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第47話
ケイレンの厚い胸に頭を擦り付けてみる。そのままじっとしていると、トクン、トクンという規則的で穏やかな胸の音が聞こえてきた。
(‥生きてる)
当たり前のことが頭をよぎる。
生きているということは、当たり前のことではない。
転生らしきものをして、そして生きるのに決して優しくはないこの|世界《トワ》に生まれて過ごしてきて、ジュセルはしみじみとそう痛感している。
ヒトは、いつ死ぬかわからないしいつ死んでも不思議ではないのだ。
自分が知らぬ間に薬を盛られてしまったことを考えても、危険はどこにでも転がっていると言える。
耳に響いてくるケイレンのこの拍動も、止まずに聞こえてくることは当たり前ではない、と思えば、するりと言葉が口からこぼれ出た。
「すき」
口に出してしまうと、それが本当の気持ちであるのだと自分にも沁み通っていくようで、次々に言葉が口をついて出た。
「すき、ケイレン、すきだよ」
ケイレンの指を握りしめていた手を離して、両手で必死に大きな身体にしがみついた。厚みのあるがっしりとした身体は抱きごたえがある。ぎゅうっとしがみついているとだんだんその身体の熱までもこちらに移ってきているようで、何とも言えず心地よかった。
だが、ケイレンは何も返してくれなかった。
返事もしてくれないし、抱きしめ返してもくれない。
今までのケイレンの行動からすると考えられない状況に、しばらくケイレンの胸に縋りついていたジュセルは不審に思って下からケイレンの顔を見上げた。
ケイレンの顔に、喜色は見受けられなかった。
ただ、厳しく鋭い表情だけがあった。
ジュセルは、背中に冷水を浴びせられたように硬直した。
ゆっくりとケイレンの身体に回していた腕を引き抜いて、身体を引く。
二人の間に十分な空間ができても、ケイレンは厳しい顔つきのまま、何も言わなかった。ジュセルはいたたまれない気持ちになってきた。
ジュセルは、まだ少しふらつく身体を叱咤しながら寝台から滑り降りてもごもごと呟いた。
「‥‥ごめん‥」
そう言ってよろめきながら衣服のしまってある小部屋の戸を開け、中に引きこもった。ケイレンが出て行ってくれるまでここに籠っていようと思った。
今、あのケイレンの顔を見ていられる自信がなかった。
思いあがっていた五分前の自分自身を、叩きのめしたくて仕方がなかった。
部屋の中を歩く足音が聞こえてくる。ケイレンだろう。じっとうずくまったまま耳をすませていると、足音は少しずつ遠ざかっていった。
ほっとして自分の身体に手を回し膝に頭をくっつけて小さくなった。
じわり、と涙が浮かんできて、そして止まらなくなって。
ジュセルは声もなく、ほろほろと涙を零しながら泣いていた。
ドン!と大きな音がして、アニスは驚いた。どうも外の方から聞こえてきた気がするので、何事か?と窓から外を窺ってみる。
するとそこには、へし折れた木の前に立ち尽くしているケイレンがいた。ふーっふーっと荒い息を吐いて肩を上下させている。
あまりにも不穏なその様子に、アニスは大きな窓から身体を乗り出して声をかけた。
「おーい黒剣、何やってんだ?‥その木へし折ったのお前か?」
アニスに声をかけられて、ケイレンは肩をぴくりと震わせた。しかし返事をすることなくただそこに佇んでいる。
その様子に疑問を抱いたアニスは、もう一度声をかけた。
「‥黒剣?どうかしたのか?ジュセルの調子でも悪かったのか?」
ジュセル、の名前に反応したのか、ケイレンは顔を上げてこちらを見た。顔色が非常に悪く、目ばかりがぎらぎらとしている。
「‥ケイレン?」
「‥ジュセル、の身体は‥多分大丈夫だ」
「あーそうなんだ、よかったな!‥で?どうしたんだよお前」
ケイレンは、ごく当然なアニスからの問いに答えることはせず、またアニスに背を向けた。
「‥ちょっと、出てくる」
唐突なケイレンの言葉に、アニスは驚いた。こういった言動は、ジュセルに会う前のケイレンなら珍しくなかったが、最近のケイレンには見られないものだったからだ。アニスはいぶかしんでもう一度ケイレンに問いかけた。
「おい、黒剣、なんかあったのかい?お前変だよ?」
「何でもない。夕方には戻る。‥飯は要らない」
ケイレンはアニスの顔を見ずにそういうと、そのまま門の方へ走っていってしまった。
