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第63話
「‥‥その、ジュセルとかいう子どもの命を守るために‥俺にまた、族長候補になれ、と言うのか」
ザイダは苦くそう言って拳を握りしめた。ヤーレは柔らかく答えた。
「それだけじゃねえ。ハリスが族長になって族長会議の中で権力を握るのは、この国にとってもよくねえと俺は考えている。これは俺だけの考えでもねえけどな」
そう言いながら「もらうぜ」とヤーレは勝手に急須を取って自分の茶器に注いだ。すでに茶はもうぬるくなってしまっている。
「‥お前以外で俺を推したいと思っているやつなんかいるのか」
ヤーレはにいっと笑った。
「ああ。俺の話に乗ってくれるなら、そいつらの名前も教える」
ザイダはふいとヤーレから顔を逸らして窓の外を見た。そろそろ午後の患者が来てもおかしくない時間帯だ。これ以上の話をするには時間がない。
「お前は今日、イェライシェンに帰るのか?」
ヤーレは茶器を豪快に呷って飲み干してから言った。
「‥時間的な余裕はある。夜にでも時間を作ってくれるか?」
その時、扉が叩かれヒトの声がした。
「先生!またやられた、頼む!」
ザイダは立ち上がってヤーレを見た。‥ここまでの様子を見れば、このレイリキシャがある程度の信頼には足るヒトだということはわかる。
「‥じゃあ、午後の診療を手伝え。全部の患者が終わったら、話をしよう」
ヤーレは目を丸くした。
「‥俺はしがないレイリキシャだぞ?役に立つかねえ」
「患者の身体を運ぶくらいできるだろ。ほら、扉を開けて中に入れてやれ」
ザイダにそういわれたヤーレは「マジかあ‥」と言いながらもすぐさま立ち上がって扉を開け、患者に腕を貸して中に運び込んだ。ザイダはそれを見て喉奥で笑った。
結局すっかり日が落ちるまで患者が絶えることはなく、最後の患者が帰った頃にはザイダもヤーレもくたくたに疲れていた。
ヤーレは流れ落ちる汗を布で拭いながらはあっと息を吐いた。
「いやこれもっと医者いるだろ‥医師連会に申請出せよ‥」
「出したってこんな辺縁に来る医者はいねえんだよ。俺の前にいた医者は、165歳だったんだからな?俺が来たからようやく引退できたって泣いてたんだぜ」
編み上げた白髪をほどいて頭もごしごし拭きながら、ヤーレはその言葉に返事をした。
「そんなら請負人協会 に依頼出せよ‥俺達はヒト探しも得意なんだぞ」
ヤーレの言葉に、今度はザイダが目を瞠る番だった。
「医師連会に頼むより、請負人協会 に依頼した方が早いなんてことあるのか?」
台所から汲んできた水をごくごくと飲みながらヤーレは答えた。
「やっぱりあんたも育ちのいいとこのヒトなんだなあ‥金さえ払えば、世の中のことはたいてい解決できるもんだぜ」
そう言ってばちりと片目を閉じてみせたヤーレに対し、ザイダは嫌そうに眉を顰めた。
「‥そういう考え方は、好きじゃねえな」
あはは、とヤーレは大声で笑った。
「そういう考えで助かるやつらだっているんだ。‥物事には一面だけでなく色々な側面がある。同じものであっても見る場所によって見えるものは違ってくる。そういうことも含んでおいた方がいいぜ、先生」
ザイダは俯いた。‥そういうものの考え方をしていれば、五年前自分は打ちのめされずに済んだのだろうか。婚約者のあんな状態を見ずに済んだのだろうか。
黙り込んだザイダを見て、ヤーレはそのまま台所で湯を沸かし始めた。
「コモ麺あっためるぞ。食わなきゃやってらんねえな」
「‥ああ」
ザイダも手伝うために立ち上がった。このヤーレというレイリキシャは不思議な雰囲気を持っている。厳しそうな顔をしているくせに物腰は柔らかで、警戒心を持たせない。すっかり自分の家の中に自然におさまっているヤーレの姿を見ていると、それを受け入れた自分がおかしく思えてきてザイダは小さく笑った。
ハリスは、ザイダが四歳の時に生まれた子どもだ。ザイダの親 の上子 の子どもとして生まれた。
ハリスの親 である族長には、その前にも十五歳になる子どもがいたのだが、予期せぬ異生物の発生に巻き込まれ幼くして亡くなった。その後にようやく子果を授かり実ったのがハリスだったのだ。
それまで、次期カラッセ族族長は、ザイダにするかということでカラッセ族内では意見がまとまりつつあった。が、思いがけぬハリスの誕生によってカラッセ族内でも意見が割れた。ザイダが高能力者 であることは周知の事実だった。マリキシャの高能力者 はたいてい医師か退異師になる。どちらも政治的にはありがたい職業だ。
