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第61話
「‥‥副頭ヨキナ。裏請負 の約定を守らずにこのグーラに喧嘩を売りたいならいつでも買うよ。‥殺り合うかい?」
腹の底に響くような、重く低いグーラの声は、静まり返った空間にいるすべてのヒトの耳に聞こえた。
あの、グーラが本気で怒っている。
そのことに気づいた人々は一様にぶるりと身体を震わせた。
押さえ込まれたヨキナは、声も出せずにグーラの身体の下で呻いている。そのヨキナの鼻先に、依頼受領書‥今では不履行証明書となったその紙を差しつけた。
「ほら、ここに署名をお願いするよ。‥共金貨二十枚、あっただろ?」
後半の言葉は受付係に向かって発された。受付係は震えながらぶんぶんと首を縦に振って応える。グーラはヨキナの首元を押さえながらその身体を引き起こした。そのままカウンターに押しつけてペンを握らせる。
ぐい、と身体を押しつけられ、催促されたヨキナは仕方なく不履行書に署名をした。下になっていた控えをむしり取るとグーラはそれを鞄に収め、ヨキナから手を離した。
ようやく呼吸が自由になったヨキナがゲホゲホッと咳き込んでいるのも、知らぬ顔でグーラは言った。
「これで不履行は成立だ。まあ私の顔も当分は見たくないだろうからこのイェライシェンからは身を引いてやるよ。じゃあな、ヨキナ」
そう言い終わるとゆったりとした足取りでグーラは建物を出て行った。
あとには、痛いほどの沈黙がその空間を支配していた。
バタン、と扉が閉まった音が妙に響いたあと、ヨキナが渾身の力でダアン!とカウンターを殴りつけた。
建物を出たグーラは、これからどこに向かおうか、と少し思案した。大事な荷物は全て持っているし、金も輝石に替えて身につけている。他の口座にもまだあるし金銭的に困りはしない。
サッカン十二部族国はそれぞれの部族長間などでの政争があり、裏請負 が暗躍できる余地が数多 あるが、隣国カルカロア王国では二十年前に国王に選抜されたアーセル王の治世になって随分落ち着いているらしく、仕事の口はそこまで見込めないだろう。
一方、南に面したルビニ公国では、確かまだ次代の大公が決まっておらず、少なくない公子がそれぞれ牽制し合っているという話だった。
「ルビニまで足を延ばすか‥温かい土地に行くのは久しぶりだしな」
そう独り言ちながら左手をゆっくりと隠しに滑らせた。
隠しに入れていた投擲刺剣を手のひらに隠すように持ち、後ろに近づいてきていたヒトの方へ振り向きざま喉笛にそれを当て、ぐるりと身体を後ろに回してその人物の腕をも左手で押さえ込んだ。
そして、違和感を持った。
これは、誰だ?
少なくとも”裏”界隈のヒトではないことは確かだ。喉元に投擲刺剣を突きつけられ両腕を押さえ込まれた状態で、ただ身体を震わせるばかりのような”裏”のものはいない。
「‥お前は誰だ?誰に頼まれてこのグーラを狙ったんだい?」
すると身柄を押さえられているそのレイリキシャはなぜかほっと息を吐いて、首を捩じって後ろを振り向きグーラの目を見た。身体の震えは止まっていなかったが、このレイリキシャが全くグーラを恐れていないことがその目の様子で知れた。
「‥よかった、やはりあなたがグーラさんでしたか‥」
「お前は、何者なんだ?」
繰り返されるグーラの問いに、レイリキシャは身体の力を抜いて薄く笑った。
「‥私は‥ライジと申します。裁縫師をやっている者です」
グーラは、その思わぬ素性に驚き、レイリキシャの腕を離した。言われてみれば、どう見ても”裏”とは関わりのなさそうな堅気のヒトだ。
ライジと名乗ったレイリキシャはグーラの正面に立ち、頭を下げた。
「ぶしつけで申し訳ない。‥あなたに、お願いがあってここで待っていました」
グーラは小首をかしげてどういう状況だ?と訝しんだ。が、このレイリキシャの何らかの決意が込められた目を見れば、無下に扱って無視する気にもなれなかった。
「‥とりあえず、あんたの話だけは聞こうか」
そのグーラの言葉を聞いて、、レイリキシャ‥ライジは泣きそうな顔をして、微笑んだ。