残されたアニスは首をひねったが、どうせケイレンの行動の裏にはジュセルが関わっているんだろうと思い、ジュセルが起きてきたら訊いてみようと身体を窓から引っ込めた。
居間でのんびりと弓の手入れをしていると、ぱたぱたと小さな足音がしてジュセルが上から降りてきたのがわかった。厨房に行くには居間の横にある廊下を通らなければならないので、そのまま待っていたのだが、いくら待ってもジュセルの足音が近づいてこない。
アニスは不審に思って弓を置き、開けたままにしてあった扉からひょこっと顔を出して廊下を見渡した。
すると、階段を降り切ったところでジュセルがうずくまっているのが目に入って驚いた。
慌ててジュセルの傍に近づいてみる。
「ジュセル、どうしたんだ?やっぱり身体の調子が悪いのかい?」
心配して声をかけながら、アニスもジュセルの隣の階段に腰かけた。すると、ジュセルが身体を震わせてしゃくりあげていることに気づく。
アニスは、先ほどのケイレンの様子と合わせて、二人の間に何かあったんだろうな、と考えた。しかし、それは自分があまり口を出すべきことではないだろう、と考え、何も言わずにただジュセルの背中をさすってやった。
ジュセルはしばらく声を押し殺しながらしゃくりあげていたが、五分ほども経った頃、膝にうずめていた顔を上げて、袖口でぐいと顔を乱暴に拭った。
「‥ごめん、こんな、ヒトの通るところで‥みっともない姿見せちゃって」
「いいよ、そんなときもあるさ」
ジュセルはまだ少し涙に汚れた顔で、無理やり笑った。
「俺、なんか寝坊しちまってごめん。もう朝飯は食ったんだよな?昼はこれから俺なんか作るから‥えっと何があったかなあ‥」
そう独り言ちながら立ち上がり、厨房へ向かおうとするジュセルの後ろ姿をアニスは見た。そして、ためらった挙句ジュセルに告げた。
「あ~、ジュセル、黒剣はさっき出かけたんだ。飯は要らないって、言ってた」
ぴたり、とジュセルは一度立ち止まった。振り向くことなく、「‥そうか」とだけ返事をして、また歩き出した。
アニスはその後ろ姿をしばらくの間眺めていたが、ジュセルが厨房に入ってしまうとう~んと唸って顎を撫でた。このままだと、あの二人はかなりこじれていきそうな予感がする。かといって自分が口を挟むのは筋違いな気もする。しかし‥、としばらく考えてから、意を決したように厨房に向かった。
ジュセルは食糧庫の中を覗き込んで、何やら食材を取り出している。いくつかの野菜や穀物を手にして作業台の上に載せていっていた。機械的に身体を動かしているジュセルを見つめて、その動きが少し落ち着いてからアニスは声をかけた。
「ジュセル、何かあったのかい?」
ジュセルの動きがぴたりと止まった。台の上に手をついて俯いている。アニスは重ねて言った。
「私じゃああんまり役に立たないかもだけどさ‥話すだけでも気が楽になるかもしれないよ」
台に手をついたまま俯いているジュセルの顔から、ぱたぱたと水滴が零れてきた。やばい、また泣かせちまったとアニスが焦る中、ジュセルはかすれた声で言った。
「ケイレンに、言った、んだ」
「‥うん、何を」
「‥‥‥俺、ケイレンが好きだ、って」
アニスは目を丸くしてジュセルを見つめた。当分、そういった行動はとらなさそうに見えていたのに、どういった心境の変化なのだろう。
しかし、今はジュセルの言葉を聞き取る方が先だ、と思って自分の疑問はのみ込んだ。
「‥それで?黒剣喜んだんじゃないのか?」
ジュセルはぐっと言葉に詰まったような喉声を出した。また、次々と水滴が零れ落ちる。
「‥‥すごく‥怖い、顔、してた」
「‥‥‥はあ?」
「何にも‥‥言って、くれなかった、んだ」
かすれる声で一生懸命話すジュセルがいじらしく、かわいそうに想えた。
(‥‥あんのクサレ野郎、何をひよってやがんだよ‥)
ジュセルへの気持ちの反動で、アニスは心の中でケイレンに向かい毒づいた。
☆昨夜からほとんどフジョッシーにアクセスできず、更新できないかとヒヤヒヤしました。問い合わせにも繋がらず、もう無理か…と思ったら今日の昼前、ギリギリで繋がりました。
また同じようなことが起こって、なんで?と思われた方、天知かないでthreadsやってますのでそちらでチェックしていただけると助かります…
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