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第64話

ザイダは呆然としてヤーレの顔を見つめた。ヤーレは視線を逸らしたまま、淡々と続けた。 「‥色々調べたが、どうもルビニ公国との国境にある街で‥その、花街で働いていたらしい。もともと身体の調子がよくなかったらしいんだが、この半年寝付くことが多くなっていたようだ。カラッセ族の(シンシャ)にようやく連絡が来た頃には、もう、弱っていて‥」 ヤーレの言葉が、どこか遠くに聞こえる。子どものころ、「私は立派な族長の伴侶になれるよう、頑張ります!」と、小さな拳を作っていたハーナの姿が頭の隅に浮かんだ。深く愛していたヒトというわけではなかったが、幼い頃から親しくしていた、大切なヒトだった。 言葉が出ないザイダに、ヤーレは言葉を続ける。 「今回、あんたにお願いをしたいというのは、ハーナさんの(シンシャ)からの頼みでもある。‥ハリスのやり方は色々と悪辣だし、カラッセ族の中でも反発する者が出てき始めている。ただ、ハリスはイェライシェンの裏請負会(ダスーロ)とのつながりが強い。皆そこに怖気づいていたようだが‥ハーナの(シンシャ)はハーナが死んだことで、怒り心頭に達したらしい」 そこまで言ってヤーレは言葉を切った。ザイダは膝の上で拳を固く握り、小刻みに身体を震わせていた。 ‥あのヒト。あのシンリキシャ。‥心理相談所、などといって訪れたヒトの話を聞きながら弱みを握っているという酷い話を聞いたこともあった。医療に関わるものとして許せないと思ったこともあった。 だが、自分は五年前、全てを投げ捨てて一人で、ここに逃げてきた。ハーナの行方を積極的に探すことも、しなかった。 ぽたり、と膝の上に涙が落ちた。 ヤーレは黙っている。 しばらく時が経った後、ヤーレは静かに立ち上がった。 「帰るよ。今なら最終の機工車に間に合うからな」 そのまま扉の方へ向かおうとするヤーレの後ろ姿に、ザイダは思わず声をかけた。 「‥このまま、俺から何も言質を取らずに帰っていいのか‥?」 ヤーレは振り向いて笑った。ふわりとした、優しい笑い方だった。 「気になるなら、俺に連絡をくれ。イェライシェンの請負人協会(カッスラーレ)に、手紙でも機工通信でも速信鳥でも何でもいい」 ヤーレはそれだけ言うと扉を開けて出て行ってしまった。 ぱたん、という扉の閉まる音を聞いて、ザイダはまた粗末な椅子の背もたれに身体を預け、天を仰いだ。 グーラがケイレンの屋敷に依頼不履行金を受け取りに来てから、十日余りが過ぎた。 二日前に一人、庭に出ていたジュセルを弓で狙った者が、傍にいたアニスに逆に射倒される、という事件があった。 瀕死のその者に、アニスは容赦なく尋問をして、それが二番目の刺客であることを確認した。その暗殺者はそのまま息を引き取った。 目の前でヒトが死ぬのを見てしまったジュセルはガタガタと震えて怯え、その後丸二日食事もろくに喉を通らない状態になった。 今朝になって、まだぐったりと寝台の上に横になっているジュセルの元に、盆を携えたケイレンがやって来た。ジュセルの部屋の扉は、アニスが器用に修理してくれて今はすっかり元通りになっている。 「ジュセル、起きてるか?‥スープを作ってみたんだが、食べないか‥?」 遠慮がちに恐る恐る声をかけてくれたケイレンに、ジュセルはゆっくりと体を起こした。 「‥ごめん、わざわざ‥ケイレンが作った、のか?」 ケイレンはほとんど料理をしないはずだ。だからこそここに来た時の台所はものすごい状態だった。ジュセルの疑問に、ケイレンは恥ずかしそうに頭をかいた。 「‥ジュセルが食べてくれたら、と思って‥ジュセルの好きなスープ屋のヒトに作り方を聞いて作ってみたんだ」 よく見てみれば。ケイレンの指や腕には小さな切り傷や火傷が無数にできている。