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第95話
飛んできた速信鳥紙をひったくるようにして開ける。連絡係のレイリキシャの声で、目標をやった、という内容が入っていて、ヨキナは思わず立ち上がって両手を打ち合わせた。
「よし、やった!とりあえず、何とかなりそうだ‥」
レイリキシャの声はその後も、ほとんどの者がやられたとか、連絡を待っているとか言っていたようだが、ヨキナはもう気にしなかった。いずれにせよ、今回集めた三十八人はみな捨て駒だ。死んでも惜しくないような者ばかりを集めたのだ。それが全員やられたとてヨキナには痛くもかゆくもない。
とにかく、と機工通信を繋いだ。自分からハリスに連絡をするのは久しぶりだった。鍵番を押せばすぐにハリスの秘書が応答した。
「ハリスにつないでくれ。ヨキナだ」
『ハリス様は今お忙しくて通信に出られません。後程ご連絡いたします』
冷たい秘書の言いぐさにヨキナはむっとしたが、あちらが出られないというのならこちらを責められることもないだろう。わかったと短く答えて機工通信を切った。
ようやく依頼は完了したが、ハリスの機嫌を損ねた上に依頼料の返還も求められた。ヨキナが自分で手出しをして頼んだ暗殺者たちへの手付金だとて返っては来ない。何よりも大事に大事に愛しんできたひとり子を殺されたことはあまりにも大きな打撃だった。
今回の依頼のせいで、ヨキナが受けた損害は限りなく大きい。
できれば自分でそのジュセルとかいうキリキシャをなぶり殺しにしてやりたい気分だったが、ヨキナはそれほど荒事に向いている方ではないから諦めたのだ。最後の手段で、未熟な裏請負 たちをありったけ集めて数で押し切ることにした。爆弾や火薬、毒なども持たせたため相当に費用はかさんだが、裏請負 たちの請負料は後払いにさせていたから、そこには経費がかからずに済んだ。
この依頼のせいでかさんだ諸々を取り返すためには、また色々と危ない橋を渡らねばならないだろう。とりあえずは、押さえてある強制性交幻覚剤 の流通経路を確実に維持しておけば直近で金に困ることはない。どちらかと言えば大量に裏請負 を失ってしまったことによって、その補充をしなければならないことの方が急務であった。
「どこかから、ヒトを買い付けないとだな‥」
ヨキナは独り言ちつつ、久しぶりに落ち着いて茶葉の借りを楽しみながら喉を潤した。
目の前を忙しく行き来するヒトをぼーっと見つめながら、グーラは座っていた。ライジが働いている様子を見ていると何か考えるのが面倒になってくる。なぜ自分がこのような状態に置かれているのかわからなくなって、どんどん感情が迷子になっていく。
結局、ライジの処遇をどうすればいいのか、考えても全く結論が出ない。のんびり南のルビニ公国に下って、仕事を探しがてら骨休めでもしようかと思っていたのに、その当てもすっかり外れてしまった。
ライジは、グーラがヨキナの暗殺依頼を断ってしまったら、きっとまた別の暗殺者を探すだろう。グーラのように色々と自分の流儀を決めて行動する者は暗殺者に多いが、暗殺者はどこか頭のいかれている者ばかりだ。自分のことだってグーラはまともなヒトだなんて思っていなかった。
まさかライジをそのようないかれた者たちに任せるわけにもいくまい。そう考えてしまう時点で、すっかりグーラはライジに同情してしまっているのだが、人付き合いを密にしたことの少ないグーラはその事実に気づかない。
ライジは掃除をしていた手を止めて、グーラを見た。なんとなく居心地の悪さを覚えて思わず目を逸らしてしまう。そんなグーラに対して、ライジはわずかに微笑みながら言った。
「グーラ様、私が邪魔ですか?どこか別の場所で時間をつぶしてきましょうか?」
「‥いや‥」
と、知らぬうちに口からこぼれた拒否の言葉にグーラは驚いた。面倒だ、どうすればいいと随分悩んでいるのに、なぜ、自分はこのレイリキシャをつっぱねられないのだろう。どこか別の場所に行っていろと言ってその隙に逃げてしまえばいいのだ。この家だって家財だって特に惜しむものではないし、グーラの資金は色々なところに分散してある。身一つでどこへなりとも行ける身分だし、そういった身分である自分がグーラは気に入っていたはずなのに。
迷った挙句にグーラの口から出てきた言葉は、ライジの問いかけとは全く内容の異なるものだった。
「お前、まだヨキナの暗殺を諦めるつもりはないのかい?」
