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第89話

ヤーレからの「例の薬ができた」という知らせを受けて、ロザイは机に腕をついて考え込んだ。ロザイ自身は高能力者(コウリキシャ)ではないので、その効能を確認することはできない。ロザイは純粋に自分の腕っぷしと頭脳でここまでのしあがってきたヒトなのだ。 そんなロザイであるからこそついていく、という裏稼業の者は多かった。大抵の場合、色々な組織で上の方に立っている者は高能力者(コウリキシャ)であることがほとんどだ。国民の七割から八割が高能力者(コウリキシャ)ではないから、残りの二、三割の人々が様々な組織の幹部、または長として君臨していることになる。能力上仕方のない面もあるが、それも面白く思わない人々がいるのも、また世の常であった。ロザイは、有用なちからを持たない人々の希望でもあったのだ。 あらかじめ、力素回復薬のことは自分の直属の手下何人かに話してある。彼らにその薬を試してもらう心づもりだった。そしてそれが有用なものであるなら、ヤーレの頼みを断るわけにはいかないだろう。それほどに、画期的な薬なのだ。 ロザイも立場上、近隣諸国や船に乗ってやってくる異国のものと話す機会が多々あるが、力素のみを回復する薬などどこであっても聞いたことがない。どんな薬剤も体力を回復することに伴って力素が回復する、という作用しか認められないのが普通だった。 力素を直接相手に供給する方法もあるが、これは供給する方の負担が著しく多いうえ、失う力素の半分ほどしか供給できず効率が悪いので、あまり推奨される方法ではなかった。 この薬剤の話が出たときの高能力者(コウリキシャ)たちの反応から見ても、この薬がこれから世の中にもたらす影響の大きさが知れる。 「さて」 ヤーレからの手紙をくるくると小さく折りたたみ、指先で弄びながらロザイは考え込んだ。 アニス。 どんな手を使ってでも手に入れたい、ロザイにとってアニスはそういう存在だ。 無論、身体だけではなく心も欲しい。 だからこの何十年、あとをつけ回すだけで強硬手段には出なかったのだ。 しかし、久しぶりに見たアニスの顔は、未だロザイに難の気持ちも抱いていないことを示していた。 まだ、アニスの心の中にはティルガの存在が大きいのか。 この何十年の間に、アニスが他のヒトと何人かつきあったのも知っている。つきあい、というよりは体友(タヒト)(=セフレ)に近いその接し方は、アニスの心の中にティルガがいることをロザイに示しているようで、何とも言えぬ気持ちにさせられた。その体友(タヒト)たちはみな、アニスに抱かれたというのがロザイの調べでわかっていた。 アニスが花宿で身体を売っていた時、ロザイはアニスを抱いている。 「自分の意志で抱かれるのは、あいつがいいってか‥」 ぼそりと零れた自分の言葉が、自分のやりきれない心を表しているようでロザイは嫌な気持ちになった。‥どこまで行っても、あの光級請負人(カッスル)の後ろ姿は大きい。 ティルガほどの請負人(カッスル)ともなれば、大陸でも名を轟かす伝説のような人物だ。実力はもちろん、その人物もよくできているとの評判しかない。 この先、裏街道を歩くしかないロザイとは雲泥の差がある。 ロザイはくっと唇を噛みしめると、机の抽斗から速信鳥紙を取り出した。 俺は裏街道を歩くしかない人間だ。欲しいものは、俺のやり方で取りに行くしかねえ。 ロザイはペンを取って、急ぎ気味に手紙を書き始めた。 カッソの出汁を取ってから二日後、ヤーレがケイレンの屋敷にやってきた。一人ではなく、一級|請負人《カッスル》でキリキシャのナジェルも一緒だった。かなり険しい顔をしたまま玄関に現れたヤーレの顔を見て、ケイレンもその表情を厳しくした。 「‥|請負人協会《カッスラーレ》の方を通してきたか‥」 「お察しの通りだ。お前は今すぐ異生物討伐に向かえ。このままだと辺境の地に無理やり長く飛ばされるぞ」 ヤーレは不機嫌そうに手に握りしめたままの手紙をぐいっとケイレンに押しつけた。ずっと握られたままだったと思しき手紙は皺だらけになっている。しかし紙の隅の方に「イェライシェン退異師会長」の正印が見える。 これが見えるということは絶対に断れない手紙なのだ、ということをケイレンは即時に理解した。 「‥‥今から準備をして向かう。‥ナジェルはこれからここにいてくれるのか?」 ヤーレの後ろにいたナジェルに声をかけた。ナジェルは軽く肩をすくめてみせた。 「今日から三日はここにいられるよ。