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第55話

翌日になってもやはりジュセルの筋肉痛はよくなっておらず、立って歩くのもやっと、というありさまで、我ながら情けなく思って深いため息をついた。今日は請負人協会(カッスラーレ)に赴くはずだったが、こんな調子では自分の足でたどり着けるかも怪しい。どうしようか、と悩んでいるとケイレンが 「じゃあ俺の馬でいけばいいよ。馬に乗るのなら大丈夫だろ?」 と言ってきた。街の中で個人所有の馬に乗るのは、実はお金がかかる。最初に出会った市中警備隊員に、市中走行料を支払わねばならないのだ。それはまあまあの金額であることもジュセルは知っていた。またお金かかっちまうな‥と考えたジュセルの胸のうちを読んだのか、ケイレンがひょいっとジュセルを抱えあげた。 「うわ、え、ちょっ」 「馬が嫌ならこうやってずっと俺が抱えていくけど。どっちがいい?」 人前でこんな姿を晒すのはどうにも耐えられない。思わずジュセルは言った。 「う、馬でいい!」 十分後、馬でいいと言った自分をジュセルは呪った。今世も前世も馬に乗ったことはなかった。しかもこの世界の馬は六本足で、相当にごつい身体つきをしている。その分、鞍の上は安定している‥が!六本足で走られると揺れが半端ない!そしてその振動に合わせて身体は揺さぶられ、落ちないようにしっかり掴まっているのかなり体力を使った。 結果として、請負人協会(カッスラーレ)に着いた頃にはジュセルの身体はより一層の筋肉痛に襲われ、もう一人では立つこともままならないほどだった。 「な‥なんか‥ごめん‥ジュセル、大丈夫‥じゃないよな‥?」 「うん‥まあ、仕方ないよ‥」 一人で立てないジュセルは仕方なくケイレンに負ぶってもらっている。最初はいわゆるお姫様抱っこで運ばれそうになったのだが、それだけは恥ずかしいからやめてくれ、と頼み込んでおんぶスタイルに落ちついたのだった。 ケイレンはジュセルを負ぶったまま、建物の奥に進み解析師の部屋に向かった。中に入れば意外に広い請負人協会(カッスラーレ)の建物は、廊下が長いうえに曲がりくねっていて、よほど中に精通した人物でなければ目的の部屋まで辿り着くことが難しい造りになっている。 これは、ここで働いている非戦闘職の職員を守るため、そして預かっている様々な秘密や製法(レシピ)が流出するのを防ぐための仕様である。まだ四、五回ほどしかここを訪れたことのないジュセルはそれを知らず、背中から廊下とそこに並ぶ扉の数々を眺めて(一人だけじゃ帰り道もわからなさそうだな‥)などと考えていた。 建物の中に入ってから五分近く経ってようやく目的の部屋に辿り着いた。その扉を含めた周辺には、今まで嗅いだことのないような独特の匂いが漂っていたし、何やらガタガタと物音がひっきりなしに聞こえてきたりしている。 この辺りが解析師の研究室なのかな、と思いながら辺りをきょろきょろと眺めまわしていると、ケイレンが扉を叩く前にバン!と勢いよく開いた。 目の前にはちらっとしか見たことのなかったスルジャが興奮に顔を赤くして立っていた。鮮やかな色の波打つ赤髪に豊かな胸や尻、すらりとした手足は解析師のゆったりした制服の上からでも目立っている。 「ジュセル?ジュセルだよね?あ~ありがと来てくれて!待ってたよ〜ほらこっちこっち!‥‥って、なんで黒剣に負ぶわれてんの?」 怪訝な顔をするスルジャに、ジュセルは恥ずかしさに顔を伏せた。‥筋肉痛、という言葉はどうもこの世界にはないようでケイレンにもアニスにも通じなかった。仕方なく理由は伏せて、今全身が痛いのだ、ともごもご説明をしておいた。 するとスルジャが細い眉をキュッと寄せて顔を顰め、ぎろりとケイレンを睨んだ。 「‥‥まさかまだ成人したての子に無体なことをしかけたんじゃないだろうね黒剣‥?」 「してない!」 「ちっ、違います!」 全力でぶんぶんと首を横に振る二人を見て、ようやくスルジャはその表情を緩め、部屋の中に招き入れてくれた。 