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第123話
ヤーレはそう言って先に会長室に入り、ティルガが入った後で扉の鍵を閉め、コトルの足音が遠ざかったのを確認して長椅子に腰かけた。ティルガもその向かいに腰かける。
「その、重体になってるってのは具体的にどんな状態なんだ。万能薬はもうねえのか?」
ティルガはゆっくりと首を振った。
「いや、残り一つだけ残っていたのをのませた。背中に大きな傷を負っていたんだがその傷自体は治ってる」
ヤーレはそこまで聞いてううんと唸り、顎をさすった。
「じゃあ、瘴気か‥」
「そうだ。万能薬で傷を治した分、体内の力素を食うはずなのにそれに加えて瘴気が力素を食い散らかしてる。現地の医師が必死に力素を流して食い止めてるが、そうは持たない。‥ここで力素回復薬とやらを売ってると聞いた。それがあるなら助かる、かもしれない」
「何位の退異師だ」
「確か二位と聞いている。黒剣と呼ばれていた」
ヤーレはがたっと音を立てて立ち上がった。血の気が引いた顔で拳を握りしめ、ティルガを見る。
「‥ティルガ、今から俺の意識上にある場所をのせる。それを読み取ってその場所に転移してくれ」
ティルガは少し眉を顰めた。ヒトの意識上にある場所を読み取るのはなかなか難しい。ティルガの顔を見てヤーレは付け足した。
「‥すまんが後であんたにもシンリキ誓書を書いてもらう。回復薬を、作れる人物がいる場所だ。これは極秘中の極秘情報なんでな」
そう言ってヤーレは隠しを探って、刺繍印章を取り出した。ぎっしりとした刺繍が施されている、個人を認識するための印章だ。
「これを、そこの家にいるスルジャという解析師に見せろ。そして事情を話せ。頼む」
そう言ってヤーレはティルガの隣に立つとその肩に手をのせ、目を瞑った。
ティルガはため息を一つついて、ヤーレの意識に集中した。
何とかヤーレの意識から読み取ったところに転移したつもりだったが、少しずれたようだ。言われた屋敷の外に来てしまった。辺りには大きな屋敷が一つしかないので、目の前のこれが目的地なのだろう。自分を庇ったせいで未だ苦しんでいるだろうケイレンのため、急いでティルガは屋敷に向かって歩き出した。門をくぐろうとすると後ろから声をかけられる。
「悪いが、この屋敷に何の用だ?」
振り向けば、屈強な身体つきのヨーリキシャとマリキシャが訝し気な顔つきをしてこちらを見ている。ヨーリキシャの手は剣の柄にかかっていた。
「俺は光級請負人 のティルガだ。ヤーレに言われてこの屋敷を訪ねてきた」
そう言ってヤーレに渡された刺繍印章を見せる。おお、と声をあげて二人は恐縮した。
「ゼ、迅雷 のティルガ様を不審者扱いしてしまって申し訳ありません!」
何度も頭を下げる二人に、ティルガは鷹揚にひらひらと手を振った。
「いいさ、俺の顔なんて知ってるやつの方が少ない。入っていいか?」
「勿論です」
そこでようやく、ティルガは屋敷の呼び鈴を押した。
玄関を開けて出迎えたのは、なんと四十年ぶりにもなろうかというアニスだった。
「お前、アニスか‥?」
「ティルガ、どうしてここに‥」
茫然と立ち尽くすアニスだったが、ティルガは今は時間が惜しかった。
「悪いが、スルジャというヒトはいるか?今は時間が惜しい、すぐに話したい」
アニスはティルガの言葉を聞くと、ハッとして身体を動かし中に招き入れた。そしてすぐさま走ってスルジャを呼びに行った。
ティルガは玄関ホールを見回した。‥なかなか立派な家だ。しかし掃除も綺麗に行き届いていて、こんな大きな屋敷なのに温かみがある。俺もひとところに落ち着いていられる身であったなら、こういった屋敷に住みたかったな‥
そんな益体もないことを考えていると、中央の階段から転げ落ちるようにして巻き毛のヨーリキシャがやってきた。
「お前がスルジャか?」
「そうだよ、あんた本当に迅雷 ?」
ティルガはまた眉を顰めた。
「俺はただのティルガだ。‥力素回復薬について訊きたいことがある。ヤーレがお前に説明しろと言った。ここで話していいか」
スルジャは少し考えて、一階の奥にある団欒室にティルガを案内した。
「く、黒剣が‥?!」
「ああ、一刻を争う。どれだけその力素回復薬が効くのかはわからないが、とにかく早く欲しい。ここにはあるのか?」
