり我慢したりしないで、自分の望むことを叶えてほしい。俺がそうさせてあげられないならー」 「だったら、それこそ明が一緒にいてよ!」 「っ・・・」 昴の大きな声に驚き、びくりと体を震わせる。 それから恐る恐る視線を前に向けた。 昴は辛そうに顔を歪ませながら言葉を続けた。 「俺の、幸せの絶対条件は明がいてくれることだよ。明がいなかったら、夢を叶えても欲しいものを手に入れても満たされない。ずっと心に何かが一つ足りないような、そんな気持ちのまま過ごしていく。明が、いてくれなきゃ・・俺は幸せになれないよ」 「・・・」 「だから、お願い。俺との関係を諦めないで・・もう一度、俺といることを選んで・・」 昴のその言葉を聞いて、明はゴクリと唾を飲み込んだ。 昴のことを、諦める・・ そんなつもりはなかった。『友達』としてでもそばにいたいって思っていたのだから・・ けれど・・ それが、諦めるということだったのかもしれない。 昴の『特別』を諦めることで、自分の本心を隠していた・・・ 「俺は・・彩葉さんの存在を知ってから、昴の・・恋人でいることが怖くなった」 明は消え入りそうなくらい小さな声で話し始めた。 「自信を持とうって思っても、彩葉さんに敵わないところばかり目について・・・それで昴のためだって自分に言い聞かせて別れを決めた。けど本当は・・昴のせいにして、逃げたんだ」 「・・・」 「友達なら、何もない自分でも昴のそばにいられると思った。彩葉さんには勝てないから・・最初から戦わなければそれで・・一緒にいられるって。そうやって逃げたんだよ、昴から・・」 明はギュッと拳を強く握りしめる。 「明・・」 昴は明に近づきそっと肩に手を伸ばそうとした。 しかしそれよりも早く、昴の手が明の肩に触れるよりも前に明が昴の体目掛けて飛び込んだ。 「・・!?」 昴は全身で明の勢いを受け止め目を見開く。 「め、明・・?」 「・・・ごめん、昴・・ごめん・・」 明は両腕を昴の腰に回すと強く抱きしめて言った。 「俺は・・・本当は、昴と離れたくなかった・・俺だけの昴で、いてほしかった・・」 「・・・え」 その言葉と共に、涙が一粒流れる。 ずっと、堪えていたものが溢れてしまったようだ。 抱きついた腕に一層の力を込めて明は続けた。 「昴に・・運命の人がいても、俺だけの昴でいてほしかった・・俺以外に特別な人を作らないで・・特別な顔しないでって・・心の中で思ってたんだ」 そう・・ ただ、悔しかったのだ。 昴に自分以外の『特別』な存在がいることが。 どんなに好きだと言ってくれても、決められた『特別』な存在がいるくせにと・・ 悔しくて悲しくて、そして嫉妬していた。 自分にこんな気持ちがあることを認めたくなくて、昴との特別な関係を諦めることで考えないようにしていた。 「・・ずっと、平気なふりをしてただけで・・心の奥底では嫉妬でグチャグチャだった。俺の昴への気持ちは全然綺麗じゃない。理想の恋愛関係と程遠いのは、俺自身だ・・」 明は昴の胸に顔を埋める。こんな自分が恥ずかしくて、顔を見られたくない。 「・・・なら、俺と明は一緒だから大丈夫だね」 「・・え」 穏やかな昴の声が上から降りてきたと同時に、ポンポンと背中を優しく撫でられた。 明は埋めていた顔をゆっくりと離して視線を上に向ける。 すると嬉しそうに顔を綻ばせる昴と視線が重なった。 「俺の気持ちの方が明を押し潰しちゃいそうなくらい重くて醜いけど・・でも、明がそんな風に思ってくれてたなんて・・俺嬉しくて・・」 昴は笑みを抑えるように片手を口に当てた。けれど蕩けるような瞳が漏れる喜びを表している。 しかしそんな昴とは裏腹に明は気まずそうに眉を顰めた。 「でも・・俺はこんなこと考える自分が嫌だよ。彩葉さんは何も悪くないのに・・彩葉さんの存在を疎く思っているみたいで・・こんな自分が恋愛とかしていいのかって・・」 「だったら・・やっぱり俺しかいないよ。俺も、明の周りのもの全てを妬んで羨むような人間だから。こんな俺が、まともな恋愛できるわけない。ね・・?俺達はお互いしかいないんだよ」 昴は頬を紅潮させながら強い口調で言った。 自分は最低だと落ち込んでいるはずなのに、昴の興奮した勢いに押され明は思わず口角をあげて微笑んだ。 「・・へへ・・・そう、なのかな」 「うん、だから・・他の人のことは見ないで。俺には明だけしかいないし、明には俺だけしかいないって。そう信じて」 「・・・ぅん」 喉の奥が詰まって返事の声が掠れる。 昴の懇願にも似たその言葉が迷いの靄を振り払っていくようだ。 「・・明」 昴は明の名前を呼ぶとそっと明の頬に触れた。 それからくいっと明の顎を上げ自身の顔を近づける。 数ヶ月ぶりの懐かしいその仕草にドクンと胸が弾んだ。 しかしハッと目を見開くと、明は慌てて昴の口を両手で覆い口づけを阻止した。 「・・え、明?」 昴はショックと戸惑いの表情を浮かべる。 「あっ・・あの、キ、キスが嫌とかじゃないんだ」 明は取り繕うように慌てて明るい声で言った。 「でも、その・・木岐にちゃんと返事をする前に、昴と何事もなかったかのように戻っちゃうのはダメかなって・・だから、えっと・・木岐とちゃんと話してから、この続きは・・いい?」 「・・・」 明の言葉を聞いて、昴の瞳が揺れた。 「そんなに・・明の中で木岐君の存在は、大きいの?」 眉尻を下げながら不安げな表情で昴は聞いた。 明はおずおずと小さく頷く。 「・・う、うん。木岐には・・たくさん元気づけてもらったから。木岐との関係を、自分本位な形で終わらせたくない」 「・・・」 「ご、ごめん。昴のことまた不安にさせるようなこと言ってるよね。でも、うまく言えないんだけど・・昴とは違う、木岐となりたい関係があるんだ。それをちゃんと木岐と話したい」 「・・・わかった」 耳を澄ませないと聞こえないくらい小さいな声で昴が言った。 「でも、話したら・・連絡して。俺のところに、戻ってきて」 「うん、大丈夫。絶対昴のところに戻るよ」 明は明るい笑顔を昴に向ける。 それを見て少し安心したのか、昴はやっと薄く微笑んだ。 本当のことを言えば、まだ心が晴れたわけではない。 昴の運命は変えられないし、なかったことにできるわけでもない。 魂に刻まれたそのものと、どうやって折り合いをつけて過ごしていくのか。 答えはまだ見つけられないけれど・・ 『運命』よりも『想い』を選んでくれたこと。 そんな昴の気持ちを信じて、自分も同じ大きさの想いを返していきたい。

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