それを見ると、ジュセルの目にじわりと涙が滲んだ。 「‥俺のために‥ありがと。食べるよ」 ジュセルがそう言うと、ケイレンは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。寝台横の小机に盆を置き、自分は寝台に腰掛ける。スープの入った椀と匙を持ち、ジュセルの方を向いた。 「ほら、ジュセル口開けて」 「えっ、いや、自分で」 「駄目。口開けて」 真面目な顔をして匙を突き付けてくるケイレンの雰囲気にのまれ、思わずジュセルは小さく口を開いた。すかさずそこに匙が突っ込まれる。口の中に落とされた柔らかな野菜の粒を、舌と口蓋で潰せば優しい旨味が広がった。 「うまい‥」 そう呟いたジュセルの言葉を聞いて、ケイレンの顔が輝いた。 「うまい?よかった!また作るからな。ほら、もっと食べて」 そう言いながら嬉しそうに匙を口元に寄せてくる。餌付けされる鳥の子のように口を開ければすぐに匙が入れられる。その動作を何度か繰り返した後、ジュセルは首を振った。 「もういいよ、お腹一杯」 「そうか‥まだあるから、後でまた食べてくれ」 「うん、ありがとう」 ジュセルはそう言ってケイレンの顔を見てぎこちなく笑った。ケイレンはジュセルの小さな手を取って握りしめた。 「‥‥気分は、どうだ‥?」 「うん、大丈夫。心配かけてごめんな。飯も全然作れなくて‥役に立たなくて申し訳ないよ」 ケイレンは強く首を振った。 「そんなこと考えなくていい。目の前でヒトが死ぬのを初めて見ちまったんだから、衝撃を受けるのはごく当然だよ」 実は、ジュセルが元気をなくしてから、アニスは随分と心を痛めていた。仕方のないことであったとはいえ、ジュセルの目の前で尋問すべきではなかった、と悔やんでいるのだ。あの時ケイレンは別口でやってきていた暗殺者と玄関で対峙していたので、アニスの方へ向かうことができなかった。 ジュセルが寝込んでいる間は自分は顔を出さない方がいいだろう、とアニスは遠慮をしている。あんなに普段陽気なアニスが、この二日間はしおれた様子で口数も少なかった。しかしジュセルはそれを知らない。 ケイレンはジュセルに尋ねた。 「ジュセル、身体の調子はどうだ‥?もう起き上がれるか?」 そう問われたジュセルは顔を赤くして答えた。 「や、別にその、具合が悪かったってわけでもないし‥」 ただ単純に目の前で繰り広げられた荒事に、慣れていないせいで驚いただけなのだ。自分を守ってくれたアニスなのに、怯えるあまりあの時うまく応対ができなかったことをジュセル自身は申し訳なく思っていた。この二日間、アニスに会う機会がなかったので直接詫びをしたいと考えていたのだ。 その思いで、ジュセルは布団をはぐり足を床に下ろして靴を履こうとした。ケイレンがすぐさま跪いてそれを手助けしてくれる。至れり尽くせりのその様子に、ジュセルは苦笑した。 「ケイレン、それくらい自分でできるよ。心配かけちまってごめんな」 ケイレンはジュセルの靴ひもを結んでやりながら真顔で言った。 「ジュセルは全然俺に甘えてくれないから、ジュセルを甘やかす機会があれば俺は逃したくないんだ」 全くもって真剣な顔で言うので、ジュセルは笑うしかなかった。 盆を下げるケイレンについて階下へ降りる。団欒室でアニスが椅子に座っているのが見えて、ジュセルは声をかけた。 「アニス!」 アニスは弾かれたように立ち上がり、こちらを見た。眉を下げてしょんぼりした様子でこちらを見たまま、動かない。不思議に思いながらジュセルは団欒室に入り、アニスの傍まで近づいた。アニスは少し身体を引きながらこちらを見ている。 「‥?どうした?‥アニス、こないだは俺を守って色々してくれたのに、俺うまく応対できなくて‥びびっちゃってたから、ごめんな」

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