しかし、シンリキシャであるとはいえ現族長の一子であることを重要視するものも出てきて、ハリスを推す声も大きくなってくる。
まだ子どもたちが幼いうちからカラッセ族内は荒れていた。
子どもたちが長じるにつれ、争いは顕在化していった。ハリスが腕輪着用を求められるほどの高能力者 であることが知れればもっとそれは熾烈なものとなった。
ザイダ自身は特に族長に対する野心はなかった。だが、幼い時から婚約者として横にいたキリキシャは、ザイダが族長になることを強く望んでいた。
だからザイダは婚約者のために、望まれるままに振る舞っていた。成人を迎えるとハリスを支持する者たちによって命を狙われることが多くなり、身の安全を確保するのに必死な毎日が続いた。当初、ザイダはハリスも周囲の大人たちに巻き込まれているのだろうと考えていたのだが、命を狙われるようになったのはハリス自身が指示し出してからだ、というのを知ってぞっとしたものだった。
命を狙われる日々が続いていた、五年前。
ハリスはとうとう裏請負会 に手を回し、ザイダの親 と下子 の命をたてにとり、族長辞退届を出さぬなら親 と下子 を殺す、と脅してきたのだ。
しかも一番下の年若い下子 である当時十八歳のカシャラはさらわれ、裏請負会 にその身柄を押さえられている状態だった。
ザイダはその要求をのんだ。
下子 のカシャラが帰ってきたその夜、ザイダの婚約者は性交幻覚剤 を持ってハリスの元を訪ね、自分を婚約者にしてくれと頼んだそうだ。
自分がなりたいのは、族長の伴侶である、と言って。
ハリスはその願いを聞き入れ、その日のうちにザイダの婚約者はハリスに肌を預けた。
そして、翌日にはハリスに捨てられた。
「こんな信用できないヒトを、本当に婚約者になんかすると思いますか?」
とハリスに鼻で嗤われたらしい。どこへなりと行け、と言われた元婚約者はその日のうちに姿を消して、今も行方は杳として知れない。
ザイダは、自分さえもっとしっかりしていれば、元婚約者が傷つくことはなかったのだ、と思った。激しい恋情を持った相手ではなかったが、幼い頃から仲良くしていた元婚約者のことを、ザイダは大切に思っていた。
だが、元婚約者を守れなかったこと、族長になるということの真の意味をきちんと理解していなかった自分の甘さ、周囲の政争を繰り返す同族たちなどにいい加減嫌気がさした。
二度と政治にはかかわりたくないと思った。
もう一族には関わらないと親 に告げて、一族が住んでいる区域から出てここにやって来たのだった。
過去の話を一通りし終わり酒を飲んだザイダを見て、ヤーレは訳知り顔にうんうんと頷いた。
「‥まあ、俺が聞いてる話と概ね一緒だな」
そう言ったヤーレにじろりと視線をくれながら、ザイダはまた酒をカップに注いで言った。
「俺の話はそんなに外に出回ってるのか‥面白くもねえ」
そう言って乱暴に酒を呷るザイダにヤーレは苦笑した。
「俺はまあ、立場上色々な話も耳に入ってくるからなあ」
そう聞いて、そういえばこのレイリキシャは請負人協会 の副会長であったことを、今さらながらに思い出した。
カップをカンと音を立てて机に置き、身体を粗末な椅子に投げ出すようにして座ったザイダは天を仰いだ。
「だから、俺はもう政治にはかかわりたくねえのさ」
そう天井に向かって呟いたザイダを、ヤーレは真剣なまなざしでじっと見た。視線を感じてヤーレの方に顔を向けてきたザイダに、静かに言葉をかける。
「‥あんたがそう思う気持ちは、わかるとは言わねえが想像ができる。無力感に苛まれると、ヒトはやる気ってのをどっかに落としてきちまうからな‥だが」
ヤーレはそこまで言って一度言葉を切った。どう話そうかと逡巡しているように見える。そんなヤーレの姿を見て、ザイダは姿勢を正した。
「何だ、言えよ」
ザイダに促され、ヤーレはごくりと喉を鳴らしてから言葉を続けた。
「‥‥あんたの元婚約者‥キリキシャのハーナだが‥」
「見つかった、のか?」
思わず身を乗り出してヤーレを食い入るように見つめる。ヤーレはふっと視線をそらし、少し俯きながら言った。
「‥‥先月、亡くなったらしい」
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