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第68話
ケイレンは玄関の外まで出てヤーレとザイダを見送った。アニスもジュセルもいないところで少しヤーレと話したかったのだ。ヤーレもそれを察していたようで、何も言われずとも正門のところで立ち止まり、ケイレンの顔を見た。
「何が言いたい?ケイレン」
「‥色々言いたいことも聞きたいこともあるが‥」
ケイレンはじろりとザイダを見た。ジュセルは素直なたちであるからもうザイダに思うところはないようだったが、ケイレンはまだこのマリキシャをいま一つ信用できていなかった。
「あんたを‥信用していいか、俺にはまだわからない」
心の裡の懸念を正直に述べたケイレンに対し、ザイダは微笑んだ。
「正直でいいことだ。別に今は信用してもらわずとも構わない。俺は俺のやるべきことをやるだけだ。君も、ジュセルをしっかり守ってやれ」
ケイレンは思わずかっとして言い返した。
「お前に言われなくたってそのつもりだ!」
「ならいい。世の中には取り返しのつかないことも多くあるからな。‥言いたいことはそれだけか?」
そう訊いてきたザイダに構わず、今度はヤーレの方に向き直る。ヤーレもそれに気づいてケイレンの顔を見た。
「ヤーレ。アニスは‥大丈夫なのか?アニスが護衛旅の依頼ばかり受けてるのは、そのロザイってやつと関わりたくないからじゃねえのか?それなのに‥」
「確かにその通りだ」
あっさりとヤーレはケイレンの言い分を認めた。驚いて二の句が継げなくなっているケイレンに向かって、ヤーレは言葉を続けた。
「ロザイといずれ接触してほしい、って話は、五年くらい前からアニスには頼んであった。ハリスのこともそうだが‥別口のことでも裏請負会 の副頭がらみでほしい情報があるんだ」
「‥アニスは‥大丈夫なのか?俺は詳しい事情は知らねえが、あまり気乗りがしてるようじゃなかったぞ」
ヤーレは肩をすくめ、大きくため息をついた。そして頭を強くぶんぶんと振ってから答えた。
「それでも、アニスがこの国を捨てるのでなければ‥いつかは向き合わなくちゃならねえ因縁だ。遅いか早いかの違いさ」
「その、遅いか早いか、が重要なんじゃないか?ヤーレ」
それまで黙ってケイレンとヤーレの話を聞いていたザイダが突然そう口を挟んできた。ヤーレは、ゆっくりと顔をザイダの方に向けた。ザイダはヤーレの顔を真正面に受けて続ける。
「おそらくだが、ロザイに会うというのはアニスさんにとって気が向かないことだろう。たとえいずれはやらなくてはいけないことでも、その心構えが今できているかどうかが大きな問題なんじゃないのか」
ヤーレは顔を顰めてぼりぼりと頭をかいた。綺麗に編み上げられていたはずの頭はすっかりぐしゃぐしゃに乱れて、ぴんぴんと髪がはみ出してしまっている。ヤーレは横目でじろりとザイダを睨んでから両手で顔を覆った。
「痛いところ突くなよ‥俺だってアニスには悪いって思ってる。だが、証拠を固めるためにはどうしてもロザイに接触する必要があるし、あの異様に用心深いロザイを引っ張り出すにはアニスに頼むしかないんだ」
「そうか」
ザイダはヤーレに向かって軽く頭を下げた。
「もとはと言えば俺の一族のしでかしたことのために、すまない」
ヤーレをふいとザイダから顔を背けた。
‥‥この素直でヒトのいいマリキシャに対しては、どうにも対応に困るときがある。頑なにヒトを寄せ付けないような部分があるかと思えば、一度信用できると思ったらどこまでも懐を開いて接してくる。こんな人物だから、いいようにハリスにやられてしまったんだな、とこの幾日かでしみじみヤーレは思っていた。
ヤーレが黙っていると、ザイダはもう一度ケイレンの方を向いて頭を下げた。族長の候補に返り咲こうとしているとは思えないほど、腰が低い。
「できるだけ、アニスさんにもジュセルにも迷惑が掛からないように努力する。ヤーレも色々考えてくれているんだ。悪いが今はのみ込んでくれ」