三日後からはしばらく留守にするけど‥」 「その間は俺がここに詰める。カズリエにも許可はもらってるから安心しろ。四日後には、前に言っていたシンリキシャのサイリも来る。人手はあるから心配するな」 そういうヤーレの言葉に軽く頷くと、ケイレンは自分の部屋に上がっていった。これから支度をするのだろう。ケイレンの横で不安そうな顔をしていたジュセルの頭を、ヤーレがぐしゃりと撫でた。 「‥‥あの野郎、退異師会から手紙が来ていることジュセルには言ってなかったんだな?‥イェライシェンから北に2ゴルカ(=約180㎞)ほど行ったタラッカンってところに、大型の異生物が発生しそうなんだよ。今はまだ小型しか出ていないが、少しずつ大型化してるみたいでな。‥イェライシェンの退異師会長直々の呼び出しだから、無視もできねえんだ」 「‥それは、わかるけど‥ケイレンが行くのを渋ってたのか?それってやっぱり俺のことがあるから‥?」 ナジェルが柔らかい顔で微笑み、ジュセルの顔を見つめた。 「そうだろうけど、それはケイレンがそう決めたことだからジュセルが気に病むことはないと思うよ。ケイレンだって立派な大人(タイシャ)だしね」 「そう、だよな‥」 ジュセルはそう言って唇を噛みしめた。‥何でも自分のせいだと思い込むのは、かえって傲慢かもしれない、と思った。ナジェルの言う通り、ケイレンはジュセルよりも大人で、今までいろいろなことを成し遂げてきた実績があるのだ。 ‥‥それでも。 ジュセルはたっと駆け出した。表の階段を上ってケイレンの部屋へと向かう。その後ろ姿をナジェルが優しく見守っていた。 小走りでケイレンの部屋まで来てノックをしようと扉に手をかざした時、扉が内側から開いた。扉を開けたケイレン自身も驚いてジュセルを見た。 「ジュセル?どうしたんだ?」 「‥あの、ケイレン、」 何かを言おうと思って上がってきたわけではなかったので、ジュセルは少しおろおろした。しかし、今の自分の気持ちを、ケイレンが遠くに行く前に伝えておきたい、という一心で口を開いた。 「あの、なんかいつも俺のこと色々考えてくれてありがとう。すごく、嬉しい、と思ってるし‥あの、‥気をつけて、怪我しないようにね、‥ってうわ!」 ジュセルの言葉を聞いているうちにたまらなくなったケイレンが、言葉の終わらぬうちにがばりとジュセルのことを抱きしめた。ケイレンの太い腕でぎゅうぎゅうに抱きしめられ、ジュセルは息が苦しくなって思わずその腕をタップした。 「ケイレ、く、苦し‥」 「あっごめん」 少し緩めてくれた腕に、ジュセルは頬をすり、と寄せた。その様子を見て、ケイレンはまたもやそのかわいらしさに悶絶しそうになる。 こんなふうに、ジュセルが自分に愛情を示してくれるとは思いもしなかったのだ。自分をわざわざ追いかけてきて、言葉をくれたジュセルから離れたくない、という思いが胸の中に湧き上がってくる。 しかし、もうこれ以上退異師会からの催促をはねつけるわけにはいかない。きゅっと抱きしめていた腕を少し緩め、断腸の思いでケイレンは言った。 「ジュセルこそ気をつけて。ずっとそばで守るって言ってたのに、ごめんな、傍についていてやれなくて‥」 「ううん、俺も色々ケイレンに甘えすぎてるところはあると思うし‥。いない間少しは頑張るから、心配しないで」 ジュセルはそう言って、ケイレンの腕を掴んだまま少し背伸びをしてケイレンの頬にちゅっと口づけた。唇を離した後、真っ赤になって下を向きながらぼそぼそと呟く。 「あの、‥暗殺の事件が、片付くの‥俺も待ってるから‥」 ケイレンはぐぐぐぐ、と腕と足に力を込めた。 (い、まは、我慢‥今は、我慢今は我慢今は我慢‥) このままジュセルを抱えあげて寝台に落とし貪りつくしたいという、下半身の切なる願いを決死の努力で無視をする。一度目を閉じると大きく深呼吸をした。そして、目を開けてジュセルの肩を優しくつかんでその顔を覗き込んだ。 「ジュセル、ありがとう。俺もジュセルを抱ける日を、楽しみにしてる」 「だっ、」 その言葉でもっと赤くなってしまったジュセルの顎に手をかけて上を向かせ、その唇に口づけた。開いていた唇の間に舌を挿し込んで、その甘い咥内を舌先で味わい尽くす。 粘膜への容赦のない愛撫に、ジュセルは腰が抜けてしまった。がくりとなったジュセルの背中をケイレンががっしりと支えてやる。 「ありがとう、ジュセル。‥俺は最短で討伐して帰ってくるから!ヤーレたちの言うことをよく聞いて、気をつけて過ごしてくれ」

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