ライジはその言葉を聞くと、表情を硬くしながらもはっきりと頷いた。そしてとんでもないことを言い始めた。
「‥‥もし、どうしてもグーラ様がその暗殺に気が乗らなくてやりたくない、とおっしゃるのでしたら‥私は自分でヨキナの命を奪おうと決めています」
「はぁ?!」
思わずグーラは立ち上がった。この堅気のレイリキシャは何を言っているのだ。ついこの間まで裁縫針くらいしか刃物を持ったことがなかった堅気の者が、いくら荒事を苦手とするヨキナ相手とは言え殺すことなどできようはずもない。
立ち上がってライジを凝視しているグーラの顔を、ライジは表情を変えることなく見上げた。
「もし、それで失敗してもグーラ様を恨んだりはしません。私は、私ができることをやりたいのです。後悔したくはないのです。それだけですから」
そう言うと、また俯いて床を磨き始めた。
グーラは拳を固く握りしめ、無意識に身体を震わせていた。
何という、頑固なやつだ。今までだって嫌というほど、裏請負 の仕事の汚さや厳しさを教え込んできたというのに、全く耳に入っていなかったのか。
「馬鹿かあんた!あんたなんぞすぐさま失敗して捕らえられて、奴隷として売られるかその場で殺されるのかが関の山だよ!そんなこともわからないのかい?!」
ライジは床を磨いていた手を止めて顔を上げ、動揺することもせずただ笑ってみせた。
「それでも、私は構わないんです。‥生きていても、仕方がないんですから」
ライジのその言葉を聞いて、グーラは一層身の内にかっと怒りの炎が燃え上がるのを感じた。こいつは、何を言ってるんだ。
「‥生きていくための手蔓も健康な身体も持ってるやつが、贅沢言うんじゃないよ!伴侶が殺されたくらいで悲劇の主人公を気取るな!そんな、そんな身の上のやつなんて、この世界にはゴロゴロしてるんだ!お前だけが特別に不幸なわけじゃないんだよ!」
興奮して叩きつけるように叫んだグーラの言葉を、ライジは床に座ったまま静謐な顔つきで受け止めた。その表情には何の変化も見られなかった。
グーラが見慣れた、いつものライジでしかなかった。
そしてライジは、何事も起きていないかのように、いつもと同じ口調で言った。
「世の中にありふれた悲劇であっても、私の身の上に起きた悲劇は私のものです。私のものの決着のつけ方は、私が決めてもいいはずです」
それだけを静かに言い切ると、雑巾を桶で洗って絞り、黙ってまた床を磨き始めた。
グーラは立ち上がったまま、何とも言えない気持ちを抱えていた。
‥‥こいつは、こいつは本当に何なんだ。何を言っても堪える様子もないし、意地でも自分の考えを曲げやしない。くそっ堅気のくせに、変な意地だけ張り通しやがって‥このグーラのことを舐めているのか?
いや、違う。グーラは思い直した。
こいつは、ただもう人生の目的がヨキナの殺害にしかないんだ。多分、ヨキナを殺したら自分は死んでもいいと思ってる。だから奴隷の首輪を外さない。対価としてしか生きるつもりがないからだ。そして奴隷として扱われて早死にしてもいいと思っているからだ。
こいつは、もう自分の人生なんて要らないと思ってるんだ。
無言でうずくまり、ただ静かに床を磨いているライジを見ていると苛々する。こんな仮家の床なんて磨いたところで誰が見るわけでもないのに、ライジは家を綺麗に整え、グーラに美味い飯を作る。それは、ヨキナを暗殺してくれるかもしれないグーラのためにのみしていることであって、ライジ自身はどうでもいいのだ。
その証拠に、ライジはグーラが勧め、見ているところでないと食事をとらない。
手練れの裏請負 なんかより、よっぽど頑固で面倒くさいやつだ。
グーラは、どうすればこの厄介者を自分の気分を害すことなく追っ払えるのか、と考えながら壁に掛けてある外套を手に取った。
「出かける」
「お供します」
「要らないよ。私の暗器を頼んでる職人のところに行くんだからね。あんたなんか連れていけない」
「‥では、ここでお待ちしております。夕食はここで召し上がりますか?外で?」
外で食べてくる、と言いそうになったが、そうするとこのレイリキシャは自分は食べずに寝てしまうのだろうと思ったので、言い直した。
「‥‥遅くなるかもしれないけど家で食べるよ。あんたも自分の分は先に食べておくんだよ」
「‥わかりました。行ってらっしゃいませ」
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