ケイレンは、素直に頭を下げてくるザイダを見て、少しだけ信用してやってもいいか、と思い始めていた。が、気になったことは今のうちに言っておくことにした。
「‥‥何でアニスは『さん』づけで、ジュセルは呼び捨てにするんだ。‥言っとくがジュセルは俺の大事なヒトだからな。横から手を出すなよ」
ザイダはぽかんと口を開けて一瞬、間抜けな顔をしたが、すぐにぶふっと吹き出した。横でヤーレは上を向いたまま顔を片手で覆っている。ケイレンは大真面目だ。
「ぐ、ふふっ、わかった。ケイレンはジュセル‥さんが、心配で愛おしくてたまらないんだな」
「‥そうだ。やっと俺の手に落ちてきてくれたんだ。‥しかも俺のせいで今つらい目に遭わせちまってる。だからこれ以上ないくらい大事にしたいんだ」
ザイダはひとしきり笑ってから、目元を拭って請け合った。
「お前さんの大事な想いビトに手は出さねえよ。俺だってあの子には申し訳ないと思ってるしな」
「‥それなら、いい」
ケイレンはまだやや仏頂面のまま、そう言って頷いた。ザイダはそんなケイレンを眩しそうに見つめて微笑んだ。
「では、またな」
「ケイレン、アニスのことよく見てやっててくれ。‥まああいつも熟練だし、心配することはないかもしれんが‥」
「わかった、注意しておく」
「”裏”関連で新しい情報が入ったらまたすぐに連絡する」
ヤーレはそう言って、ザイダとともに帰っていった。
「アニス‥大丈夫か?やっぱりさっきから顔色が悪いように見えるぞ」
ヤーレたちが帰った後、アニスの顔色が悪いのを見たジュセルは、最後に残っていた自家製のお茶をアニスのために淹れた。たまたま残っていたのはリラックスできる効果を入れた(つもりの)お茶だった。
アニスは礼を言ってからお茶を飲み、目を瞑ってふうと息を吐いた。そのまま、じっとしている。
珍しく何も言わないアニスに、また声をかけていいものかわからず、ジュセルは黙ってクッキーをかじった。これは乳酪 を惜しげもなく使って焼いたものだから、非常にコクがあってうまい。
さく、さく、とジュセルがクッキーをかじる音だけが響く。十分ほど経った頃に、アニスがパッと目を開けてジュセルの方を見た。
「ハア、なんだかもぞもぞするね。‥昔話を聞いてくれるかい?ジュセル」
「え、うん、あの、俺が聞いていいもんなら」
あたふたとクッキーをのみ下しながらそう答えるジュセルを見て、アニスは少し笑った。
「まあ、よくある話なんだけどさ」
そう前置きして語られたアニスの前半生は、ジュセルが想像していたものよりも過酷で悲しいものだった。ジュセルに性交の経験はない。が、それを商売としてやれと言われた場合に、どれほど心がすり減ることだろうかと思えば、胸が痛くなった。
しかも、両親を亡くした直後に訳もわからぬまま親戚を名乗るヒトに騙されたとは。成人したばかりと言えば今の自分と大して差はない頃だ。何とも言えない顔になっているジュセルを見て、アニスは苦く笑う。
「そんな顔しなくていいよ、っても難しいだろうけど‥それでも私はティルガに助けてもらえたからまだ運がよかった方さ。強い薬物‥強制性交幻覚剤 は飲まされずにすんでたしね」
「‥でも、それで辛かったことがチャラになるわけない。アニスは辛かったんだよ。守ってもらいたいときに守ってもらえなかったんだから‥」
ジュセルはそう言ってしゃくりあげ鼻を擦った。その言葉を聞いて、アニスはハッとした。
そうか、確かに、自分は守ってほしかったのだ。だからティルガに助けてもらえた時嬉しかった。ようやく守ってくれるヒトが現れたのだと思って。
しかし、そのティルガもアニスの元から去っていってしまった。
(‥‥私は、守ってくれるヒトが欲しかったのかな)
目の前で必死に涙を隠そうとしながらこっそりしゃくりあげているジュセルを見て、アニスはそう思った。
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