スルジャの机の前にはすでに椅子が二脚用意されていた。柔らかな座面がついている方にケイレンはゆっくりとジュセルを下ろしてやった。その優しさが嬉しくて、またジュセルは頬を赤く染めて礼を言った。 そんな二人の様子を見ながら、スルジャは聞こえよがしに大きなため息をついた。 「何だよもう出来上がってんじゃん‥ジュセルに会えたらあたしも恋人に立候補しようかと思ってたのに」 ぎょっとしてスルジャを見つめるジュセルを大きな腕でかばいながら、ケイレンは鋭くスルジャを睨んだ。 「‥何言ってるんだスルジャ。‥‥どういうつもりだ?」 しかしそんなケイレンの態度をものともせず、スルジャはからからと笑い飛ばした。 「だってこんな才能のヒトなんてそうそう会わないし、黒剣のこと好きでもないならちょっと唾つけとこ♡とか思うじゃん!まあ、出来上がってんならいいよ、ヒトのもんには興味ないし」 バッサリと言い切ってから、さっそくジュセルの目の前にいくつかの小瓶を並べ始めた。よく見てみれば、その中身は今までジュセルがお茶に使ったものばかりである。 「黒剣が持ってきたお茶の成分に使われてたものなんだけど、この辺で大体合ってる?」 ジュセルがケイレンに託したお茶は三種類。胃もたれ解消用、気分を晴れさせる用、身体の熱を少し冷ます用の三つだ。それぞれ、腹痛に効く薬草、気分がすっきりしそうなミント系の匂いがする植物、熱さましの効果のある薬草などを主に材料に使っている。 どの薬草も植物も取り立てて珍しいものではなく、一般の薬茶屋、薬局でも取り扱いのあるものだった。 幾つかないものもあったが、とりあえずジュセルは頷いた。 「そうですね、大体ここにあるものと同じです。いくつかないものもありますが‥」 「えっ、何がないの!?教えて!」 「え~と‥」 言われてジュセルも困った。貯金をはたいて薬草図鑑を買ったお陰で薬草の名前なら言えるのだが、いわゆるジュセルが足で稼いだ「名もなき植物」のことはどう説明していいかわからなかった。 「えっと‥名前を知らない植物がほとんどなんですよね‥どう説明したらいいでしょうか‥」 そう言って首をひねっているジュセルを見たスルジャは、一度部屋の奥に引っ込むと分厚い本を三冊ほど持って戻ってきた。どさり、と机の上に置いてにこっと笑う。 「この中から見つかるかな?色とか形とか言ってくれればあたしも手伝うから」 分厚い図鑑を見ながらひいいと心の中で悲鳴を上げていると、スルジャがちらりとケイレンを見た。 「あんたここですることないよ。下に行ってれば?口座係に用があんでしょ」 口座係、と聞いてジュセルもぱっとケイレンを見た。‥おそらくグーラに支払う金だ。金額が大きいから口座係に用意してもらったのに違いない。 ジュセルは思わず椅子から腰を浮かせた。 「俺も、」 「わかった、行ってくる。ジュセルを頼む」 腰を浮かせかけたジュセルの肩をぐいっと押して再び座らせると、ケイレンはそう言って席を立った。そしてすぐさま部屋を出て行ってしまった。 「あ‥」 出て行かれてしまっては、ジュセルは後を追いかけることはできない。俯いて分厚い図鑑に目をやっていると、スルジャがコツコツと机を叩いた。 「ジュセルは今できることをすればいいよ!うまくいけば、このお茶、請負人協会(カッスラーレ)丸抱えの買い上げになるかもしれないし」 「えっ!?」 驚いてスルジャの目を見つめるジュセルに、スルジャの方が驚いた。 「へ?黒剣に聞いてないの?その話も一緒にしてたんだけど」 「聞いてないです‥」 正直、昨日はそれどころではなかった気がするので、ケイレンを責める気にはなれなかった。スルジャは訳知り顔ににやりと笑うと、机越しにぽんぽんとジュセルの肩を叩いた。 「お金は幾らあっても困らないからねえ~はい、あたしと一緒に製法(レシピ)解明しようねえ~♡」 スルジャの含みのある笑顔と目の前に詰まれた分厚い図鑑とを見比べながら、ジュセルは「は、あはは‥」と乾いた笑い声をあげた。

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