「‥‥ある、あるけど‥どうしよう、ジュセルに言った方がいいのかな‥」
スルジャはティルガが話すのを今まで比較的冷静に聞いていたのだが、ケイレンが危篤状態だと聞いて急にあわあわと焦りだした。ティルガはとにかく早くしてほしいのだが、と思いながらスルジャに尋ねた。
「頼む、あるなら譲ってくれ。代金はいかほどでも構わん。すぐに転移で持っていく」
スルジャはティルガのその言葉を聞いて、きっと顔を上げた。そして真剣な目をして言った。
「ティルガさん、あなたは‥同じキリキシャなら一緒に転移することができると聞いたことがあります」
ティルガは目を見開いた。なかなかそこまで知っているヒトはいない。
「‥そうだな、酷く気分は悪くなるらしいが。ただし俺より重いやつは無理だ。俺は、全部で俺二人分の重さまでしか一度に転移できない」
「大丈夫、ジュセルは小さいから‥少し、待ってください、すぐに薬を持ってきます」
スルジャはそう言うや否や、団欒室を走り出ていった。
ティルガの斜め前にはアニスが座っていて、その顔色も悪かった。
「アニスも知ってるやつだったのか?黒剣は」
「‥ああ。いいやつだし‥今から来るジュセルとは恋人同士だ。だから‥連れて行ってやってくれ、ティルガ」
アニスもそう言って頭を下げた。それに対してティルガが言葉をかけようとしたとき、開きっ放しだった団欒室の扉付近にスルジャがジュセルを伴ってやってきた。
ジュセルはさっきスルジャの話を聞いてから全身の震えが止まらなかった。
今、遠くタラッカンの地で、ケイレンが死にかけている‥?
あの、いつも元気で、凄く強くて、いつも俺には笑顔だった、あの、ケイレンが‥?
だって無事に帰って来るって言った。早く帰って来るって。
スルジャに握らされた二本の力素回復薬の瓶が、ジュセルが震えていることによってお互いにぶつかり合い、カチカチとうるさい音を立てている。
「ティルガさん、この子が力素回復薬を作ったジュセルです。このことは絶対に口外しないでほしいから、あとでシンリキ誓書を書いてくださいね。そして‥この子はケイレンの恋人なんです。だからジュセルも一緒に連れて行って!」
最後は叫ぶようにそう言って、うっと息をのみスルジャはぼろりと涙を零した。ジュセルは何も言えずただ震えている。
そんな二人を見てティルガはジュセルの傍まで歩いていき、その肩に手をかけた。ジュセルは弾かれたように身体を跳ねさせ、ゆっくりとティルガの顔を見た。
伝説級の請負人 は、ジュセルとあまり背が変わらないようだった。ただ、その分随分と厚みがあるがっしりとした身体つきをしている。
「ジュセルか。‥キリキシャなら俺は一緒に転移できるが、転移したあとは随分と気分が悪くなるらしい。人によっては何日か気分が悪くなるらしいが、それでも行くか?」
身体は震えていたが、ティルガのその言葉を聞いたジュセルは反射的にすぐ答えていた。
「行く、行きます!連れてってください!」
「わかった。手に持ってるのは回復薬だな?他に持っていくものはないか?お前は軽そうだ
からもう少し平気だ」
ティルガがそう言うと、アニスが隠しから何か取り出してジュセルに渡した。
「ジュセルこれ、おやつにもらってたクッキー。何かあったときのために‥」
「あ、じゃあお茶も!ジュセルのお茶、もう少しだけあったよね?!」
スルジャはそう叫ぶとすぐさま厨房へ走っていき、ジュセルの茶葉が入った小瓶を持って戻ってきた。
「ありがと、」
震える声でお礼を言うジュセルに、スルジャもアニスも目を潤ませた。
「きっと大丈夫だよ!しっかりね!」
「‥うん」
ティルガは声をかけた。
「準備は終わったか。行くぞ」
「はい、大丈夫です」
案外としっかりした声でジュセルは答えた。だがまだその肩は震えていた。成人したばかりくらいの年頃だろうか、そんな年で恋人が死にそうになっているだなんて、痛ましいことだとティルガは思った。
「‥よし、じゃあ俺と手を繋いで‥そう、そしてゆっくり自分のキリキを流してくれ。ほんの少しでいいぞ。そして目を瞑れ」
ジュセルは言われた通り、ティルガの手を握って僅かなキリキを流し、目を瞑った。
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