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第86話
朝、少し窮屈な感じがしてジュセルは身じろぎをした。自分に何か巻き付いているようで、重い。ゆっくりと瞼を上げると、目の前にケイレンの美しい寝顔があって驚いた。
(あ、そっか、昨日‥)
昨夜のことを思い出して、顔が熱くなってくるのがわかった。
‥‥いやあれってもうセックスじゃない?た、確かに挿入はしてないけどさ、あんなとこやそんなとこまで触られてイかされて‥
昨夜の自分の痴態を思い出すと恥ずかしくてたまらない。‥しかし、そのお陰でか、久しぶりに昨夜は熟睡できた。何か考える余裕もなかった。
目の前にあるケイレンの顔を見る。と、その時、絡み合っている足に硬いものが触れた。
(‥‥朝勃ち、してんじゃん‥)
昨日は、ケイレンは一度しか達してないはずだ。その後はひたすらジュセルを愛撫して、イかせてくれた。
「‥ありがと」
ジュセルは小さく呟いて、形のいい唇に触れるだけの口づけをした。パチリ、とケイレンの目が開いた。
「うわ」
「ジュセル今の」
「え、あの、うん、」
「も一回」
ぐるりと身体が抱き込まれ両手で頭の後ろを支えられる。そのまま深い口づけが来た。舌が絡みお互いの唾液が絡む。思わずこくりと飲んだそれは、途轍もなく甘かった。
れろっとジュセルの舌先をくすぐってから顔を離したケイレンは、満足そうにこちらを見て笑っている。
「あの、昨夜‥ありがと。よく、寝れた」
「そっか、よかった」
ジュセルは顔を伏せながら、もじもじと言った。
「あの、俺ばっかり、‥よくしてもらってて、ごめん」
「いいんだよそんなこと。ジュセルがちゃんと眠れたんなら、俺も嬉しい」
ケイレンはそう言って、またジュセルの身体をぎゅうっと抱きしめた。そしてさっと体を起こした。
「先に顔洗っていいか?急ぐならジュセルの部屋の洗面所使ってきてもいいぞ。‥扉も繋げたしな」
最後の言葉を付け加えたとき、ケイレンはにやりと笑った。この伴侶用の寝室に繋がるお互いの部屋の扉を巡ってジュセルが怒ったのが、遠い昔のように感じられた。
だが、今は二人、ともに夜を過ごして同じ寝台で朝を迎えられている。また真の意味では身体はつながっていないが、その事実だけでもケイレンはうち震えるような幸せを感じていた。
「あ、じゃあどうせ着替えもするし‥そうしようかな」
ジュセルは赤い顔のままでそう呟くと、そそくさと寝台を降りて自分の部屋に続く扉を開けて入っていった。その後ろ姿を見て、ケイレンはくううっと、身悶えをした。
ジュセルが、伴侶用の寝室から、自分の部屋へと入っていった‥!
その事実が、どうしようもなくケイレンの心を高揚させていた。
ジュセルは慌てて着替えを済ませ、厨房に向かった。いつもより少し遅く起きてしまったので、急いで朝食の準備をしなければならない。窯の火加減を見てパルトを突っ込み、スープにするための材料を細かく切っていく。早く火が通るように全部細かく切ったので、ミネストローネ風にしよう、とトマトに似た野菜(=バンカ)も細かく切って入れた。燻製肉を多めに切って突っ込めば、あとは勝手にスープになる。
それから、最近スルジャが気に入って朝は必ず作ってくれとうるさいので、卵焼きを作る。三人とも高能力者 なせいか、信じられないほどよく食べるので、卵焼きも恐ろしい量を焼かねばならない。大きなフライパンしかないのでそれで作るのだが、それでも三回は焼かないと間に合わないのだ。
日本で扱っていた卵より、二回りほど大きいのがこちらの卵だ。一般的に使われるのは、イロットと呼ばれる鳥の卵である。一回の卵焼きにそれを三個使う。他にホロ鳥という動物の卵もあるが、やや小ぶりで希少なので、イロットの卵を使うことが多い、
大きめのボウルに割り入れると半分ほど埋まる。そこに、卵の殻で水を三杯分ほど加え、塩と砂糖、ヨッコと呼ばれる香辛料を加え、よくかき混ぜる。
「卵、日本と同じ色でよかったよ‥ピンクとか緑の卵だったらちょっと食えなかったかもなあ‥」
と、独り言ちながらカシャカシャと白身を切るように混ぜていく。ジュセルは甘い卵焼きが好きなので、砂糖が多めだ。ここでは砂糖は少し割高なのだが、ケイレンの勧めもありこの家に来てからは遠慮なく使わせてもらっている。
油を引いたフライパンに卵液を落とす。ジュワアッという音とともに広がるそれの形を少し整えながら、くるくると巻き込んでいく。途中油を足しながら卵液を流し入れ、巻き込む作業を繰り返し、焼き上がったものを布を敷いた木笊の上に置く。
時々、スープの鍋をかき混ぜたり、パルトを焼いている窯の火を見たりしながら残りの卵焼きを仕上げていく。
最後の卵焼きを焼き上げた頃、朝の鍛錬を終わらせたアニスとケイレンが食事室に入った音がした。
「お、ちょうどよかったかも」
卵焼きを素早く切り分け、皿に盛る。焼き上がったパルトを窯から取り出し、こちらもスライスしていく。パルトに塗るための乳酪 や、ジュセル手作りのジャムなどの瓶を取り出して、ワゴンに乗せる。
そこにひょいとスルジャが顔を出した。
「いい朝だねジュセル!卵焼き焼いてくれた?」
「お~スルジャ、いい朝だな、焼いたよ~、端っこ食べる?」
「食べる!」
調理台の近くにいるジュセルの傍に飛んできて、あーんと口を開けている。ぽいと卵焼きの端っこを入れてやると嬉しそうに咀嚼している。
「うん、このちょっとかりかりしたところも好きだな~♡」
「じゃあ食事運ぶよ~」
皿やカトラリー、スープの鍋とパルトや卵焼きの盛られた皿、ジャムなどの瓶をのせたワゴンを押して食事室に移動する。予想通り、アニスとケイレンはもう椅子に座って待っていた。
「いい朝だね、ジュセル。昨日はよく寝れたんだって?」
「ぶっ」
思わぬところからの思わぬ言葉に、ジュセルは咳き込んでぎろっとケイレンを睨んだ。ケイレンはジュセルと目を合わさないようにそっぽを向いている。
あいつ、なんで、そんなことまでアニスに‥!ケイレンが寡黙っていう噂、俺全然信じられないんだけど?!