「はあ‥じゃあ、明日からはまた新しい裏請負 がジュセルを殺しに来るかもしれないってことか‥」
そう言ってヤーレは天を仰いだ。
ヤーレは、自分の仕事が終わったついでに、ケイレンの屋敷に寄ってくれたのだった。そして昨夜、グーラとの間に交わされた会話の内容を聞いて嘆息していたのだ。
ヤーレの言葉を受けて、ケイレンも眉を寄せた。
「グーラは、今自分以上の腕利きはいないはずだって言ってたが、いつどうやって他所から裏請負 を連れてくるかもわからないからな‥油断はできない」
「そりゃあそうだな」
ヤーレはケイレンの言葉に素直に頷いた、請負人協会 の副会長なんて仕事をしていれば、望むと望まざるとに関わらず裏社会の事情にも詳しくなってくる。サッカン十二部族国では、各部族内でも部族間でも政争が絶えず、”裏”も|請負人協会《カッスラーレ》も、そこに巻き込まれることが多々あるのである。
その分「仕事」もたくさんあるといえるが。
「肝心のジュセルの様子はどうだ?落ち込んだりしてないか?」
そう問われて、ケイレンは思わずへらりと顔をほころばせた。ヤーレは不審に思って、その顔をまじまじと見つめた。
「‥‥何だお前、気色悪いな。こないだあんだけ落ち込んでたくせに何だよ。お前の情緒が落ち着かなくて怖えよ」
「‥ジュセルが」
「ジュセルが、なんだよ」
くふふふとケイレンが気持ちの悪い笑い声を立てた。ヤーレは思わず座っている身体を引いた。
「‥‥きっしょいなお前‥」
「ジュセルが、俺のこと、好きだって、言ってくれたんだ!」
そう言うとケイレンは両手で顔を覆ってバタバタと足踏みをした。ヤーレはぽかんとしてその様子を眺めた。今までこんな珍妙なケイレンの姿を見たことがなかったヤーレは、何度も目を擦ってみた。
しかし、『黒剣』と異名をとる腕利きの退異師兼請負人 であるこのヒトは、どうみてもえへらえへらとだらしなく顔を緩ませて何やら喜びを表現している。
「‥‥‥きめえなお前‥とりあえず何か‥まあ、よかったな‥」
「ありがとう!うん、よかった!」
元気に返事をして、また両手で顔を覆ってぐへへへと笑っているケイレンの肩を、ヤーレは知らず知らずのうちにドンとどついていた。
「お前あの落ち込みようを見て、真面目に助言したあの時の俺の心を返せ」
「いや、ヤーレには感謝してる!ありがとう」
そう言って、ようやくケイレンは緩み切った顔を少し引き締めた。
「‥ただ、ジュセルの命が危ない事態に変わりはない。無論警備を怠るつもりはないが‥この事態をどうにか打破しなければならないと思う」
ヤーレはウームと唸って顎に手をやりながらぐらりと椅子の前の方を浮かせた。そして足を揺らしながら椅子をゆらゆらと前後させる。
「‥少し、搦め手に出てみるか」
真顔でそういうヤーレに、ケイレンは胡乱気な顔をした。
「搦め手?」
ヤーレはがたん、と椅子をきちんと床に下ろし、机に腕をついた。ケイレンの方をじっと見る。
「‥‥正直、ハリスはまだカラッセ族の次期族長だと決まったわけじゃねえ。カラッセ族はハリスの家が有力ではあるが、他にも後継者候補はいる。っていうか、いた。‥まあハリスがいろいろと画策したせいでその候補は一族から離れたところで暮らすことを選んだようだが‥」
ヤーレは、まっすぐにケイレンの顔を見た。あまり見ることのない、ヤーレの真剣な顔だ。
「ハリスはやり過ぎる。部族長の中でもあいつを危険視している部族は少なくない。次期族長にあいつの権力が入ることは、国のためにもならないと、俺も思ってる」
随分と話の規模が大きくなってきて、自分たちの問題から離れてきているような気がしてきたケイレンは、ただヤーレの視線を受け止めて見つめ返していた。
ヤーレはふっと笑った。
「一度舞台を降りたヒトを、もう一度舞台に引っ張り上げてやろうかと思うんだ。‥お前も手を貸せ」
***
また設定ミスってしまい遅れまして‥すみません
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