ジュセルとケイレン二人の雰囲気を見て、何か察したらしいアニスはにこっと笑うと立ち上がって配膳を手伝い始めた。スルジャも手伝ってあっという間に終わる。
「どうぞ」
「ありがとう、ジュセル」
ケイレンは小さい声で礼を言ってきたが、ここはあえて無視しておいた。しょも‥としている空気が伝わってくるが、無視、無視だ!
「いただきます」
自分も椅子に掛けてそう言って手を合わせると、他の三人も「イタダキマス」と言って食べ始めた。特に強要したわけでもないのだが、アニスもスルジャも「いただきます」の言葉とその由来を聞いて自分たちも言い始めたのだ。無論、「ごちそうさま」までが一式である。
「う~~~♡卵焼き美味しいよおおお‥ずっとこれ食べたい‥ずっとここに住みたい‥」
「‥それは勘弁してくれ」
ケイレンが嫌そうにそういうのも無視してスルジャはぱくぱくと卵焼きを口に入れる。やはり、作ったものを美味しいと言って食べてもらえるのは嬉しい。ジュセルは思わず笑顔になる。
「本当はだし巻き卵とかも作ってみたいんだけど‥出汁になりそうなものがないんだよな‥」
誰ともなくそう独り言ちたジュセルの言葉を、スルジャは聞き逃さなかった。
「え!?これより美味しいやつあるの!?」
「いや、美味しいかどうかわかんないけど、まあ卵焼きの一種でそういうのがあるんだよ。でも‥昆布や鰹節はないからな‥」
後半は小声でつぶやいたのだが、アニスがそれに反応した。
「何か、足りない調味料があるのかい?どういうものが欲しいんだ?」
問われると説明がしづらい。前にもアニスに、色々知っていることを不審に思われてなぜかと訊かれたことがある。
「‥‥う~ん‥スープのもとになりそうなもの‥?野菜とか肉とかじゃなくて‥魚とかから取れるスープ、みたいな‥」
「魚じゃダメなのか?」
ケイレンが何の気なしにそう言ってくる。とはいえ、イェライシェンはどちらかと言えば内陸の都市だ。新鮮な魚がないわけではないが割高になる。そんなものを出汁を取るためだけに使うのはためらわれた。
「う~ん‥‥出汁を取るためだけに魚を使うのは、ちょっともったいないかなあって思うんだよなあ‥」
そのジュセルの言葉を聞いたスルジャが、卵焼きを綺麗に平らげて顔を上げた。
「ん?ジュセルが欲しいのって、魚の味、だけってこと?身は食べないの?」
「ん~‥まあ、そういうことかな」
するとスルジャが顎に手を当てて頭を少し傾けた。
「え、じゃあ‥海のものじゃないんだけど、カッソの木とかは?」
「カッソの木‥?」
それを聞いたケイレンもアニスも不思議そうな顔をしている。二人とも知らないらしい。スルジャはパルトを取ってたっぷりと乳酪 を塗りながら言った。
「確かにイェライシェンにはあまり生えてない木だけど、ないわけじゃないよ。カッソの木片を煮込むと魚っぽい味が出るんだって。加工した後の木片だけど」
「‥え?本当?イェライシェンでも手に入る?」
スルジャは大きな口を開けてパルトを頬張りながら言う。
「ほうらね、おおひいみへにいへばうってうかも」
「スルジャ、食べ終わってから話しなよ」
アニスが苦笑しながら言えば、スルジャはパルトの塊をごくんとのみこんだ。
「大きな店に行けば売ってると思う!今日にでも買ってきてあげるよ!」
「ありがとう!」
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